相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

明神様「鈴鹿明神社」~紅葉に纏われた境内!!

2017-11-30 15:09:30 | 神社
座間市入谷にお明神様として親しまれている「鈴鹿明神社」はある。創建(伝)は第29代欽明天皇の御代(539年?〜571年?)で、江戸時代には当社が鎮座する座間宿村と入谷村の総鎮守となっていた。主祭神は伊邪那岐命、素戔鳴尊である。「鳥居」を抜けると右手に「神輿殿」、「手水舎」、「座間市戦没者慰霊碑」、正面に荘厳な「拝殿」、右手に「神楽殿」、「祖霊社」、「参集殿」がある。「鳥居」から「拝殿」までの参道、神域は赤やオレンジ、そして黄色に変化した「紅葉・黄葉」のグラデーションとなっている。特に「拝殿」左横のには数本のモミジが美しく照り輝く「照葉」、「赤朽葉」と化している。後方にはイチョウが黄色く色づき境内は今、クライマックスの美を魅せている。(1711)










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坂東霊場「妙法山星谷寺」 境内はイチョウの絨毯へ!!

2017-11-30 12:45:17 | 寺院
座間市入谷に市最古の古刹で坂東33所霊場第8番札所「星の谷観音」と呼ばれている真言宗寺院「妙法山星谷寺」はある。創立(伝)は天平年間(729~749年)、本尊は聖観世音菩薩である。江戸時代には大山講で賑わった当寺は「基地は山叡幽邃にして清泉せん湲たり星影水中に映じ暗夜も白昼の如くなれば土人星谷と呼べり」とあり、寺号はこの故事に由来している。当寺には「寝下がり紅葉」、日本最古の「梵鐘」、「星の井戸」、季節はずれの「不断開花の桜」、「楠の化石」、「咲き分け散り椿」、「観音草」など七不思議の寺といわれている。「本堂」前に御神木だろうか2本の「イチョウの木」が真黄色に色づき、落ちた葉が境内一面、まるで絨毯を敷き詰めたかのような幻想的な美しさとなっている。(1711)






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麻溝公園の「イチョウ並木」も鬱金色に輝く !!

2017-11-30 08:32:20 | 公園・庭園
相模原市下溝に「相模原公園」と並んで相模原市民のオアシスとなっている「相模原麻溝公園」はある。麻溝公園のP1駐車場からポニー乗馬場側と女子美大の間の道路に約30本ほどの「イチョウ」の樹が黄金色に鬱金色(うこんいろ)に黄葉し「イチョウ回廊」&「イチョウ並木」が出来上がっている。既に道路には役目を終えた落ち葉が重なり絨緞を敷き詰めたかのように真黄色になっている。今、イチョウの黄葉、モミジの紅葉と麻溝公園、相模原公園は紅葉絵巻を見ているかのような錦秋の彩りで染まっている。(1711)






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旧下溝村の鎮守「下溝八幡宮」の紅葉!!

2017-11-29 20:28:38 | 神社
相模原市南区下溝に「補陀山清水寺」から北へ数百メートル先に上溝の亀ヶ池八幡宮から分霊を祀る「下溝八幡宮」はある。天文年間1532~1555年に上溝と下溝の両村に分かれた際に旧下溝村の鎮守として建立される。祭神は応神天皇である。鳥居を抜けると参道の両側には大きなモミジの木があり、秋にはきれいな紅葉を見せる。周囲は大きな木で覆われ静寂な慎ましい神域を創造している。正面に5年前(2012年4月)火災が起こり全焼し、再建されたばかりの「拝殿」がある。その横には相模原市指定有形文化財(彫刻)に指定されている木造の「不動明王坐像」(享保9年=1724年後藤左近藤原義貴作)を安置する「不動堂」がある。かえでの紅葉が神域を美しく彩っていた。(1711)






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観音及び薬師霊場の「龍淵山天応院」も紅葉に染まる!!

2017-11-29 17:37:09 | 寺院
原当麻駅近くに佐野(栃木県)の天應院が興りとされる曹洞宗寺院「龍淵山天応院」(相模の清流に因んだ名称)はある。明応4年(室町時代1495)季雲禅師が開山、この地方を所領していた北条氏照の娘貞心尼によって中興開基の伝えがある。創建(伝)は慶長元年(1596)。本尊は虚空蔵菩薩(十一面観音)。慶安3年(1650)9石7斗の朱印を拝領、徳川家光の養育役の青山忠俊により再中興されている。天応院の役割は明治6年管内区画改正により県内が20区に分けられ、その下に185の番組が置かれ相模原は20組に属した時の役所が当寺に設置されたという。両脇には雷神、風神像を配した「山門」を抜けると石畳の参道、その両脇の数多くの石碑が建てられている。その先に五年前に落慶した「本堂」と「庫裏」、「客殿」があり、左に下溝(松原集落)より移転した「薬師堂」、がある。徳川家光の養育役であった青山忠俊の墓所もある。当寺は「武相四十八ヶ所観音霊場32番札所」、「関東九十一薬師霊場19番札所」でもある。(1711)













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