Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

ヤルタ終了

2013-09-19 | Weblog
ヤルタ・チェーホフ国際演劇祭の一週間が終わった。
閉会式は、各参加団体が少しずつ出し物をするというフレンドリーなセレモニー。歌やらバレエやら人形劇やら。燐光群メンバーは松岡洋子を中心とした日本舞踊「香に迷う」と、男衆も入った徳之島「ワイド節」。日本的なものをと言われてとりあえずやってしまえるのはよいことだ。洋子は日頃の鍛錬を思わぬ地で披露したわけだ。「ワイド節」は太鼓や三線がほしかったが贅沢は言うまい。
演劇祭だから当然いろいろな演目がある。他の国からの参加演目は、グルジアのカンパニーによるサラ・ケイン『4.48 サイコシス』、イスラエルのカンパニーの安部公房原作『砂の女』という二つの二人芝居は観たが、まあいろいろな国籍が渾然一体としている感じ。ウクライナ国内各地の劇場製作によるチェーホフ劇等は声を拾うためのマイクを使うし必ずプロジェクターで映像を投影するので、なんだかなーという印象。『屋根の上のヴァイオリン弾き』と同じ筋書きだろうテヴィエの物語は音楽の生演奏もあり大衆演劇として観客を楽しませ、受けていた。
自分たちの公演が終わった後も、クロージングまで滞在してほしいというフェスティバル側の意向を汲んでの滞在だった。もちろんイタリア公演に備えて自分たちの演目『屋根裏』の中でもまだまだかたまっていない新たに役に取り組んだ若手中心の稽古等ができたし、有意義な日々であった。
写真は、メイン会場のチェーホフ劇場。

持ち込んだ仕事をしなければならなかったので、あまり観光的なことはしていない。第二次世界大戦をどう終わらせるか焦点となったヤルタ会談の会場・リヴァーディア宮殿には、フェスティバル参加者のためのツアーが組まれたので参加したが。
ぶらり散歩して、観光客には入口がわかりにくい大きな市場を見つけ、その構内の食堂で地元のほぼ最安値だがうまい料理を食べた。最初は徒歩でけっこうな距離だったがトロリーバスで簡単に行けることがわかったので、三度通った。ボルシチやら串焼きやらは、確かに地元ならではのもので、うまかった。旅先では、大きく外れていなければ、同じ店に通うのは、割と合理的である。
ヤルタ市民の6割以上がロシア系であるし、ある意味ロシア圏最南端の保養地であるこの街は、トルコとも繋がりが深く、文化の混じり具合が面白い。ラフカディオ・ハーンの愛したクレオール文化もそうだが、ハイブリッドの魅力というのは、確実に存在する。だが、ここには「アジア」の影は薄い。
それにしても観客に日本人が一人もいなかったのは珍しいことである、と思ったら、クロージングで「見ました!」と声をかけてくれたのが、ヤルタ唯一の在住日本人女性。お一人だが、いらっしゃったのだ。それにしても東洋人じたい、ほぼ見かけなかった。かつて東西がひっくり返って間もないスロバキアでの公演では、私たち黄色人種の一行はどこへ行っても現地の方々に物珍しそうに眺められたものだが、この地では特別に意識されているふうでもない。やはり街にいる人たちの中で、もともとの住民じたいがそれほど多くはないということなのだろう。ここは人が流れてくる場所なのだ。そういうところは私は好きだ。
亡くなる前の数年間を過ごし傑作の幾つかを著したチェーホフの住居も近くなので行ったが(帰りは徒歩だった)、その話はまたいずれ。
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