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“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「風評被害」という言葉の一人歩きが「汚染水」放出を正当化する可能性

2019-09-12 | Weblog

朝日新聞によれば、原田義昭環境相兼原子力防災担当相は10日の記者会見で、東京電力福島第一原発の事故を起こした建屋などから発生し、処理後にため続けている「汚染水」をめぐり、「思い切って、(海に)放出して、希釈する以外に、ほかにあまり選択肢がないな」と発言したという。

原田氏は環境相としてたびたび福島を視察したそうだ。原子力規制委員長も同意見で、「安全性科学性からすれば、これはどうもね、大丈夫なんだ」と海洋放出への認識を語ったという。責任ある立場なのだから、正当な科学的根拠を示していただきたい。以前から海への放出を行わないよう強く求めていた全国漁業協同組合連合会の怒りは、頷ける。

どうやら原田氏は「汚染水」に対する警戒と不信を「風評被害」と決めつけている。そして、「国が補完することが極めて大切だ」と、政治が無根拠でも「風評被害」の影響を否定する動きを取るべきだ、とぶちあげている。「何が今の国家に必要なことかも常に考えておかなければいけない」などとも述べたというから、どうやら、科学的見地や、世界の厳しい目など無視して、極めて内向きに「今の国家に必要なこと」を優先するのが、国を動かす人間たちにとっては正当なことと考えている様子だ。

ただでさえ、「風評被害」という言葉は、最近、言葉としての根拠を失ったのではないかと思うときがある。

放射性物質とその影響についての誤った「風評」のため「被害」に遭う人たちがいる、という仮定が、正しい場合もあるだろう。だが、その「被害」に遭う人たちに深く同情する、という気持ちが、さして科学的根拠や検証もなく、「風評被害」のために被害に遭っている人がいる、という喧伝の言葉だけを一人歩きさせ、実際に将来的にどのような影響があるかが解明されているわけではない事項についても、「風評被害」として片付けられかねない風潮があるのだ。

かんたんにいえば、「風評被害」という言葉の一人歩きが「汚染水」放出を正当化する方向に、現実は動いているのかもしれない。

原田氏の後を継いで新環境相となった小泉進次郞氏が、これからどのような判断を下すか。実はわざと反原発を謳って自民党の補完作用をしてきたかもしれない父親とグルで、ここに来て一気に「汚染水」放出に踏み切るつもりだとしたら、目も当てられない。新環境相となった挨拶で小泉氏は「福島の皆さんの気持ちをこれ以上傷つけるようなことがないような、議論の進め方をしなければいけない」と述べたが、いつ何時「漁師さんだけが福島県民ではない」という立場にスライドするかわからないではないか。「原子力防災担当大臣」も兼任ということだから、しっかり監視させていただこう。

そして、言うまでもないが、「汚染水」放出は、確実に日本を孤立させる。このことに無関心な日本に住む者たちは、これまでのように「無垢」を演じることは許されない。もう誰も「被害者」でいることは許されないのだ。

「風評被害」という言葉は、正しく翻訳すれば、本来の正当な意味にしか受け取られない。誤った「風評」の時だけに使われるべき、言葉だ。そして多くの事柄について、長期的見地では、今の段階では「風評」かどうかの判断は、つけられないはずではないか。

世界の目から見れば、日本国内で言うニホンゴの「風評被害」のような、トランプのジョーカーのような、錦の御旗のような、言語の空洞化を導く便利な仕掛けは、通用しないのだ。


 

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