相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

冬の花のロウバイ琥珀色に咲き輝く

2013-12-31 20:03:07 | 
相模原麻溝公園「花の谷」に今年も「ロウバイ(蝋梅)」が黄色い琥珀色の花びらを広げ咲いている。すでに七から八分咲きぐらいだろうか?花弁はよく見ると本当に蝋細工のような梅の花に見える。名に梅がついているがロウバイ科の落葉低木で中国(唐)原産で、日本へは17世紀頃渡来したようだ。花の中心部は暗紫色でその周囲が黄色という、なんとも清楚で美しくかつ不思議な花である。「先導」、「先見」という花言葉のように花の少ないこの季節(蝋月=12月)に先がけて咲く冬の花として貴重な存在である。(1401)









 
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水牛車に揺られて由布島に渡る

2013-12-30 14:50:03 | 水牛車
「マングローブクルーズ」を終えバスにて西表島の東にある「美原」に到着すると、数十頭の水牛車が待機している。これからいよいよ400メートルの遠浅の先にある「由布島」を目指し「水牛車」に乗る。定員は10名。水牛車には御者のオジィが一人、水牛を操り三線を弾きながら歌ってくれる。我々は水牛車の屋根に貼られた歌詞を見ながら一緒に歌う。速度は水牛の年齢と気分によるが。水牛が踏み出す一歩々、ゆったりと流れる時間に身を任せ、海原を眺めおおむね十数分水牛車に揺られ楽園の島:由布島に到着。今、40頭ほどいる水牛には、一頭一頭名前が付けられており壁には水牛の家系図が掲示されている。水牛は2、3歳頃になると調教を受け車を引く。車を引く時間になると「オジィ」の指示でちゃんと自分で引輪を首にかける動作はなんと健気で賢いのか。仕事がお休みの時、彼らは「水牛池」で一日中過ごすという。それは汗腺がないからということのようだ。(1306)










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東身延と呼ばれている「妙厳山本覚寺」

2013-12-28 18:15:12 | 寺院
鎌倉市小町に日蓮宗の本山「妙厳山本覚寺」はある。源頼朝が建てた夷堂があったこの地に日出僧侶が時の公方足利持氏の勧めで永亨8年(1436)創建。本尊は運慶作の釈迦三尊。身延山の久遠寺より日蓮上人のご分骨を祀っていることから「東身延」と呼ばれる。また目の病を治癒してくれる寺として「日朝さま」として親しまれていることや、江の島七福(神夷神)のひとつであることで知られる。境内には総欅作りの「本堂」、日蓮聖人のご分骨を安置する「分骨堂」、江戸時代の創建の楼門造りの「仁王門」(山門)、高床式の「八角堂」、市の文化財となっている「梵鐘」などの建造物、そして四季の様々な花に彩られる当寺に古都鎌倉の歴史と向き合ったひと時であった。(1312)







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金沢の小京都「ひがし茶屋街」

2013-12-26 11:31:32 | 建造物
金沢に茶屋街=花街が3つある。ひとつは京都の祇園と並ぶ日本の二大茶屋といわれている「ひがし茶屋」、二つ目が規模100m程度の「にし茶屋」、三ッ目が浅野川沿いにある「主計茶屋」である。その中で最も規模が大きい茶屋街が「ひがし茶屋街」で、今なお茶屋文化の息吹を受け継いでいる情緒ある界隈である。ひがし茶屋街は石畳の道の両側に紅殻格子、キムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みにお茶屋が並んでおり、江戸時代の雰囲気、面影を残している。ひがし茶屋街の中心は志摩と懐華楼が立ち並ぶ町並み、その通路だけでも見るに値する。ひがし茶屋街の周辺を散策すると、経田屋米穀店や高木味噌商店など昔ながらの古い町屋のお店などがあったり、今でも軒灯がともる茶屋から謡や三味線や太鼓の和楽器の音が今にも聞こえてきそうで日本情緒が溢れるお茶屋風情の空間がある。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台となったことで知られており、加賀百万石の城下町として栄えた証が随所に感じられる。(1203)





















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長町武家屋敷跡

2013-12-24 20:12:49 | 建造物
近代的な香林坊から数分のところにかつて加賀藩士が住まいを構え暮らした長町、今も数多くの武家屋敷跡が点在する。「長町武家屋敷跡」は、敵の侵入を防ぐために造られた袋小路といい、複雑に折れ曲がった石畳の小路といい、その両側に趣きある長屋門が続き、黄土色の土塀や武者窓の長屋はまるで藩政期の江戸時代の街角に紛れ込んだかのような、タイムスリップしたかのような錯覚を起こす風景が残っている。土塀の隙間から見える庭園や重厚な屋敷はまさに加賀百万石の城下町であったことを窺わせる。そして界隈を挟むように流れる大野庄、鞍月の二つの用水のせせらぎを聞きながら、しっとりとした情緒・風情に浸っていると、角から今にも武士でも現れてきそうな雰囲気である。無料公開している旧加賀藩士高田家跡の屋敷を見学、往時の生活・暮らしぶりの一端を垣間見ることができた。(1203)




















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