菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

板倉氏の講演から学ぶ「理科離れ克服の道」

2019年01月09日 17時59分36秒 | 仮説関連
板倉聖宣氏の講演から学んだこと



 このレポートは、茨城県教育研修センターの研修講座で、「理科研究のレポート」を提出するように言われたとき、提出したものです。
どうして、私が、「教科書をはなれて」、仮説実験授業をするようになったかを、板倉氏の講演を参考にしながら、コメントをくわえるという形で提出したものです。県からは、このレポートに対しては、なにも異論は出ませんでした。
 板倉氏の講演は、「理科離れ克服の道」と題したものです。氏の国立教育研究所の退官記念講演でもありました。

★板倉氏
 「国立の研究所で、しかも教育内容を改善するために研究するのであれば、指導要領は無視するしかない。指導要領準拠でやったら、教育内容を改善することなどできっこない。
 
【コメント】 私の勤務した学校(真壁・鬼怒商・笠間)は、教科書通りには授業がすすまないのがわかっていたから、学習指導要領はほとんど無視して授業を進めたのは正解であった。

★板倉氏
 日本国民の大部分は、小学校3~4年程度の学力だと考えています。教育学者の方々も、理科に関しては小学校4年生程度の学力があるに過ぎないと思います。それで十分生きていけます。それでかまわないのですが〈科学に対する好奇心をなくす〉ということだけはあってほしくない。小学校4年生の学力でいいから〈科学に対する興味を失わず、必要になったら科学を学び直す〉という形でいてほしいと思っています。

【コメント】 この子らの関心をあつめる授業は、受験勉強とはちがう。

★板倉氏
 「自分には理解できっこない」と思うと、多くの人々は科学の進歩が怖くなって、その進歩を無条件で支持できなくなってしまうのです。科学の内容は、普通の人たちが端から端まで全部理解できるはずはありません。けれども、「俺だってちょっと努力すれば理解できそうだ」という可能性を示しておかないと、人々に嫌われるようになりかねないのです。
 
【コメント】 だれだって、わからないことは好きになれない。

★板倉氏
 科学教育の実験プランを考えるときは、一般に安い道具を使って簡単明瞭な実験をすることが大切だと思っています。簡単な構造なもので何か面白い現象がおこれば、これはファンダメンタルな現象ということになるでしょう。そういうファンダメンタルな現象なら、多くの人々の興味の対象になります。この働きは自分にも理解できそうだということになります。

 【コメント】 教員なりたての頃、PSSC物理の全盛時代で、「記録タイマー」をつかって、落下運動の解析に3時間もかけたのは何だったのか。
★板倉氏
 生徒自身に実験させるようにすると、授業がたのしくなるという人がいますが、その楽しさは、〈解放されるから楽しい〉というのが大部分です。
 
【コメント】 そうかもしれない。そういう時間もあってもいい。

★板倉氏
理科離れを克服する最良の方法は、教師にとっても、生徒にとっても楽しい授業をするようにすればいいのです。
 
【コメント】 教師にとって楽しい授業をさがしてやっています。

★板倉氏
理科離れをいう人は、何かというと、今の若い人たちは、子どもたちは好奇心がないと考えています。しかし、昔と今では興味関心のあり方が違っているだけなんです。好奇心はどういうものであるかという研究は全然進んでいません。実は仮説実験授業の研究はそこから始まっているのです。

【コメント】いままでの授業よりは、生徒は仮説実験授業に興味をしめしています。
 
★板倉氏
教育は創造だという人がいますけども、教育の基本的精神は〈ものまね〉です。人間は自我があるから、うまく模倣するためには創造性が必要なんですね。

【コメント】他人のつくった仮説の受業書をそのままやるのは、はじめ抵抗があったが、模倣することも他人にまねできない創造だと思い、いま仮説実験授業を続けています。何を模倣するかは、あくまでも自分の決断ですから。
           (1995年10月 記)

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新春キャラバン6日目 真壁町白井・桜井を8カ所選説

2019年01月09日 15時18分41秒 | 仮説関連
 

 疲れが出てしまったのだろうか、今日は朝8時まで、ぐっすり寝てしまった。寒くなるのと天気予報ですので、11時過ぎに家を出ました。

 今日は、真壁町白井から、いつものコースを定点で演説して行きます。以前は、一本杉街道を上の方まで上っていたのですが、今は中腹で終わりしています。真壁町白井は7カ所でおわりにし、桜井に行きました。

 ここでは、縁側のガラス戸を開けて、演説をきいてくださった方がいましたので、演説終了後、お茶をいただき、しばしお話をしてきました。

 まず開口一番、
 「約束通り、俺の一票は入れたから。まずはおめでとうございます」

 そうです、昨年、夏の市議選前に演説したときに、「俺の一票は入れるから」と言ってくれた方でした。
 学校統廃合のこと、議会の様子、今年開催のライフル射撃のことなど、話は盛り上がり、小一時間話している内に、午後1時半をすぎてしまいました。
 今日は、これで打ち止めとしたしだい。
 

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北野武著「新しい道徳」を読む (北野流ツッコミの紹介その13)

