素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

35年の時空を越えて

2010年11月20日 | 日記
1年生で四中に入学し、2年生で分離して村野中に移ったので、今回は合同の同窓会となった。分離をしても四中は10クラス(約400名)の大規模校であった。村野中は5クラス(199名)で、学年の全クラスの数学を一人で教えることができた規模で幸運であったと思う。その後、枚方市内の生徒数な急増していき毎年1校ずつ新設校ができていくことになる。村野中も新設から9年目に、桜丘中との分離になる。生徒数も1200名を越え、約2倍になっていた。

 同窓会は四中が147名、村中が44名の参加者があり、大盛況であった。連絡、準備など幹事の方は大変だったと思う。とても行き届いたメッセージ集には幹事の細やかな心遣いを感じた。1年生から3年生までの全名簿が掲載されていたので記憶を呼び起こすのに手助けとなった。
声をかけられ振り返ると、二中の時同僚だったY田先生の顔があった。ずい分前に宮崎県に転居され、その後は年賀状だけのやりとりだけだったのでビックリして「なんでこんな所に?」と思わず言ってしまった。「四中の卒業生なんですよ」お互いに同僚というイメージしかないのだが、同窓会の場では教師と教え子という場の空気もあり、話していてもそういう感じになり「不思議な感覚ですね」とお互いに苦笑した。

 もう一人、今は教育委員会に入っているが、かつてサッカー部の顧問として戦ったT林さんも四中の卒業生として出席していた。思いがけない再会に大笑いした。1年生の時の担任も出席していて、私の横に座っていたのだが、律儀に挨拶する姿がほほえましかった。

 私の担任した生徒も7人出席していた。それぞれ苦労をしながらもたくましく生きてきたことを話の端々に感じ、うれしく思った。よくあることだが、生徒から見ると教師は年齢が上に見える。「今、いくつですか?」とたずねられ「59歳」と答えると、「あの頃若かったんですね」とほぼ全員から驚きの反応が返ってきた。

 例の“年の差”の考え方が頭をよぎった。15歳と24歳。50歳と59歳。加減で考えれば「差は9歳で永遠に同じ」でも乗除で考えると35年前は24÷15=1.6(倍)だったが今は59÷50=1.18(倍)と接近している。10年後あったらどうしているやろという話もでたが、69÷60=1.15(倍)とほとんど同じ高齢者としてひとくくりにされているだろう。

 今でも人生のほろ苦さを味わってきたもの同士として話ができ楽しいひと時を過ごすことができた。

 
コメント
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