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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

座間栗原の鎮守「栗原神社」境内で咲く「ザクロ」の花と一会!!

2025-05-27 16:14:32 | 神社
座間市栗原中央に栗原の鎮守で「相模の弥市」と言われた当地の豪農「大矢家」の先祖が天正元年(1573)に「王子大権現」を勧請して祀ったのが始まりである「栗原神社」は鎮座している。創建は天正元年(1573)。祭神は豊受大神、天御柱命、稚日留女命、道反大神、国御柱命。44号線、246号線立野台信号を左折、坂の左側目久尻川傍に鎮座している。「鳥居」を抜け境内へ入ると正面に「拝殿」、右に社務所、その前には石橋が掛けられた「小さな池」がある。「社殿」左奥にあった市の天然記念物の樹齢500年の「シラカシ」は切られて無くなった。当社は平成25年に「社務所」や「神楽殿」が全焼、古文書「栗原寺社村鏡」の写本が焼失したが再建された。境内一画に植る5本の「ザクロ」がオレンジ色の花を数十個つけていた。(2505)
 
 
 
 
 
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地区の心の安らぎの拠り所「大野台御嶽神社」

2025-05-22 07:29:18 | 神社
相模原市南区大野台に昭和22年(1947)に中淵野辺の皇武神社からご神体の日本武尊を分祀し創祀された「大野台御嶽神社」は鎮座している。記念石碑によると由来はこの地域の大部分がまだ山林であり、相模原が町制を施行した昭和16年(1941)、北海道からの先駆開拓者の定着営農により土地を開拓、それに京浜地区からの疎開者とともに戦前、戦後を通じ食糧の確保増産に寄与とあり、戦後直後の混乱の時代「心の安らぎの拠り所」とした。「鳥居」を抜けると正面に「拝殿」、右に「社務所」、50周年記念碑がある。(2505)
 
 
 
 
 
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小田原栄町の鎮守「笠守稲荷神社」

2025-05-21 07:26:02 | 神社
小田原市栄町に笠になって「巴御前」を救った白狐の逸話が伝わる「笠守稲荷神社」は鎮座している。創建年代は不明だが、女武将として伝えられている「巴御前」(平安時代末期の信濃国の女性)を救った白狐を祀ったとされる祠が起源と言われている。境内の掲示縁起には「当笠守稲荷神社は元小田原寺町に天正8年(1590)創立の花葉山一乗院龍雲寺に安置されていた。伝では木曾義仲の夫人巴御前がこの街道を通り掛った時計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の「白狐」現われ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由、その縁をもって人々同地に祠を造り「笠守稲荷」として崇め多くの人々から敬信され年月を経て来た後、龍雲寺が誓願寺に合併され廃寺となったが、明治16年に足柄上郡沼田「西念寺」の松蔭宣龍上人の発願で現在の地に新寺建立、寺名を改めて華葉山龍雲院善光寺と称してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来た。その後、新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀るため現在地に移し、篤信者の援護により「堂宇」完成、人々の参詣後を絶たず当時近くに遊郭新開地有り婦人等の敬信殊に厚くいつしか「笠守」が変じて「瘡守」と呼ばれる様になり、時代も変りその後旧名に改め「笠守稲荷」として人々の篤き信仰の表徴として永く加護される様になった」とある。小田原市内栄町を通る国道255線の左側の住宅街一画に縁起の「掲示板」が掲示され「鳥居」「木製の赤い鳥居」が続き、その奥に「祠」(堂宇)がある。(2505)
 
 
 
 
 
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「ダイナリサン」と親しまれている「大稲荷神社」

2025-05-20 07:27:17 | 神社
小田原市城山に正一位大稲荷大明神として「ダイナリサン」の名で親しまれている「大稲荷神社」は鎮座している。小田原城北条時代の天正18年(1590)に創建された由緒ある神社でかつては「田中稲荷」と称していた。宝永3年(1706)小田原城主大久保加賀守忠増によって現在地谷津山に勧請され、谷津村、竹の花町、須藤町、大工町の鎮守として「大稲荷神社」と称した。小田原城北条時代に修験者が旧竹ノ花地区内に建立した「修験堂」、武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身、当地を釆地として賜り「修験堂」に稲荷大明神を祀ったことが興りである。御祭神は商売繁盛と方位除けの「田中大神」と「宇迦之御魂大神」である。平成18年、江戸時代の宝永3年(1706)に鬼門除の稲荷として再興してから300年を迎え「三百年祭」が執り行われた。「福泉寺」の手前に大きい「赤い鳥居」が構えられている。境内参道右に「社務所」、左に「神輿庫」がある。直進すると左側に本殿、右に境内社の「愛宕神社」と「錦織神社」(テニスの錦織選手も訪拝)、官位稲荷、田中稲荷がある。両社の本殿の彫刻は素晴らしく、特に「愛宕神社」の花鳥彫刻、獅子頭・波と鯉、巻物を手に馬に乗る人、龍に跨る人と施されている精緻な彫刻は「左甚五郎」作といわれている。(2505)
 
 
 
 
 
 
 
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座間栗原の鎮守「栗原神社」

2025-05-15 07:18:11 | 神社
座間市栗原中央に栗原の鎮守で「相模の弥市」と言われた当地の豪農「大矢家」の先祖が天正元年(1573)に「王子大権現」を勧請して祀ったのが始まりとされる「栗原神社」は鎮座している。創建は天正元年(1573)。祭神は豊受大神、天御柱命、稚日留女命、道反大神、国御柱命。44号線、246号線立野台信号を左折、坂の左側目久尻川傍に鎮座している。「鳥居」を抜け境内へ入ると正面に「拝殿」、右に社務所、その前には石橋が掛けられた「小さな池」ではコイが泳いでいる。「社殿」左奥にあった市の天然記念物の樹齢500年以上といわれる古木「シラカシ」は切られて無くなっていた。平成25年(2013年)に「社務所」や「神楽殿」が全焼、当社の古文書「栗原寺社村鏡」の写本なども焼失したが再建された。江戸時代からこの地区の鎮守であり今も伝わる祭囃子は昭和43年(1968)市指定重要文化財に指定されている。新年も10日を過ぎ静寂な神域を見せていた。(2505)
 
 
 
 
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