2019年01月09日 09時07分49秒 | 仮説関連
 

 これから先は、個人の道徳なんかより、人間全体の道徳の方が大切になる

 さて、そろそろ結論だ。
 子どもの道徳教育でいちばん大切なのは、本音で話すことだと思う。
 あいさつをちゃんとちゃんとしろとか、ゴミを捨てるなとか、老人に親切にしろとかいうのは、道徳というよりは単なるマナーの問題だと思うけれど、どうしてもそういうことを教えたいっていうなら、それが人間関係を円滑にする技術だってことを正直に教える。あいさつをすると気持ちがいいだなんて、下手な理屈をつけない方がいい。
 あいさつをすると気持ちがいいかどうかは、本人の問題だ。

 何をどう感じるどう感じるかってことに正解なんてない。
 人によって違うことを、むりやりこうなんだと決め付けることはない。決めつけた瞬間から、それは嘘になる。それは道徳の授業で、いちばんやってはいけないことだ。

 ほんとうは、マナーなんてものは、授業で教えるよりも、子どもが何かしでかしたときにその場で叱ったり、諭すとかして教えた方がいい。その方がよほど確実に伝わる。
 街中で騒いでいる子どもがいたら、そこにいる大人が叱ってやればいい。
 電車でくたびれた年寄りが立っているのに、知らん顔で座っている子どもたちがいたら、席を譲りなさいといってやればいい。
 そういう意味では、むしろ、じいさんばあさんに道徳教育をするべきかもしれない。
 年寄りには、行儀の悪い子どもや若者を叱る責任がある。どうやって叱ったらいいかを、老人学校か何かで教えるのだ。そこら中のじいさんばあさんが叱るのが当たり前になれば、子どもたちのマナーは良くなるはずだ。
 
 だけど、さっきも書いたように、そういうマナーの問題よりももっと子どもたちに教えなくてはいけない大切なことがある。
 ほんとうに必要な道徳教育は、子どもたちにできる限りの真実を教えてやることだ。人間の抱えている矛盾や問題をごまかさずに、だ。

 人と人がどうつき合うかという問題も大事だろうけれど、今の子どもにとっては、人間が自然や他の国とどうつきあっていくかということの方が、もっと差し迫った問題になるだろう。
 環境破壊の問題も、要するに人間が「道徳」を忘れたからおきた。正しくいうなら、人間のマナー違反が地球全体の環境に影響を与えるくらい、人間が地上に満ちてしまっているということなんだろうけれど。

 国と国がどうつきあうかってことも、これからは今までよりもずっと深刻な問題になっていくだろう。それは政治の問題で、子どもには関係ないなんてバカなことをいってはいけない。政治家や官僚まかせにして、いつ酷い目にあうのはその子どもたちなのだ。

 老い先短い俺としては、この先地球がどうなろうと、日本がどうなろうと、あんまり関係ない。自分が死ぬ頃までは、異常気象といったて、なんとか今くらいの感じでおさまってくれるんじゃないかとタカをくくっている。戦争が始まっても、ジジイに赤紙は来ないだろうし・・・。

 いや、たとえ明日大きな隕石が落ちてきて世界が終わりになるとしても、核戦争が始まったとしても、今までたっぷり面白可笑しく生きてきたわけだし、大きな花火見物をするくらいのつもりで、死んでいくのも悪くない。死んだらどうなるか、確かめるのも楽しみだ。
 だけど、子どもたちはそういうわけにはいかない。

 世界規模の食糧危機がおきると予測する学者もいる。人間を作る材料は、無尽蔵にあるわけじゃない。地球上の有機物の量は決まっているから、一定以上人口は増えないという話を聞いたことがある。ということは、食糧が決定的に不足する未来が必ず来るということだ。最近は温暖化どころか、近い将来、氷河期になるという説もある。
 本物の食糧危機がやってきたとき、それを人類の英知とやらで乗り越えられるか、それとも世界中で紛争だの戦争だのが起きて、世界がぐちゃぐちゃになってしまうのか。
 今はその正念場にあるんじゃないか。

 俺たちが残した荷物を背負うのは子どもだ。酷い目にあうのは、子どもの子どもの世代かもしれないけれど、とにかくそろそろ準備しておかないとダメだろう。
 これから先は、個人の道徳なんかより、人間全体の「道徳」の方がずっと大切になる。
 この先、人間はどうすればいいかを、子どもたちがしっかり考えられるように、なんでも本当のことを教えておくのが、大人の役割なのだ。
 それこそが今という時代に必要な、ほんとうの道徳教育だと思う。
 まあ、俺にはどうでもおおことだけど・・・・・・。


注)まだまだ紹介したい文章はたくさんありますが、全部かいていると切りがありませんので今回で終わりとさせていただきます。
 北野氏の文章は、口語調で読みやすいのですか、文章をそのまま「書き写す」となると、言葉使い、漢字の使い方に特徴があるので、変換に手間取りました。
 しかし、こうやって、「他人の文章」を書写するのも勉強になりました。
 この本「北野武著 新しい道徳 幻冬舎刊 1000円」は、道徳を教えざるをえなくなっている先生方には、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

 


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