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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

代官部落の氏神「田中八幡宮」

2019-04-10 14:17:25 | 神社
大和市代官に新道下、善光明、札の辻、代官庭の鎮守「田中八幡宮」はある。貞亨3年(1686)に上飯田村の本興寺の住職が再興したとある。又、伝承によれば元亀・天正の頃、代官保田筑後守が鬼門除けの守護神として八幡山に祀ってあるのを貞亨年代に現地に遷し代官の氏神とした。御祭神は応神天皇。小田急線高座渋谷駅から北北西へ約1Km、引地川左岸の奥にある。赤い「鳥居」を抜けると正面に「社殿」、その右に「正八幡大菩薩」の堂がある。当社には御神像(応神天皇)と天然理心流奉納額は市の重要文化財(有形文化財)、市指定文化財として明治5年の武道絵馬に指定されている。田中囃子が保存会により伝承され神社の例祭時に舞われる。 向拝に昭和6年奉納の「正八幡宮」、拝殿内に「正八幡宮」の扁額が架かっている。 境内には遷座270年碑、八幡宮改築記念碑がある。田の中の鎮守といことから「田中神社」とし、後に「田中八幡宮」とした経緯がある。(1903)







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大多喜の象徴「大多喜城天守閣」と「桜」

2019-04-10 10:46:52 | 城・城郭
大多喜は徳川四天王の一人「本多忠勝」が「大多喜城」を築城した歴史を持つ町である。久保、桜台、新丁地区には江戸時代から変わらぬ佇まいを残す建物、造り酒屋「豊の鶴酒造」や 国の重要文化財「渡辺家住宅」など今なお多数の町屋が保たれて「房総の小江戸」と言われて城下町の面影を今も色濃く残している。江戸時代から続く大多喜の象徴=シンボルといえば大多喜駅から徒歩約15分の小高い山に聳え建つ白亜の「大多喜城」(現在は千葉県立中央博物館)である。当博物館は「房総の城と城下町」を常設展のテーマとした歴史博物館で、房総の中世・近世の城郭とそれに関わる武器・武具や調度品・古文書及び武家社会や城下町の生活などに関する資料が展示されている。大多喜城へ向かう道路の桜回廊、場内は城を包み込むような桜ベールは美しい絵葉書のようである。(1904)










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「創造の杜公園」池に映える「桜」終焉美!!

2019-04-10 10:04:43 | 公園・庭園
千葉市緑区あすみが丘に住民の「憩いの場」、「オアシス」としてこの地域では最大規模の公園「創造の杜公園」はある。この一帯は昔「土気城」や「大椎城」の遺構が残っている。山あいの窪地地形を活かし造られた自然あふれる公園。園の西側に広がる調整池(遊水池)が窪地の底にあたり、雨水や内部を流れる小川も滝となってこの池に注ぎ込まれる。当園は桜、ツツジ、ショウヴなどの四季折々の花々、秋季は紅葉するモミジと季節ごとの彩り華やかさを魅せる。全長約1Kmの遊歩道は花を眺めながらの散策、周囲1200mのジョギングコースも整備されアクティブ派にはもってこい環境である。その他野球場、野外ステージ、多目的広場、小規模な児童公園も併設している。創造の杜公園のはす向かいにはバブル期は5億~15億!もした一戸建ての超高級住宅街として有名な場所「チバリーヒルズ(ワンハンドレッドヒルズ)」がある。今ではバブル期の負の遺産としてしばしばテレビで取り上げられた。園内は満開期を過ぎた「」がまだ見応え十分、最後の美しさを見せていた。(1904)






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