鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

「谷根千」の丘と坂を巡りつつ、わが家のルーツと世界の平和をたどる一日…

2015-02-04 21:32:42 | 日記

速いもので一月もアッという間に過ぎ去り二月如月を迎え、本日は暦の上では春の訪れを告げる「立春」。約40日ほど前の「冬至」の頃に比べて確実に日没の時間が遅くなり、少なからず「春」を感じさせてくれるようにも思います。されど、明日あたりは「雪模様」となるようで、寒さはまさにこれからが「本番」となります。

本日の「立春」を数日後に控えていた、ある暖かな日の午後。東京在住の陶芸教室会員さんが手がけた作品を納めた段ボールを眺めながら、「今回もトラブルなく会員さんの家に届いてね。大丈夫だよね…」と念じることとなります。


常日頃、作陶や陶芸教室の時間を過ごしていますが、時として行なう作品の運送へ向けての梱包は特に気を使う作業です。この荷物も段ボールを二重にして超厳重なる梱包をほどこしたのですが、それでも「無事に届くかなぁ…」との不安が頭をよぎってしまいます。折しも東京方面への用向きが出来た故、「お手元までお届けしますよ…」とお伝えして、いざ、東京へ。宅配便での作品運送に伴うアクシデントから解放され、愛車メガーヌを駆ってルンルン気分で「東京納品ツアー」の始まりです。

約束の地・東京駅で作品お引き渡し後、本郷にて次の用向きをこなして帰途へ着く道すがら何となく導かれるように、ワタシの本籍地である文京区千駄木に向けてメガーヌのステアリングを切っていました。

ほどなく、この大学病院の前へ。

この病院の建っている地こそが、ワタシの父方の東京でのルーツ。かつて、今は亡き祖父母や父をはじめとするワタシの一族ががこの地で生活を営んでいたことを知るにつけ、この界隈を訪れるたびに妙な感慨に浸ってしまいます。

続いて向かった先は、本籍地からほどない根津坂の最も上に位置する日本聖公会東京聖テモテ教会。

父は生まれて間もなく、両親の意向によりこの教会で洗礼を受けてクリスチャンになり、ワタシの母との結婚式もこの教会で挙式したとか。そのようなこともあり、ワタシも幼少時から、イースターの折に幾度もこの教会の門をくぐってきました。されどされど、ワタシの一家はそろって、きわめて愚かなクリスチャンであることは間違いありません。ワタシの知る限り、父がこの教会に足を運んだ姿を見たことはありません。

そもそも祖父母と両親が洗礼を受けていながら、お墓は福島県会津地方の曹洞宗のお寺にあるということが、わが家のいい加減さの象徴と言えるのかも。

「クリスチャンなのにブッション系とは、これ如何に?」と思いつつ、根津坂を少しばかり下ると根津神社に至ります。



この神社は、今は亡き父が子供時代に思いきり遊び回ったエリアのようで、父は酔うたびに谷中、根津、千駄木界隈の思い出を懐かしそうに話していましたっけ。

かつてこの神社に来たのはいつくらい前のことかと記憶を辿ると、約20年くらい前に父に伴って詣でて以来のように思います。あらためて、時の流れのなんと速いことか。

今では東京を代表する観光スポットのひとつとなった「谷根千」の「根」と「千」を風のようにたどりながら、「仕上げ」は上野池之端・不忍池の弁天堂をチラッと横目で確認しつつ、一路、帰途へ。


首都高湾岸線をターっと飛ばして帰宅後、ウチの同居人さんに「本籍地プチツアー」の収穫を語る最中、ふと、「あれ、今日はひょっとしてウチのオヤジの誕生日!?。うん、間違いない。なんたる偶然」とつぶやいて、思わず絶句…。

同居人さんの「あのお父さん、好きだったよ。けっして美男子ではなかったけど、仕草や生き方には品があったよね。生きてたら、鎌倉で一緒に飲みたかったなぁ」との言葉が、せめてもの誕生日プレゼントにもなったかも…。

ともあれ、今回のブログにてあまりにも私的な「プチ巡礼物語」にお付きあいいただき、はなはだ恐縮の至りです。

そして、ありふれた、さりげない日常の日々の中、

「チキュウギを俯瞰する外交」を標榜するエラい人の向こう側、「センダギを漂流する内向?」に時間を費やす愚かなワタシ…。何かのきっかけで世界的な規模で良くない方向に激変しかねない危機感を感じながら、あらためて「平和な日本よ、いつまでも…」。
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