相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

国指定史跡「勝坂遺跡公園」を訪ねて!!

2024-10-29 07:31:08 | 史跡・遺跡
相模原市南区磯部勝坂に当地区の勝坂大尽と呼ばれた「中村家」の農地から大正15年(1926)に約5000年前の縄文時代中期の大集落跡が発見され関東地方の標式遺跡、国指定史跡となった「勝坂遺跡公園」はある。大山柏考古学者が発掘・発見の縄文土器は立体的な装飾の文様や顔面把手など希少特徴があり縄文時代中期の目安、貴重性が認められ「勝坂式土器」と命名された。同時に発見された多くの「打製石斧」も土を掘る道具と考えられ縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。昭和48年(1973)の発掘で発見された集落の一部2ha「勝坂遺跡D区」が昭和49年、55年、59年に国の史跡として順次指定された。D区の東方、谷を隔てた台地に位置する「勝坂遺跡A区」では平成17年(2005)の発掘調査で発見された集落の一部、磯部字中峰2097番1ほか3,797㎡が平成18年に新たに追加指定となった。勝坂遺跡周辺は起伏に富んだ自然の地形に緑豊かな斜面樹林や湧泉など、縄文人が長く暮らし続けた豊かな自然環境が今なお残っている。遺跡はA~Dの各区に分けられ、その総面積は5万㎡を超える。平成21年に「大自然の中の縄文時代を体感」できる「勝坂遺跡公園」が完成した。園内には縄文集落が再現され「土葺き竪穴住居」「笹葺きの竪穴住居」の2棟と周辺には竪穴住居廃絶後の「窪地」、「縄文生活林」、「埋没谷」なども復元された。また公園西側「勝坂遺跡D区」の一角に海老名の「有鹿神社」の「奥宮」として有鹿比女命が祀られ鎮座する。この公園がかつての縄文人が農耕生活、暮をしていた場所かと思うと「古代ロマン」に満ち溢れている。(2410)
 
 
 
 
 
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平塚発祥の地「平塚の塚緑地」

2024-07-18 07:24:30 | 史跡・遺跡
平塚市平塚4丁目、日蓮宗寺院「要法寺」の西隣に平塚発祥の地、当地地名の由来となったとされる史跡「平塚の塚緑地」はある。平安時代の中期、天安元(857)年、桓武天皇の孫・高見王の娘である政子が京都から東国に下る途中にこの地で没し、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らだったことから「平塚」という地名たなったと伝わる。現在は石造りの杭に囲まれた高さ1mほどの塚が築かれ中央が元平塚市長「戸川貞雄」揮毫の「由来碑」(眞砂子と表記)、左側が「平塚碑」(政子と表記)が建てられている。傍らに政子が葬られて以来三代目とされる「松の巨木」が植えられている。平塚の歴史の古さが伝わってくる場所である。(2407)
 
 
 
 

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「東京都埋蔵文化センター」には発掘された縄文土器が展示!!

2023-12-12 07:32:32 | 史跡・遺跡
多摩市稲城、多摩、八王子、町田の4市に跨る東西14km、南北2~4km、総面積3000haという広大な丘陵内に点在している1000ヶ所に「多摩ニュータウン遺跡群」がある。多摩ニュータウンを開発時、昭和41年(1966)より40年の歳月をかけ770ヶ所の遺跡を発掘してきた。出土した縄文土器は多摩市落合の「東京都埋蔵文化センター」に後期旧石器時代、縄文時代早期から中期、縄文時代の土偶、古墳時代後期、奈良時代、平安時代から鎌倉時代の土器が展示されている。土器土偶の一つ一つに各時代の生活ぶりが窺える。隣接する遺跡庭園「縄文の村」は縄文時代集落の縄文前期の住宅跡2軒、中期の住居跡5軒がその保存を目的に整備された。(2312)
 
 
 
 
 
 




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多摩ニュータウン遺跡群の中の遺跡庭園「縄文の村」

2023-12-12 07:31:51 | 史跡・遺跡
多摩市稲城、多摩、八王子、町田の4市に跨る、東西14km、南北2~4km、総面積3000haという広大な丘陵内に点在している1000ヶ所に「多摩ニュータウン遺跡群」がある。多摩ニュータウンを開発時、昭和41年(1966)より40年という歳月をかけ770ヶ所の遺跡を発掘してきた。出土した縄文土器は多摩市落合の「東京都埋蔵文化センター」に展示されている。隣接する遺跡庭園「縄文の村」は多摩ニュータウンNo.57遺跡(縄文時代集落=縄文前期の住宅跡2軒、中期の住居跡5軒、落とし穴)が発掘、その保存を目的に整備された。現在ここにはには3棟の復元住居がある。村全体は当時の姿を再現した「縄文の森」、その森の中にひとつは「4500年前の敷石住居」、二つ目は「6500年前の竪穴住居」、3つ目は「5000年前の竪穴住居」、そして「湧水」、「竪穴住居の模型」が復元されている。かつての「縄文人」の暮らしぶりに思いを馳せられる貴重なエリアである。(2312)
 
 
 
 
 
 
 

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関東地方の標式遺跡、国指定史跡「勝坂遺跡公園」を訪ねて!!

2023-10-31 07:28:34 | 史跡・遺跡
相模原市南区磯部勝坂に当地区の「勝坂大尽」と呼ばれた「中村家」の農地から大正15年(1926)に約5000年前の縄文時代中期の大集落跡が発見され関東地方の標式遺跡、国指定史跡となった「勝坂遺跡公園」はある。大山柏考古学者が発掘・発見の縄文土器は立体的な装飾の文様や顔面把手など希少特徴があり縄文時代中期の目安、貴重性が認められ「勝坂式土器」と命名された。同時に発見された多くの「打製石斧」も土を掘る道具と考えられ縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。昭和48年(1973)の発掘で発見された集落の一部2ha「勝坂遺跡D区」が昭和49年、55年、59年に国の史跡として順次指定された。D区の東方、谷を隔てた台地に位置する「勝坂遺跡A区」では平成17(2005)年の発掘調査で発見された集落の一部、磯部字中峰2097番1ほか3,797㎡が平成18年に新たに追加指定となった。勝坂遺跡周辺は起伏に富んだ自然の地形に緑豊かな斜面樹林や湧泉など、縄文人が長く暮らし続けた豊かな自然環境が今なお残っている。遺跡はA~Dの各区に分けられ、その総面積は5万㎡を超える。平成21年に「大自然の中の縄文時代を体感」できる「勝坂遺跡公園」が完成した。園内には縄文集落が再現され「土葺き竪穴住居」「笹葺きの竪穴住居」の2棟と周辺には竪穴住居廃絶後の「窪地」、「縄文生活林」、「埋没谷」なども復元された。また公園西側「勝坂遺跡D区」の一角に海老名の「有鹿神社」の「奥宮」として有鹿比女命が祀られ鎮座する。この公園がかつての縄文人が農耕生活、暮をしていた場所であったかと思う当園は「古代ロマン」に満ち溢れている。(2310)
 
 
 
 
 
有鹿神社「奥宮」
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