相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」で「タラヨウ」と「老爺柿」見つけた!!

2018-10-31 19:44:19 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に四季毎の花木の彩りで、数多くのイベントで市民のオアシス的存在の「県立相模原公園」はある。秋の彩り見せはじめた当園の「ナビステーション」前では「タラヨウ(多羅葉)」が赤い小さな実が鞠のように群れを成して熟れている。戦国時代には武士たちがこの木の葉に文を書いて送り現在の「葉書」の語源になったとも言われていね植物である。一方「衆遊の庭」では数本の珍しい「老爺柿」が一見さくらんぼのように沢山の実をつけている。この「老爺柿」は中国原産の小型の柿で食べられない「渋柿」のようである。園内をくまなく歩き観察(感撮)すると思わぬ発見の機会に遭遇する。(1810)






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「県立相模原公園」錦秋への移ろい先撮り

2018-10-31 14:43:09 | 公園・庭園
相模原市民のオアシスとなっている「県立相模原公園」の木々たちも少しずつ葉を紅、黄、橙と色とりどりの秋色に染め始めている。紅葉は落葉樹が葉を落とす前に緑色から赤色、黄色に変わる現象であり木々たちにとっては最後の命灯を燃やす老化反応であるが、年間で最も美しく、色鮮やかな「紅葉、黄葉の世界」へ誘おうとしている。園内では「りりちゃん橋」を渡って階段を降りた「グリーンハウス前」広場、「紅葉の丘」、「衆遊の庭」、噴水広場の「メタセコイア」と各所で秋色に染まり始めた。関東近県の紅葉名所の鎌倉、大山、高尾、箱根も間もなく美しい友禅染のような紅葉ワールドが始まろうとしている。(1810)









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「相模原公園」のシンボル「メタセコイア」紅葉への序章!!

2018-10-31 08:40:42 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に都市公園の一つでいつも四季の花で彩られ市民の憩いの場、オアシス的存在の「県立相模原公園」はある。当園の目玉シンボルは何といっても噴水広場の中央にあるフランス風庭園の両サイドに並んだ100本の「メタセコイアの並木」である。「生きた化石」と言われ和名は「曙杉」である。10月も終わりに近づき明日からは11月、日に日に気温も下がり始め朝夕は寒いくらいである。今夏は猛暑・猛暑が続き、メタセコイアの紅葉にはどのような影響があるのだろうか?紅葉は一般的には夏気温が高く、秋に一気に冷え込むことできれいに色づくと言われている。本日訪れてみるとまだ全体的には緑色であるが、陽当たりのいい右側、特に上部は確かに茶褐色に紅葉し始めていた。これから気温も下がり寒さが増していく。来月中旬過ぎには一気に紅葉し始めるかもしれない。青空を突き刺すようにまっすぐ伸びる相模原公園のシンボル「メタセコイア」が茶褐色~真赤色の幻想的な姿を見せてくれる日ももうそこまで近づいている。(1810)












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「県立相模原公園」の「フユザクラ」凛とした美しさ!!

2018-10-30 18:09:59 | 公園・庭園
10月も終わりに近づき朝夕はめっきり肌寒くなり季節は確実に秋へ。相模原市南区下溝に市民の憩いの場となっている「県立相模原公園」の木々も少しずつ赤やオレンジや黄色の紅葉に染まりつつある。園内の「イベント広場」と「紅葉の丘」の間に植栽されている「フザクラ(冬桜)」が今月中旬まで咲いていた花色が濃いピンク色で八重咲きの「ジュウガツザクラ」からバトンタッチされたように可愛らしい花びらを披露し見頃を迎えている。フユザクラ(冬桜)は4月上旬、11~12月と年2度開花する。花は中輪、一重咲きで白色、薄ピンクである。小葉桜ともいう冬桜とは山桜と豆桜の交配種、片や十月桜は豆桜と小彼岸桜の交配種である。桜と言えば春を代表する花であるが、秋から寒い冬に咲く「フユザクラ=冬桜」にも凛とした美しさと儚さを持ち合わせている。この時季に一足早く桜の花観賞、春とは異なった趣、風情が感じられる。(1810)






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「お助け観音」として知られる「陽廣山報恩寺」

2018-10-30 08:43:54 | 寺院
綾瀬市寺尾南に「お助け観音」として知られる曹洞宗寺院「陽廣山報恩寺」はある。創建は慶長7年(1602)。本尊は釈迦如来である。慶安二年(1649)寺領八石の御朱印状を受領、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院である。当寺の前身は800年前に源頼朝旗揚げ時に功績があった早川に住んでいた渋谷重国の子孫「渋谷重名」が住んでいた頃、名は異なるが「法音寺」があり約200年続いたとある。「おたすけ観音」の縁起は文献によると当山27世「太嶽洞源大和尚」が台湾の正蕃征伐時、山奥の作戦中滝の前で座禅中、滝の中に拝した観音様に戦友達が戦死する中で無事に帰還出来たのはこの観音様のおかげ、助けられたと感じられ「観音石像」を刻み境内に安置された。観音像を描き皆に配布、第二次大戦中「おたすけ観音」として県内を始め東京等から多くの人が参拝した。当寺は東名高速の下にあり「表門」(寺門)から石畳の参道が続き「山門」を潜ると正面に「本堂」、左手に「鐘楼」と五代将軍家綱の生母桂昌院の位牌が祀られている「観音堂」が建ち並ぶ。南側の御堂に祀る金毘羅大権現は13世雪子玄肇大和尚(1752卒)が勧請。寺尾の金毘羅様は有名で小園に今も「金毘羅道」が残る。境内の広さ18000坪、伽藍の規模から当時小本格寺院であった一端が窺える。(1810)

















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