神奈川県横浜市中区日本大通にR.H.ブラントンの設計により明治3年頃に完成した日本で初めての「西洋式街路」の「日本大通り」はある。400mもあるこの通りには「横浜税関」や「神奈川県本庁舎」、横浜開港資料館、横浜地方裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など歴史ある建造物が多く立ち並んでいる。先週4月12日(金)から~5月6日まで開催されている「第41回よこはま花と緑のスプリングフェア2019(ガーデンネックレス横浜2019連携イベント)」の会場の一つとなっており今、花で埋め尽くされ横浜に春の訪れを告げている。横浜公園から山下公園、赤レンガ倉庫がある海の方面へと繋ぐ400mの大通りの両サイドには花壇が設けられチューリップを中心に様々な花によって彩られカラフルな「花回廊」と化し華やかな通りとなっている。(1904)
横浜の「大さん橋埠頭」は1894年(明治27年)の完成以来、日本の「海の玄関」となった。現在の横浜港大さん橋国際客船ターミナルは2002年(平成14年)個性的なデザインと斬新な構造の空間美を持ち、日本を代表する港にふさわしい客船ターミナルとしてリニューアルオープン。客船の入出港やみなとみらい地区、ベイブリッジなど港の景観を360度のパノラマで眺めることができる。芝生の広場もあるのでゆっくりとした時間を過ごすことができる。大型客船は停泊していなかったがちょうど訪れた日は「スター・レジェンド」9,975トン、全長:134mが白色の巨体で入港着岸しており夕刻の18:00ころ清水へむけて出港(離岸)予定のようである。いろんな船種とみなとみらい地区の眺望はどこか外国にでも来ているような錯覚に陥ってしまう。(1904)
東京都台東区上野公園内に村社の社格の「花園稲荷神社」はある。創建年代は不詳であるが本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くから此の地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となるときに社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に約2000坪あったが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1000坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(1904)
千葉市緑区おゆみ野中央に「浜幸」(浜田幸一)と関係があるとかないとか囁かれている寿司&創作料理の「一幸」あゆみの店へ会食に訪れた。日本旅館を思わせる一軒家的店構え、創業25年という歴史がある。新鮮な海の幸を堪能できる寿司をはじめ和食、素材を活かした創作料理など、幅広い料理がいただけるのが魅力。五時半スタート、いよいよコースのような国産牛カルビ鉄板焼き、九彩盛り エビの網春巻き、牛すき焼きと海鮮の二色重が席に運ばれてきた。ワンドリンクサービス、自家製紅茶ゼリーに特製デザートプレートのプレゼント付きであった。静かな趣ある個室という空間での美味な食事を堪能した。(1904)