「カーボン紙を使って報告書を」という時代錯誤を変更させた話
笠間高校 菊池伸浩
これは、私が笠間高校の進路指導部長のなったときの話。つまり、2004年話です。新年度の4月、県は学校基本調査を実施しています。進路指導部長と事務職員2人が県庁舎の講堂集められ説明を受けます。事務職員は学校の基本的なこと、私は生徒の進路の詳細を報告するので、その説明を受けるのです。「年中行事」ですから、真新しいことはありません。
ところが、最後に、この文書は「カーボン紙をつかって、コピーして、2通出してください」と言ったのです。
この説明は聞き捨てできません。
私は、隣の事務員に「カーボン紙なんて、今どきないだろう」というと、「このときのために、カーボン紙をとっといてあるのです」というではありませんか。
「ワープロが全盛の今どき、なんでコピーではいけないのか」との疑問がわいてきました。そこで、手をあげて質問しようとすると、「恥ずかしいから、やめてよ」とわきで止めるのです。しかし、ここで引くわけにはいきません。県全域から100校以上200人近くもいて、だれも「なぜ、コピーではいけないのか」と質問する人がいないのです。
そこで、私は、立ち上がって質問しました。ところが、答弁者は、はじめて説明会に参加した新人でした。「わかりませんので、調べてから、あとでファックスでお知らせします」
「何言っているんだ。ここは県庁だよ。すぐ部署に帰って、聞いてくればいいんだよ。5分ぐらい待っているから」
しかし、結局はまともな、答弁はありませんでした。
納まらないのは私です。学校へ帰ってすぐ、文部省に電話をいれました。
「今どき、カーボン紙で資料を提出しろなんて指導をしているのですか」
「いいえ、私らは、きちんとデータさえいただければ、コピーでもいいし、なんなら、フロッピーでもいいですよ」
折り返し、すぐ、県教育委員会に電話を入れ、このことを伝えますと、「文部省がいいというなら、私らは、もちろん結構です」
ということで、事務室にしまってあったカーボン紙は、お役御免になったというわけです。
何事も、技術の進歩を頭にいれて置かなければ、「変な言い伝え」が生きているのです。
私が子どもの頃は、きちんとした文書は「黒インクを使ったペンを使う。ボールペンは禁止でした」
それは、ボールペンの「インクが粗悪」で、長時間たつと「分離」して消えることがあったからでした。
また、私が、教員に成り立ての頃は、「ゼロックスのコピーは、ビニール袋に入れて運ぶのは禁止でした。それは、静電気で、インクが消えてしまうことがあったからです」
時代が変わると、機械も進歩するのです。それを認めず、いつまでも、自分の頭で考えることなく、古い習慣をかたくなに守り続けてはいけないという教訓です。
このことがあってからは、私への県教育委員会の対応は、変わりました。
注)この話を書くきっかけを作ってくれたのが板倉聖宣氏です。コピー機全盛の時代に、いまでもカーボン紙を使って、研究論文を書いている、東大の教授がいるとの話を聞いたからです。偏差値が高いことと時代の変化を受け入れることは別なことなのです。