相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

町田市戦没者合同慰霊塔へ参る!!

2018-07-28 14:16:08 | 石碑・顕彰碑
町田市忠生に明治時代以降の戦没、太平洋戦争者におれる戦没者並びに戦争犠牲者の霊が祀られている「町田市戦没者合同慰霊塔」がある。この塔は昭和46年(1971)恒久的慰霊顕彰施設として完成し、2200柱を超える数多くの戦没者及び戦争犠牲者の御霊が合祭(合祀)されている。敷地面積708m2、中央に五面人型の慰霊塔、高さは15m、周りに5地区(1町4か村)合祭を表す形となっている。町田地区2基、南地区2基、鶴川地区4基、忠生地区5基、堺地区1基が祀られている。われわれはこの犠牲者の御霊に冥福を祈りつつ世界平和への祈願、努力をしていかねばならない。(1807)










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布教の始点「日蓮上人辻説法跡」

2018-06-19 08:50:45 | 石碑・顕彰碑
鎌倉市小町大路に面した一角に布教の始まりとされる場所に「日蓮上人辻説法跡」の石碑と「日蓮腰掛石」がある。この辺は屋敷町と商業町が重なる場所であり日蓮宗(法華宗)を開き建長5年(1253)、鎌倉に移り住んだ日蓮は松葉ヶ谷に草庵をむすび小町大路この辻に立って道行くその民衆、往来する多くの人々に熱心に法華経の訓えを説き、布教に努め「煩悩菩薩」、「生死即涅槃」、「南妙法蓮華経」を唱えていたという。この辻説法跡碑は日蓮信者の田中智学が建てたものである。この一帯周辺は本覚寺、妙法寺など日蓮宗のお寺が数多く残っている。今日の日本にも大きな影響を与え続ける鎌倉仏教の巨人・日蓮上人のその布教の始まりはここからであったことを教えられる。(1806)






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「相模原慰霊塔」は美しい桜ベールに包まれて!!

2017-04-04 11:36:46 | 石碑・顕彰碑
国道16号線沿いの相模原警察署前の大沼に「相模原慰霊塔」がある。ここは昭和16年に始まった太平洋戦争にここ大沼からも多くの若者が出兵し尊い命が戦禍に散った。昭和18年(1943)戦争で亡くなった人たちの霊を慰めるため陸軍の手によって忠霊塔が建てられ、昭和27年(1952)より相模原市が慰霊塔として管理下におかれた。塔内には戦死した人々の遺品や名簿が収められているという。毎年秋には慰霊と世界平和を願って慰霊祭が行われている。参道と慰霊塔は満開のとなった「桜のベール」で包み込まれていた。英霊たちもこの美しい桜景色をきっと見ているに違いない。(1704)






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鎌倉に「道元禅師顕彰碑」がある!!

2016-11-30 15:28:16 | 石碑・顕彰碑
鶴岡八幡宮の西の鳥居を出て小袋坂方面へ向かった左側にひと際大く美しい「道元禅師顕彰碑」が建てられている。鎌倉仏教曹洞宗の開祖「道元」は北条時頼に招かれ鎌倉において約半年の教化を行っている。この史跡は道元禅師と鎌倉教化を顕彰するもので道元禅師の750回大遠忌を記念して平成14年(2002年)に建立された。この碑には「只管打坐(しかんたざ)」と刻まれている。道元の禅はただひたすら「坐禅」することである。「坐禅」に打ち込むことが「修行」であると主張されている。「正法眼蔵」の著書には87巻にも及び日本における曹洞宗の真髄が記されている。(1611)






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「相模原慰霊塔」の桜 英霊に手向けられた献花!!

2016-03-31 15:52:24 | 石碑・顕彰碑
JR横浜線古淵駅から国道16号線沿いを南下すると相模原警察署前の大沼に「相模原慰霊塔」がある。ここは昭和16年に始まった太平洋戦争にここ大沼からも多くの若者が出兵し尊い命が戦禍に散った。昭和18年(1943)戦争で亡くなった人たちの霊を慰めるため陸軍の手によって忠霊塔が建てられ、昭和27年(1952)より相模原市が慰霊塔として管理するようになった。塔の中には戦死した人々の遺品や名簿が収められているという。毎年秋には慰霊と世界平和を願って慰霊祭が行われている。参道と慰霊塔の廻りには白いベールで覆うように満開の桜が寄り添っていた。まるで英霊に手向けられた自然の桜花、安らかにと手を合わせるのみであった。(1603)










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