鶴岡八幡宮の西の鳥居を出て小袋坂方面へ向かった左側にひと際大く美しい「道元禅師顕彰碑」が建てられている。鎌倉仏教曹洞宗の開祖「道元」は北条時頼に招かれ鎌倉において約半年の教化を行っている。この史跡は道元禅師と鎌倉教化を顕彰するもので道元禅師の750回大遠忌を記念して平成14年(2002年)に建立された。この碑には「只管打坐(しかんたざ)」と刻まれている。道元の禅はただひたすら「坐禅」することである。「坐禅」に打ち込むことが「修行」であると主張されている。「正法眼蔵」の著書には87巻にも及び日本における曹洞宗の真髄が記されている。(1611)
鎌倉市山ノ内に鎌倉五山第二位、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が弘安五年(1282)に創建した臨済宗寺院で円覚寺派総本山「瑞鹿山円覚興聖禅寺」はある。鎌倉時代の後半北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて弘安5年(1282)に創建。本尊は釈迦如来を祀る。室町から江戸時代幾たびかの火災に遭い衰微、江戸末期に僧堂・山門等の伽藍を復興、今の円覚寺の基盤が築かれた。その数々の伽藍・建造物群に期待が高まる目を見張った。今日、鎌倉紅葉見頃の報せに寺社巡りの始点「北鎌倉」に降り立つ。円覚寺の玄関口「総門」に上がる石段は真赤に色づいた紅葉回廊を創り出し、言葉にできない美しさを見せてくれる。そして重厚な造りの「山門」から直線に「仏殿」その奥に唐門を有する「大方丈」、左側の「居士林」、「寿徳庵」付近の紅葉は燃えるような美しさで寺域・境内を彩っている。今円覚寺は紅葉一色となって秋季のクライマックスを迎えている。(1611)
相模原市中央区鹿沼台に約5万平方メートルの敷地の中に「野球場」や「テニスコート」、昭和50年に設置の「蒸気機関車(D52)」、中央部には「白鳥池」を配する「鹿沼公園」はある。当地は昔「かぬま」と呼ばれ、葦の生い茂る湿地で、この池は巨人デイラボッチがつけた足跡が沼になったという伝説がある。春は「桜」、初夏は「あじさい」、秋は「紅葉」とその四季折々美しさは淵野辺のオアシスとして欠かせない存在と。池の傍らの小高い丘に黄金色に輝く「イチョウ」や深紅に染まった「モミジ」など落葉樹が美しい筆では描けないグラデーションとなっている。当園のアイドル「コブハクチョウ」も優雅に泳ぎながら池に写り込む紅葉を楽しんでいるようだ。(1611)
横浜市保土ケ谷区に平成12年に神奈川県神社庁の「献幣使参向神社」となった横浜市内では最も由緒の深い神社の一つとされている旧村社の「神明社」はある。創建は平安時代中頃の天禄元年(970年)で平成10年には「鎮座1030年祭」が執り行われた。祭神は天照大御神である。鎌倉時代の始め神様のお告げがあって現在の地に遷った時、伊勢神宮になぞらえて「天照大御神」を祀る御本社のほか、豊受大神宮や境内神社が祀られた。社有地は約2万m²(約6千坪)、そのうち半分は風致保安林に指定されている。相鉄線「天王町駅」より旧東海道(201)を数百メートル「大門通り」信号を右折 その先に神明社の「鳥居」、その脇には「鎮守 神明社」と刻まれた石柱や立派な燈籠が立っている。鳥居を潜って左右に燈籠、樹木がある長い参道を行くと正面に荘厳な「社殿」がある。社殿右手に「拝殿」後方に「本殿」と神明造りである。右に「神楽殿」、本殿奥に神輿庫、山車庫、社殿の周囲には天満宮・厳島社・見目社・白鳥社・火産社・山王社・山神社・雷神社・鹿島社・日之王子社・切部之王子社・稲荷社・月読社・風宮などの末社が祀られ、一千年を超える古社に相応しい「大神域」が形成されていた。(1611)
相模原新戸「新磯ふれあいセンター」前の丘陵、霊峰「雨降山」を望む緑豊かなここ新戸に建長寺の末寺、曹洞宗寺院「本鏡山常福寺」はある。創建は約700年前という古刹で本尊は釈迦如来である。当寺は春の桜、秋の紅葉と毎年数回は訪れる寺院の一つとなっている。境内に入る石段の前には樹齢400年を越える古木「しばの木」が聳え悠久の時を刻んでいる。当寺は相模原の禅寺として江戸時代には「寺子屋」を開き、後の「新戸学校」は当地の学問の中核をなし、今もその文化歴史を継いでいる。もうすぐ師走、相模原にも紅葉の季節とともに山門前にある数本のモミジも深紅に色づきはじめ華やかな錦秋の世界を創り始めている。紅葉、枯山水の庭園、本堂横の竹林と四季の移ろいに溢れ心癒される寺域となっている。(1611)