シーシュポスの神話 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦 その3

2023年08月29日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 渡辺明が、最強羽生善治相手にタイトル戦で3連勝し、

 「ついに世代交代」

 との印象を強くした2010年初頭の将棋界。

 どっこい、一度はコテンパンにのされたはずの羽生は、しぶとく渡辺の前に立ちふさがり、2012年度の第60期王座戦では挑戦者に名乗りを上げる。

 初戦は、相居飛車の難解な戦いを制して、渡辺が先勝

 これには気の早い私など「やっぱりか」と思いこんでしまったが、なかなかどうして、羽生の精神力をナメてはいけないのである。

 第2局はオープニングから波乱だった。

 先手の渡辺が、初手▲76歩と突くと、羽生は△34歩

 なるほど、横歩取りかとおさまりそうなところ、▲26歩に後手は△84歩ではなく△42飛としたのだ。

 

 

 

 まさかの角交換四間飛車で、これは、まったくの予想外。

 もちろん羽生はオールラウンドプレーヤーだから、振り飛車も指しこなすが、それにしたってここで登板とは思いもよらなかった。

 研究家の渡辺相手に、相居飛車の後手番は苦しいとみての変化球だろうが、こういうところが万能型の強みでもある。

 ただ、問題はここからだった。

 角交換型の振り飛車は、穴熊を牽制できるのがメリットのひとつだが、反面、自分から動いて行くのが、むずかしいところもあるのだ。

 双方、常にの打ちこみに気をつけないといけないからだが、この将棋では羽生がその形に足を取られてしまう。

 

 

 

 図は渡辺が、得意の穴熊に組み替えを図ったところ。

 本来なら、その前にゆさぶりをかけたかったが、先手の駒組か巧みでそうは問屋がおろさなかった。

 ここから羽生は苦しい手順を余儀なくされるのだ。

 

 

 

 

 

 △92玉と寄るのが、いばらの道の始まり。
 
 この局面の後手は、自分から仕掛ける手がない。また、敵陣にを打ちこんでを作る筋もない。

 なので、自らも角の打ちこみにそなえ、はなれ駒を作らないよう手待ちをしなければならないが、有効なパスがない状態。

 一方の先手は、その間にゆうゆうと穴熊に組んで、▲46歩▲37桂と構え、好機に▲24歩など仕掛けて行けばいい。

 これには羽生自身、

 


 「やる手がない」

 「△92玉は損で、パスしたいけど、パスがない」

 「全然、角打ちの筋がない。困り果てました」


 


 頭をかかえるしかない。

 後手はなにもできないどころか、角交換振り飛車の切り札である、千日手をねらうこともできないとは、なんとも悲しい展開ではないか。

 

 

 

 後手がなんの策もなく△82玉△92玉を延々とくり返す、屈辱的な「ひとり千日手」が続く間、渡辺は着々と理想形を築き上げ、ついに戦端が開く。

 2筋、1筋、3筋と次々を突き捨て、後手が受けるには△52角という、つらい手を指すしかなく、気分的には先手必勝

 

 「あの羽生が、こんな苦しい将棋を強いられるとは、渡辺が強すぎる!」

 

 感心することしきりで、実際、検討している棋士も皆先手持ちだったが、なんとか逆転のタネをまきたい後手は△95歩と、とにかくを攻める。

 穴熊相手に困ったら、とにもかくにもここを突く。内臓を売ってでも突く。

 この形は、先手が▲96歩と突いてるから、▲95同歩のあと、▲94桂の反撃があるわけだが、そんなことは言ってられない。

 逆に穴熊はここに手をつけられるだけでも、2割くらいテンションが下がるくらいのものだ。

 そこは渡辺は百も承知で、△97歩▲同銀から、しっかりと対応する。

 むかえた、この局面。

 

 

 ここで▲51角と打てば渡辺が優位を持続できたようだが、▲96香と端をサッパリさせにいったのが疑問の構想だったらしい。

 このあたりが薄くなると、後手から△86歩から△75桂という筋で、△43の角を玉頭戦に活用してくるねらいがあり、一気に厚みを増してくるからだ。

 その通り、羽生は△75桂を見せ球にしながら玉頭をうまくさばいてしまい、いつしか逆転模様。

 

 

 

 好機に△84桂と設置したのがうまく、△76桂や、△97歩の嫌がらせがうるさい。

 攻守所を変えてしまった先手は、を打ってねばるが、次からの手順が決め手になった。

 

 

 

 △25歩、▲29飛、△44銀で後手優勢。

 △25歩と、一転こちらに目を向けるのが、視野の広い発想。

 ▲25同桂は、△22飛や、△44銀から△24歩を取りに来る手があるから▲29飛と引くが、やはり△44銀と、ずっと使えなかったが、ついに始動

 ▲94歩△32飛と、これまた遊んでいた飛車まで動き出して、いかにも振り飛車らしい軽やかな活用だ。

 

 

 このあたりの駒さばきは、まったく見事なもので、これで先手が困っている。

 さすが振り飛車のスペシャリストである藤井猛九段も脱帽する「羽生の振り飛車」。

 基本は居飛車ベースのはずなのに、なんでこんな、うまく指せるんでしょうか。

 

 

 最終盤、渡辺も最後の特攻をかけるが、次の手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 

 △61金と冷静に引いて、後手玉に寄りはない。

 以下、▲72香成△51金とこっちを取って、攻めは切れている。

 このあたり、羽生の手は震えており、この一番の重みを感じさせられる。

 最後はトン死筋のも見切って、大苦戦の将棋を腕力でものにした羽生が1勝1敗タイに押し戻す。

 

 「これは羽生さんの名局」

 

 との声も多い逆転劇だが、実はその声はまだ早かったことが、この後の展開でわかることになるのである。

 

 (続く

 

 


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