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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

江戸幕府より寺領11石4斗拝領した「八幡山本願寺」

2025-04-25 09:16:15 | 寺院
府中市白糸台に浄土宗寺院「八幡山本願寺」は鎮座している。藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来が本尊である。当寺は頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来を当地に祀ったことが始まりである。開山は教誉良懐。その後、総州の人大久保彦四良兵火に焼かれたお堂を再建、永正13年(1516)鎌倉「光明寺」の教譽良懐上人を中興開山に迎えて中興開山、天正2年(1574)宮崎久兵衛尉泰重(法名廣得院殿長譽月山道鑑居士、慶長4年1599年没)が造営、江戸時代には幕府より寺領11石4斗の御朱印状を拝領している。本尊は阿弥陀三尊木像。「山門」より入山すると正面に入り母屋づくりの「本堂」(七間四方)、右に庫裏がある。境内左には「薬師堂」、境外には当寺の守護神である「八幡神社」がある。(2504)
 
 
 
 
 
 
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観音霊場札所の「龍淵山天応院」〜桜回顧!!

2025-04-24 07:24:20 | 寺院
相模原市南区原当麻駅近くに栃木佐野の「天應院」が興りとされる曹洞宗寺院「龍淵山天応院」は鎮座している。明応4年(1495)季雲禅師が開山。当地を所領していた北条氏照の娘貞心尼が中興開基。創建(伝)は慶長元年(1596)。本尊は虚空蔵菩薩(十一面観音)。慶安3年(1650)に9石7斗の朱印を拝領、徳川家光の養育役の青山忠俊が再中興し墓所も境内一画にある。明治6年管内区画改正時、県内が20区の下に185の番組が置かれ、相模原は20組に属した時の役所が当寺に設置された。両脇には雷神、風神像を配した「山門」を抜けると石畳の参道、その両脇の幾つもの石碑が建てられている。その先に6年前に完成した入り母屋造りの「大本堂」と「庫裏」、「客殿」、本堂前に「道元禅師像」、左に下溝より移築した「薬師堂」がある。最近六体の「南無六道能化地蔵菩薩」も造られた。当寺は磯部の「能徳禅寺」を擁している。当寺は「武相四十八ヶ所観音霊場32番」、「関東九十一薬師霊場19番」の札所である。(2504)
 
 
 
 
 
 

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東叡山寛永寺の伽藍の一つ「清水観音堂」

2025-04-23 07:29:35 | 寺院
台東区上野(公園)に寛永8年(1631)に建立の天台宗「東叡山寛永寺」の伽藍の一つ「清水観音堂」はある。寛永2年(1625)天海大僧正が二代将軍「徳川秀忠公」寄進の上野の山に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山。これは比叡山が京都御所の鬼門を守るという思想を江戸にも導入し江戸城の鬼門の守りとした。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つ「清水観音堂」が「京都の清水寺」を見立てたお堂である。清水観音堂には京都の清水寺安置と同じ「千手観世音菩薩像」が奉納されている。初めは上野公園内の「擂鉢山」に清水寺と同じ舞台作りで建てられたが元禄初期に今の噴水広場の地に「寛永寺総本堂」の「根本中堂」建設により元禄7年(1694)に現在地に移築された。上野の山に現存する創建年時の明確な最古の建造物で国指定重要文化財に指定されている。観音堂の前境内に配された「月の松」は江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月の松」として描かれおり皆が必ず「不忍池」方向を眺める名所となっている。(2503)
 
 
 
 
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玉川八十八ヶ所霊場の「瑠璃光山長福寺」

2025-04-20 10:38:14 | 寺院
川崎市中原区上小田中に同郡小杉村西明寺の末、真言宗智山派寺院「瑠璃光山長福寺」(薬王院)は鎮座している。当寺の創建年代は不詳だが、新編武蔵風土記稿の編纂された文化文政年間(1804-1829)にあった当寺の過去帳には歴代住職の中に法印良僅(天文23年1554年寂)という記載があることから、戦国時代以前の創建と思われる。本尊は大日如来像。武蔵中原より中原街道を進むこと数分、左側の奥の住宅街の一画に構えられている「山門」より入山すると「薬師堂」、正面に入母屋造りの「本堂」(安永4年=1775)がある。当寺は玉川八十八ヶ所霊場25番札所である。(2503)

 
 
 
 
 

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旗本上田家の菩提寺「宝林山泉沢寺」

2025-04-18 19:31:30 | 寺院
川崎市中原区上小田中に浄土宗寺院「宝林山泉澤寺」は鎮座している。創建は延徳3年(1491)、開山は好善、開基は吉良頼高氏の菩提寺である。本尊は阿弥陀如来。当寺の前にはかつての中原街道の「県道45号線」が通っている。「中原街道」は東海道の脇街道で交通の要所であり、大正時代までは「門前市」が立ったほどである。当寺は元々(1491年=延徳3)は武蔵国多摩郡烏山村(世田谷区烏山)にあったが、天文19年(1550)に領主の吉良頼康によって現在地に移転した。江戸時代には上田元俊を初代とする旗本上田家の菩提寺となった。移転時に頼康は上丸子山王社に釈迦如来像を奉納し、武運長久を祈ったという。現在「釈迦如来像」は上丸子山王社の旧別当寺だった「大楽院」に移されている。「寺号標」(山門)より入山すると正面に入母屋造・銅板瓦棒葺の「本堂」(安永7年再興)、左に有形文化財で格式の高い袴腰付の形式の「鐘楼」がある。屋根は切妻造、瓦葺で建立年代は18世紀後期頃とされる。当寺は準西国稲毛三十三所観音霊場17番札所である。(2503)
 
 
 
 
 
 
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