作家の五木寛之さんがちょうど“男の更年期”にあたる時期で、毎日がとてもしんどく感じられた頃実行されたことを本に書いていた。「一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。」と決心され、一日の中で心がキラッと光るような、よろこびの瞬間を手帖に書きとめていったそうだ。 一理あるように思う。
日常のなにげない中に、よろこびをみつけることを続けていると習慣となり、やがてなんでもうれしい感じになってくるというのだ。五木さんはそうして男の惑いの季節を通過して行ったとふりかえる。
《よろこび上手》になるには、視点のとらえどこが大切ではないかと思う。誰かがそうじをしてくれる。すみっこに少しゴミが残っているかもしれない。99%きれいでも1%のゴミがある。その時に「ずい分きれいにしてくれて」と言うか「まだ、そこにゴミが残っている」と言うかの違いかな。
また、五木さんは《よろこび上手》は《よろこばせ上手》であるとも言っている。そして《よろこばせ上手》は自分をよろこばせることから始めるとよい。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができる。と続けている。
これも納得できる。自分を愛していない人間に、他人を愛することはできない。自分を肯定できない人間は、他を肯定できない、自分を憎んでいる人間は、他人をも嫌う。
私は、10代の頃は自己嫌悪にさいなまれていたように思う。ところが、20になったある日、突然だが、自分自身をコントロールできなかったり、いろいろな失敗をしながらも生きてきた自分を「それでいいではないか」と愛おしく思う気持ちが湧いてきた。とても不思議な感情の変化であったと記憶している。おそらく、当時読みふけっていた山本周五郎の描く世界の影響があったのではないかと思う。
以来、不完全な自分ではあるが、できない点にばかり目を向けず、ましになった点に目を向けることが多くなった。
五木さんは、こうしめくくる。
私たちは、知的に充実すればするほど、大きな悲しみをあじわうことになりかねません。南北問題、中東の現状、地球環境の悪化、などという大きな事柄から、小さな個人的な出来事まで、日々は悩みと悲しみの連続です。老い、病気、愛と憎しみ、別れ、差別、孤独。そして死。
しかし、それにもかかわらず私たちは生きている。これからも生きていこうとしている。この点で生きている人間は、すべてが許されるのではないかと考えます。「よく生きてきたね」と私たちは自分にむかって言ってやる必要があると思うのです。
日々の小さな、どうでもいいような、つつましいよろこびを大切にして生きていきたいものだ。
日常のなにげない中に、よろこびをみつけることを続けていると習慣となり、やがてなんでもうれしい感じになってくるというのだ。五木さんはそうして男の惑いの季節を通過して行ったとふりかえる。
《よろこび上手》になるには、視点のとらえどこが大切ではないかと思う。誰かがそうじをしてくれる。すみっこに少しゴミが残っているかもしれない。99%きれいでも1%のゴミがある。その時に「ずい分きれいにしてくれて」と言うか「まだ、そこにゴミが残っている」と言うかの違いかな。
また、五木さんは《よろこび上手》は《よろこばせ上手》であるとも言っている。そして《よろこばせ上手》は自分をよろこばせることから始めるとよい。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができる。と続けている。
これも納得できる。自分を愛していない人間に、他人を愛することはできない。自分を肯定できない人間は、他を肯定できない、自分を憎んでいる人間は、他人をも嫌う。
私は、10代の頃は自己嫌悪にさいなまれていたように思う。ところが、20になったある日、突然だが、自分自身をコントロールできなかったり、いろいろな失敗をしながらも生きてきた自分を「それでいいではないか」と愛おしく思う気持ちが湧いてきた。とても不思議な感情の変化であったと記憶している。おそらく、当時読みふけっていた山本周五郎の描く世界の影響があったのではないかと思う。
以来、不完全な自分ではあるが、できない点にばかり目を向けず、ましになった点に目を向けることが多くなった。
五木さんは、こうしめくくる。
私たちは、知的に充実すればするほど、大きな悲しみをあじわうことになりかねません。南北問題、中東の現状、地球環境の悪化、などという大きな事柄から、小さな個人的な出来事まで、日々は悩みと悲しみの連続です。老い、病気、愛と憎しみ、別れ、差別、孤独。そして死。
しかし、それにもかかわらず私たちは生きている。これからも生きていこうとしている。この点で生きている人間は、すべてが許されるのではないかと考えます。「よく生きてきたね」と私たちは自分にむかって言ってやる必要があると思うのです。
日々の小さな、どうでもいいような、つつましいよろこびを大切にして生きていきたいものだ。