板倉聖宣氏の講演から学んだこと
このレポートは、茨城県教育研修センターの研修講座で、「理科研究のレポート」を提出するように言われたとき、提出したものです。
どうして、私が、「教科書をはなれて」、仮説実験授業をするようになったかを、板倉氏の講演を参考にしながら、コメントをくわえるという形で提出したものです。県からは、このレポートに対しては、なにも異論は出ませんでした。
板倉氏の講演は、「理科離れ克服の道」と題したものです。氏の国立教育研究所の退官記念講演でもありました。
★板倉氏
「国立の研究所で、しかも教育内容を改善するために研究するのであれば、指導要領は無視するしかない。指導要領準拠でやったら、教育内容を改善することなどできっこない。
【コメント】 私の勤務した学校(真壁・鬼怒商・笠間)は、教科書通りには授業がすすまないのがわかっていたから、学習指導要領はほとんど無視して授業を進めたのは正解であった。
★板倉氏
日本国民の大部分は、小学校3~4年程度の学力だと考えています。教育学者の方々も、理科に関しては小学校4年生程度の学力があるに過ぎないと思います。それで十分生きていけます。それでかまわないのですが〈科学に対する好奇心をなくす〉ということだけはあってほしくない。小学校4年生の学力でいいから〈科学に対する興味を失わず、必要になったら科学を学び直す〉という形でいてほしいと思っています。
【コメント】 この子らの関心をあつめる授業は、受験勉強とはちがう。
★板倉氏
「自分には理解できっこない」と思うと、多くの人々は科学の進歩が怖くなって、その進歩を無条件で支持できなくなってしまうのです。科学の内容は、普通の人たちが端から端まで全部理解できるはずはありません。けれども、「俺だってちょっと努力すれば理解できそうだ」という可能性を示しておかないと、人々に嫌われるようになりかねないのです。
【コメント】 だれだって、わからないことは好きになれない。
★板倉氏
科学教育の実験プランを考えるときは、一般に安い道具を使って簡単明瞭な実験をすることが大切だと思っています。簡単な構造なもので何か面白い現象がおこれば、これはファンダメンタルな現象ということになるでしょう。そういうファンダメンタルな現象なら、多くの人々の興味の対象になります。この働きは自分にも理解できそうだということになります。
【コメント】 教員なりたての頃、PSSC物理の全盛時代で、「記録タイマー」をつかって、落下運動の解析に3時間もかけたのは何だったのか。
★板倉氏
生徒自身に実験させるようにすると、授業がたのしくなるという人がいますが、その楽しさは、〈解放されるから楽しい〉というのが大部分です。
【コメント】 そうかもしれない。そういう時間もあってもいい。
★板倉氏
理科離れを克服する最良の方法は、教師にとっても、生徒にとっても楽しい授業をするようにすればいいのです。
【コメント】 教師にとって楽しい授業をさがしてやっています。
★板倉氏
理科離れをいう人は、何かというと、今の若い人たちは、子どもたちは好奇心がないと考えています。しかし、昔と今では興味関心のあり方が違っているだけなんです。好奇心はどういうものであるかという研究は全然進んでいません。実は仮説実験授業の研究はそこから始まっているのです。
【コメント】いままでの授業よりは、生徒は仮説実験授業に興味をしめしています。
★板倉氏
教育は創造だという人がいますけども、教育の基本的精神は〈ものまね〉です。人間は自我があるから、うまく模倣するためには創造性が必要なんですね。
【コメント】他人のつくった仮説の受業書をそのままやるのは、はじめ抵抗があったが、模倣することも他人にまねできない創造だと思い、いま仮説実験授業を続けています。何を模倣するかは、あくまでも自分の決断ですから。
(1995年10月 記)
このレポートは、茨城県教育研修センターの研修講座で、「理科研究のレポート」を提出するように言われたとき、提出したものです。
どうして、私が、「教科書をはなれて」、仮説実験授業をするようになったかを、板倉氏の講演を参考にしながら、コメントをくわえるという形で提出したものです。県からは、このレポートに対しては、なにも異論は出ませんでした。
板倉氏の講演は、「理科離れ克服の道」と題したものです。氏の国立教育研究所の退官記念講演でもありました。
★板倉氏
「国立の研究所で、しかも教育内容を改善するために研究するのであれば、指導要領は無視するしかない。指導要領準拠でやったら、教育内容を改善することなどできっこない。
【コメント】 私の勤務した学校(真壁・鬼怒商・笠間)は、教科書通りには授業がすすまないのがわかっていたから、学習指導要領はほとんど無視して授業を進めたのは正解であった。
★板倉氏
日本国民の大部分は、小学校3~4年程度の学力だと考えています。教育学者の方々も、理科に関しては小学校4年生程度の学力があるに過ぎないと思います。それで十分生きていけます。それでかまわないのですが〈科学に対する好奇心をなくす〉ということだけはあってほしくない。小学校4年生の学力でいいから〈科学に対する興味を失わず、必要になったら科学を学び直す〉という形でいてほしいと思っています。
【コメント】 この子らの関心をあつめる授業は、受験勉強とはちがう。
★板倉氏
「自分には理解できっこない」と思うと、多くの人々は科学の進歩が怖くなって、その進歩を無条件で支持できなくなってしまうのです。科学の内容は、普通の人たちが端から端まで全部理解できるはずはありません。けれども、「俺だってちょっと努力すれば理解できそうだ」という可能性を示しておかないと、人々に嫌われるようになりかねないのです。
【コメント】 だれだって、わからないことは好きになれない。
★板倉氏
科学教育の実験プランを考えるときは、一般に安い道具を使って簡単明瞭な実験をすることが大切だと思っています。簡単な構造なもので何か面白い現象がおこれば、これはファンダメンタルな現象ということになるでしょう。そういうファンダメンタルな現象なら、多くの人々の興味の対象になります。この働きは自分にも理解できそうだということになります。
【コメント】 教員なりたての頃、PSSC物理の全盛時代で、「記録タイマー」をつかって、落下運動の解析に3時間もかけたのは何だったのか。
★板倉氏
生徒自身に実験させるようにすると、授業がたのしくなるという人がいますが、その楽しさは、〈解放されるから楽しい〉というのが大部分です。
【コメント】 そうかもしれない。そういう時間もあってもいい。
★板倉氏
理科離れを克服する最良の方法は、教師にとっても、生徒にとっても楽しい授業をするようにすればいいのです。
【コメント】 教師にとって楽しい授業をさがしてやっています。
★板倉氏
理科離れをいう人は、何かというと、今の若い人たちは、子どもたちは好奇心がないと考えています。しかし、昔と今では興味関心のあり方が違っているだけなんです。好奇心はどういうものであるかという研究は全然進んでいません。実は仮説実験授業の研究はそこから始まっているのです。
【コメント】いままでの授業よりは、生徒は仮説実験授業に興味をしめしています。
★板倉氏
教育は創造だという人がいますけども、教育の基本的精神は〈ものまね〉です。人間は自我があるから、うまく模倣するためには創造性が必要なんですね。
【コメント】他人のつくった仮説の受業書をそのままやるのは、はじめ抵抗があったが、模倣することも他人にまねできない創造だと思い、いま仮説実験授業を続けています。何を模倣するかは、あくまでも自分の決断ですから。
(1995年10月 記)