世の中には、フェティシズムというものがある。
前回(→こちら)は、大槻ケンヂさんの紹介する
「昆布ふんどしマニア」
について語ったが、オーケンがふんどしの次に出してきたのが、これで「穴埋めマニア」。
穴埋めマニア。
ふんどしパブなど光速で振り切って、心の底から意味不明だが、世の中にはそういう人もいるのだそうな。
穴埋めマニアは、なんでも、
「女性を首だけ残して穴に埋めたい」
という欲望を持っているそうな。
首だけ残して穴埋め。
ビジュアルだけだと、なんだかスイカ割りみたいだが、それがいいと。
私のような素人は「そうでっか……」としか言いようがないが、そういう趣味なんである。
さらには、女性を埋めるだけではあきたらず、
「自分を埋めてほしい」
という人もいるのだとか。
首だけ出して埋めてほしい。なかなかに濃い話ではないか。
気になるのは、埋められたあと、どうやってさらに楽しむのか。
やはり、首だけになった状態で、棒でつつかれたり放尿されたりする、わかりやすい「M」を嗜好するのか。
それとも浜辺に、ひとりポツンと取り残される「放置プレイ」がいいのか。
その際、潮が満ちてきて「たすけてー」とかなると、ますますマゾ的に燃えるのか。そこらあたりは、すこぶる興味深い。
濃いなあと感心していると、オーケンはさらに、こんなものもくり出してきた。
「ゴム草履マニア。結構これも多いらしい」
ゴム草履マニア。
これまた聞いたことがないが、オーケン曰く、
「ゴム草履を履きたい履かれたい」
というマニアのことだ。
履きたい履かれたい。
またもや意味不明である。まさにパワーワード。
これを「結構これも多いらしい」と言い切るオーケンも、ナイスではないか。
ホンマかいな。どこにおるねん。オレが知らんだけか?
そんな謎が謎を呼ぶゴム草履マニアだが、オーケン曰く、
「バーブ佐竹が『青いゴム草履』っていうゴム草履を讃える歌を歌っていたんですよ」
バーブ佐竹。
ゴム草履マニアだけでも、なかなかぶっ飛んでるのに、そこにさらにバーブ佐竹。
こうなると、二重にも三重にもラビリンスだが、そこからオーケンは
「子供のころは、これなんだって不思議だったんですけど、あれはゴム草履マニアの歌だったんですね。感動しました」
いや、よくはわからんけど、たぶん違うんとちゃう?
そんなオーケンが、さらに識者に強くうったえたいことというのは、
バーブ佐竹自身は、ゴム草履マニアではない。あれは、歌詞を書いた先生がゴム草履マニアで、
《バーブ佐竹にゴム草履の歌を歌わせたい!》
という情熱のたまものですよ!
フェティシズムの中には、「あの人に○○させてみたい」という願望がある。それは、
「アイドルにコスプレさせてみたい」
とか、
「元ヒーロー役のこの人に、あえて悪役をやってもらいたい」
といったものだが、
「バーブ佐竹にゴム草履の歌を歌わせたい」
とは、どんな願望なのか。
世の中には、バーブ佐竹のファンがいる。それは、わかる。
そして、世の中には、ゴム草履マニアがいる。
私はよくわからないが、まあいるとしよう。
けど、それを合わせ技で
「バーブ佐竹にゴム草履の歌を歌わせたい」
マニアがいるという説には、さすがに、まいりましたと頭を下げる他はない。
西原理恵子さんいうところの「勝ち負けでいえば負け」である。
バーブ佐竹とゴム草履。
このテーマで熱く語れるのは、日本広しといえどもオーケンだけだろう。芸域広いなあ。
「ふんどしマニア」には、
「ボクはふんどしパブに行ったことがある」
対抗意識を燃やした中島らもさんだが、この「ゴム草履マニア」には、言葉を失っていた。そらそうやろうなあ。
それにしても、オーケンの話は濃い。
他にも、ライブのパフォーマンスとして、ライブハウスをショベルカーで破壊したバンドとか。
ルパンに憧れて、金属バットに「斬鉄剣」と書いて公園で素振りをしていた女性の話とか(1万パーセント不審者である)、どれもステキではないか。
こういった話を聞いていると、わけもなく
「私も、まだまだ修行が足りない」
という気になるが、そんな修行は果たして人生において必要なのかと悩ましいところであり、マニアの道の謎は深まるばかりである。