素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

母の決断②

2021年02月08日 | 日記
 一人暮らしになった母、気楽になったかと言えばそうでもなかった。私や弟は高校卒業後、遠く離れて暮らすことになったので二人での生活リズムが45年近くのの間にしっかりと作られていた。それを切り替えるのは結構大変だったようだ。「自分のためにだけ食事をつくるのは張りがない」と帰るたびによく聞いたぼやきだった。

 1周忌を終えてからは、今後どうするのか?という話題も繰り返し出てきた。選択肢は4つ。①今のままの在宅 ②地域の施設 ③弟の居る松阪の施設 ④私の居る大阪の施設  メリット、デメリット、知人の例など毎回同じような話になる。色々言っているが、今の生活を当分続けるつもりでいることは伝わってきたのでゆっくり構えていた。

 それだけに、10月23日の電話は驚いた。弟に確認すると。深い意味もなく新聞に折り込まれていたチラシを「こんなんもあるよ」ぐらいの軽い気持ちで持っていっただけと同じように驚いていた。

 とにもかくにも母の心が動いたのは事実なので見学に行くことになった。スケジュールを調整して10月31日に予約を入れた。
ベタニヤシニアホーム(https://betaniya.jp/service/betaniya_seniorhome/)は伊勢自動車道松坂ICから7分ほどの所にあるので実家から50分弱で行くことができる。見学の結果、施設の周りの田園風景がよく似ている。新築なのできれい。平屋で20室とこじんまりしている。食事の時間以外は自由に生活できる。料金が手頃。隣にデイサービスの施設があるなどとても気に入ったみたいで入居に前向きになった。

 11月25日の父の3回忌にはみんなに言いたいということで、翌週には弟と一緒に申し込みをした。入居は正月明けにするということで2週間足らずの間に思わぬ展開となった。

 父の3回忌が、期せずして母が実家を離れる壮行会となった。『弔いは、生きる人のためにある』とむらい屋颯太のセリフが聞こえた。
 3回忌を無事に済ませると、母は「年末年始お客さんが来るわけでもなし、一人ボサァ~としてるぐらいなら早く施設に行きたい」と言い出した。弟と急きょ日程調整をして12月9日に引っ越しすることにした。準備に忙しかったがその方が正解だった。一人暮らしの限界を母も直観的に感じていたのではと思う。

 弟が車で15分の所にいるし、私も2時間30分で行くことが出来るようになり安心度はアップした。実家はセコムが留守番してくれている。

 

 
コメント
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