Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

『イラク チグリスに浮かぶ平和』のローアングル

2014-09-20 | Weblog
綿井健陽監督の映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』を、夕方の試写で観る。
現在のバグダッドから遡る。アメリカ軍の手配によって「民衆」が倒したサダム・フセイン像の跡。台座だけがわざと残されている。像の首にロープをかけた青年は今何を感じているか。イラク戦争開戦からの10年を追うドキュメンタリー。
2003年3月、綿井監督はバグダッド市内のホテルから、チグリス川越しに米英軍による空爆の開始を目撃する。その前から、人々の声と姿を収め、渦中で取材を続けていた。
雑然とした世界を点描する、よくあるドキュメンタリーかと思って見始めると、空爆翌日、病院で血だらけの娘を抱えた男と出会い、思いがけず「ストーリー」が動き出す。
監督とほぼ同い歳のアリ・サクバン。ナレーターも説明字幕もないまま、監督自身も登場人物として浮かび上がってくる。アリとその家族を中心に、イラク戦争開戦後のバグダッドの人々の姿を追う。
戦争によって痛めつけられ、多くの命、更に生活、経済、身体、犠牲になったものはもとに戻ることがない。米軍の撤退により、宗教対立による国内紛争、「テロ」の乱発。治安は悪化する一方。過酷なイラク市民たちの現実は今も続く。
両足を失い車椅子テニス・プレイヤーとなった女性は決然と言う。「アメリカのせいだ。加担した日本にも責任がある」。
綿井監督とアリ・サクバンの友情が軸になってくる。電話でアリの消息を聞くシーンはこの映画の中で唯一やや演出過剰なのだが、それが監督自身が当事者であることを証明していて、その後に映画が意志を持って動き出す息づかいは、「ストーリー」を越えた何かだ。
「チグリスに浮かぶ平和」というタイトルがイメージではなく具体なのだと知る瞬間も含め、淡々と語るからこそ突き刺さる現実がある。
試写室で共同通信の新崎さんにばったり。時に共同通信の仕事にも協力していたという綿井監督も一緒にお茶を飲む。映画で多用されるローアングルについてなど聞く。技術的な理由もあるが、このローアングルに監督の個性、相手に対する皮膚感覚が表れている。
この映画の配給は、『標的の村』を手掛けた東風さんである。監督は前日、『標的の村』の三上監督と東風事務所でばったり会ったという。世の中は繋がっている。久々にお話しした新崎さんは新聞労連の委員長になった。お互いそんな年齢なのだ。思いがけず時も過ぎている。
『イラク チグリスに浮かぶ平和』予告編は、以下から見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=pmb7ucZJoL0
以下が、公式サイト。
http://www.peace-tigris.com/

その足で青年劇場『羽衣House』を観る。被災地からの避難家族を受け入れる宿泊施設が舞台。
作者の篠原久美子さんとご一緒している「非戦を選ぶ演劇人の会」では、イラクのことも取り上げている。「非戦の会」じたいがこの劇に繋がる震災や核のことも取り上げている。こんな取り合わせの日だったので、なんだか試写で観た内容と篠原さんの描いた世界が意識の中で混在してしまう。
劇作家協会がらみも含めて、篠原さんとは斎藤憐さんとも一緒のつきあいだったからか、途中でふと「斎藤憐ならこの劇をどう見ただろうか」と思う。その後はなんとなく斎藤憐の視線のようなものを感じてしまう。それが、憐さんではなく、憐さんより更に先輩である、この劇の演出・ふじたあさやさんの視線であると思い当たる。あさやさんの包容力に憐さんの魂が寄り添っていたのだろう。
我々はものをつくっているのだが、どのような人間関係の中に生きているかは、必ず浮かび上がって見えてしまうはずなのだ。憐さんが亡くなられて来月で三年。人間関係に過去形はない。
ふじたあさやさんは八月にお目にかかったとき「坂手くん、『羽衣House』の演出は能の形式を取り入れることにしたのだよ、フフ」と笑っておられたが、人物たちがすり足で登場してきたときには「おーい!」と突っ込みたくなったものの、すぐに疑問は氷解。主眼は、ト書きを俳優たちが読むところにある。能で言う地謡。大まじめにそれをすることが、劇の喜劇性を底上げしている。


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