大山十五世名人の将棋はおもしろい。
前回は「オールタイムベスト1位決定!」と決め打ちしたくなる、豊島将之棋聖と渡辺明二冠の大激戦を紹介したが(→こちら)、今回はぐっと時代が下がって大山康晴十五世名人の将棋を。
先日、羽生善治九段が王位戦の白組プレーオフで、永瀬拓矢叡王に勝利。
通算1434勝という歴代最多記録を達成しニュースになったが、その前の1433勝の記録を持っていたのが、なにをかくそう大山名人。
名人位18期をはじめ、タイトル通算80期に棋戦優勝44回を誇り、今でもファンの間で、
「羽生と大山、どちらが史上最強か」
で議論を呼ぶ、昭和の大巨人である。
私は世代的に、無敵時代の大山名人については知らないけど、大山将棋はあちこちで語られることが多く、雑誌などで棋譜もよく紹介されていたから、昔の強さも多少ながら、味わっているところもある。
特に私は受け将棋が好きなので、しのぎの達人である大山将棋は、大いに好むところ。
そこで今回は、そんな「受けの大山」の妙技が、これでもかと発揮された熱戦を紹介したい。
舞台は、1969年の王座戦。
大山康晴名人と米長邦雄七段との一戦。
大山の四間飛車に、米長は5筋の位を取ってから、袖飛車で3筋をねらう工夫を見せる。
居飛車が、銀桂交換の駒損ながら飛車を成りこむも、後手ももらった銀を自陣に打ちつけ、竜を逆に責めていく。
むかえたこの局面。
先手が▲14歩と、香を取りに行ったのに、後手が△45にいた銀を△34に引いたところ。
先手は竜の威力こそ強いものの、金桂交換の駒損で、▲28の桂の位置もおかしく、このままだと押さえこまれそう。
だがこのピンチを、米長は強手でしのぐ。
竜を逃げる手は完封されるなら、どの駒と刺し違えるかだが……。
▲13歩成と香を取るのが、指した米長も自賛する攻め筋。
△25銀と竜を取られて大損のようだが、▲23と、とすべりこんで、角が取り返せる勘定。
平凡な▲24竜、△同歩、▲13歩成とくらべると、銀をそっぽに行かせて、歩も補充できてるから、こちらのほうが断然オトクなのだ。
ただ大山もさるもの。角取りに慌てず、じっと△36歩と突くのが、これまた米長が賞賛した好手。
放っておくと角に逃げられるので、▲24とと取るしかないが、△37歩成と、と金を作って後手好調。
▲25と、と銀を取りたいが、▲28の桂を取るのではなく、△47と、と寄るのが好手で、「マムシのと金」が速すぎて、先手が勝てない形。
なにか技が必要なところだが、ここで米長は軽妙な手で、局面のバランスを維持する。
▲33と、と捨てるのが好手。
もったいないようだが、△同金に▲53角と打てるのが自慢。
△32飛と逃げたところで、▲64角成と王手でひっくり返って、△73金に、▲37馬と急所のと金を払ってしまう。
まるでサーカスのような派手な手順で、見事2度目のピンチもクリアしてしまった。
飛車を2枚手にした後手が指せそうだが、先手も馬の威力が強くて、なかなか負けない形。
そこからも、力強いねじり合いが続くが、終盤で大山にすごい受けが出る。
その伏線となるのが、この場面。
先手が桂馬の威力で、上部から押しつぶそうとしているところに、後手が△36角と打ったところ。
激戦のさなか、ポンと放たれたこの角は、パッと見、意味がわかりにくい。
攻防の角っぽいが、△69の地点はまだ飛びこめないし、自陣の守りにも役立ってるか微妙なところだ。
なんといっても、先手が照準を合わせている、▲73の地点に利いていないではないか。
ところがこの角には、恐ろしいねらいがあった。
手番をもらった米長は、寄せありと見て▲73銀打とパンチをくり出す。
△同桂に▲同銀成と飛びこんで、△同銀に▲55馬。
この馬が急所の位置で、コビンをねらわれているところに、先手からは3枚の桂を、▲85や▲65にどんどん足してくるのが見え見えで、相当に気持ち悪い。
ひとつ間違えれば、あっという間に持っていかれそうな形だが、ではなぜ大山がこの局面に誘導したのかといえば、ここで絶妙手が用意してあったからだ。
そう、米長はすでにワナにかかっていた。
ヒントはボケたようにたたずむ△36の角。
それを中心に、盤上を広く見まわすと……。
(続く→こちら)