相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

江戸時代は繁栄を極めた「大宝山竜泉院長安寺」

2019-08-31 15:30:13 | 寺院

渋谷区に浄土宗の寺院「大宝山竜泉院長安寺はある。創建は寛文5年(1665)。開基は品誉長悦で当初赤坂に創建後、年代は不詳ながら原宿村に移転した。明治維新後、当寺の寺子屋児童などが収容されて当寺向かいに隠原小学校が開校した本尊は阿弥陀如来(木彫りの立像)原宿の高台に位置し後背には外苑西通りがあり、住宅街の一角に「寺号標」(寺門)が構えられその「正面」に本堂がある。当寺の地蔵尊は大和矢田寺の僧満米の作で世に「満米地蔵」として信仰すれば米の尽きることないと著名であった。江戸時代相当に栄えた寺らしく長安寺の赤門」は著名であった。墓所には江戸時代の狂歌師・亀玉堂亀玉の墓がある。本堂前には唯一真っ黄色の花「エンゼルトランペット」が咲き境内を彩っていた。(1908)

 

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こんにゃくえんまで知られる「常光山源覚寺」

2019-08-31 09:50:30 | 寺院
文京区小石川に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得てい浄土宗の寺院「常光山源覚寺」(西向院)はある。寛永元年(1624)定誉随波上人によって創建。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したが、「こんにゃくえんま像」や本尊は難を逃れた。その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた。境内には1979年に再建の朱塗りの「本堂」、眼病に効力があるという閻魔王が祀られている「閻魔堂」、また小石川七福神の一つ「寿老人」の「毘沙門天像」「南洋群島物故者慰霊像」「塩地蔵尊」がある。夏目漱石の「こころ」、樋口一葉の「にごりえ」にも「こんにゃく閻魔」は登場する。(1908)





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武相総鎮護の「座間神社」例大祭へ!!

2019-08-30 19:39:31 | 神社
武相総鎮護、古くから「相模の飯綱様」と親しまれている「座間神社」において毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされる「例大祭」(夏祭り)が今日開催された。午前10時からは例大祭祭典斎行、午後4時から中原宿3地区のこども囃子が奉納された。舞台前には囃子の父兄、一般来場者で埋め尽くされている。心地よいリズミカルな太鼓の音が境内に鳴り響いた。午後6時30分からは余興と歌謡ショー等が行われる。そしてその間の2回のお楽しみ抽選会予定されている。(1908)






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磯部の古刹「磯平山能徳禅寺」

2019-08-30 10:27:52 | 寺院
相模原市南区磯部頭首口の近くに曹洞宗の寺院「磯平山能徳禅寺」はある。創建は室町時代末期(1500年)頃。本尊は如意輪観音である。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元の流れをくむ下溝の「天応院」の末寺である。禅寺の山門の脇には「不許葷酒入門」という戒壇石に刻む句がある。「山門」を抜けると正面に大きい入り母屋づくりの「本堂」、手前に「鐘楼」、左手のやや小高い丘には白い「観音像」が見守る。山門前には六地蔵、秋には鐘楼前の「イチョウ」が黄金色に、観音像の周辺の「カエデ」が紅く色づく。今、境内の一角ではサルスベリがピンクの花でが内を彩っている。(1908)




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青山の総鎮守「青山熊野神社」

2019-08-30 09:58:08 | 神社
渋谷区神宮前に青山の総鎮守「青山熊野神社」はある。当初の社号「熊野大権現」から明治維新時の神仏分離の令により明治2年(1869)に「青山熊野神社」と改称された。創建は元和5年(1619)徳川頼宣卿の邸内に奉斎されていた御宮を正保元年現在地に移遷し、翌年に本殿・拝殿他が造営された。祭神は五十猛ノ命、大屋津姫ノ命、抓津姫ノ命、伊弉冊ノ命の4柱を祀る。当社は植林、樹林の神様として特に建築関係の人々に深く敬神の念を受けている。青山通りから左折、持法寺、高徳寺の先に鎮座している。「鳥居」を抜けると境内正面に朱色鮮やかな「拝殿」があり、右に「社務所」と手水舎がある。また境内社として秋葉神社、伏見稲荷神社、御嶽神社がある。当社は「江戸名所図会」にも描かれている江戸の名所の一つであり悠久の刻が流れている。(1908)






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