これから先は、個人の道徳なんかより、人間全体の道徳の方が大切になる
さて、そろそろ結論だ。
子どもの道徳教育でいちばん大切なのは、本音で話すことだと思う。
あいさつをちゃんとちゃんとしろとか、ゴミを捨てるなとか、老人に親切にしろとかいうのは、道徳というよりは単なるマナーの問題だと思うけれど、どうしてもそういうことを教えたいっていうなら、それが人間関係を円滑にする技術だってことを正直に教える。あいさつをすると気持ちがいいだなんて、下手な理屈をつけない方がいい。
あいさつをすると気持ちがいいかどうかは、本人の問題だ。
何をどう感じるどう感じるかってことに正解なんてない。
人によって違うことを、むりやりこうなんだと決め付けることはない。決めつけた瞬間から、それは嘘になる。それは道徳の授業で、いちばんやってはいけないことだ。
ほんとうは、マナーなんてものは、授業で教えるよりも、子どもが何かしでかしたときにその場で叱ったり、諭すとかして教えた方がいい。その方がよほど確実に伝わる。
街中で騒いでいる子どもがいたら、そこにいる大人が叱ってやればいい。
電車でくたびれた年寄りが立っているのに、知らん顔で座っている子どもたちがいたら、席を譲りなさいといってやればいい。
そういう意味では、むしろ、じいさんばあさんに道徳教育をするべきかもしれない。
年寄りには、行儀の悪い子どもや若者を叱る責任がある。どうやって叱ったらいいかを、老人学校か何かで教えるのだ。そこら中のじいさんばあさんが叱るのが当たり前になれば、子どもたちのマナーは良くなるはずだ。
だけど、さっきも書いたように、そういうマナーの問題よりももっと子どもたちに教えなくてはいけない大切なことがある。
ほんとうに必要な道徳教育は、子どもたちにできる限りの真実を教えてやることだ。人間の抱えている矛盾や問題をごまかさずに、だ。
人と人がどうつき合うかという問題も大事だろうけれど、今の子どもにとっては、人間が自然や他の国とどうつきあっていくかということの方が、もっと差し迫った問題になるだろう。
環境破壊の問題も、要するに人間が「道徳」を忘れたからおきた。正しくいうなら、人間のマナー違反が地球全体の環境に影響を与えるくらい、人間が地上に満ちてしまっているということなんだろうけれど。
国と国がどうつきあうかってことも、これからは今までよりもずっと深刻な問題になっていくだろう。それは政治の問題で、子どもには関係ないなんてバカなことをいってはいけない。政治家や官僚まかせにして、いつ酷い目にあうのはその子どもたちなのだ。
老い先短い俺としては、この先地球がどうなろうと、日本がどうなろうと、あんまり関係ない。自分が死ぬ頃までは、異常気象といったて、なんとか今くらいの感じでおさまってくれるんじゃないかとタカをくくっている。戦争が始まっても、ジジイに赤紙は来ないだろうし・・・。
いや、たとえ明日大きな隕石が落ちてきて世界が終わりになるとしても、核戦争が始まったとしても、今までたっぷり面白可笑しく生きてきたわけだし、大きな花火見物をするくらいのつもりで、死んでいくのも悪くない。死んだらどうなるか、確かめるのも楽しみだ。
だけど、子どもたちはそういうわけにはいかない。
世界規模の食糧危機がおきると予測する学者もいる。人間を作る材料は、無尽蔵にあるわけじゃない。地球上の有機物の量は決まっているから、一定以上人口は増えないという話を聞いたことがある。ということは、食糧が決定的に不足する未来が必ず来るということだ。最近は温暖化どころか、近い将来、氷河期になるという説もある。
本物の食糧危機がやってきたとき、それを人類の英知とやらで乗り越えられるか、それとも世界中で紛争だの戦争だのが起きて、世界がぐちゃぐちゃになってしまうのか。
今はその正念場にあるんじゃないか。
俺たちが残した荷物を背負うのは子どもだ。酷い目にあうのは、子どもの子どもの世代かもしれないけれど、とにかくそろそろ準備しておかないとダメだろう。
これから先は、個人の道徳なんかより、人間全体の「道徳」の方がずっと大切になる。
この先、人間はどうすればいいかを、子どもたちがしっかり考えられるように、なんでも本当のことを教えておくのが、大人の役割なのだ。
それこそが今という時代に必要な、ほんとうの道徳教育だと思う。
まあ、俺にはどうでもおおことだけど・・・・・・。
注)まだまだ紹介したい文章はたくさんありますが、全部かいていると切りがありませんので今回で終わりとさせていただきます。
北野氏の文章は、口語調で読みやすいのですか、文章をそのまま「書き写す」となると、言葉使い、漢字の使い方に特徴があるので、変換に手間取りました。
しかし、こうやって、「他人の文章」を書写するのも勉強になりました。
この本「北野武著 新しい道徳 幻冬舎刊 1000円」は、道徳を教えざるをえなくなっている先生方には、ぜひ読んでいただきたいと思っています。