Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

東京に戻りました

2014-12-14 | Weblog
劇団本隊より一足先に東京に戻る。
大学の演劇研究会のOB主催の講演ということだったが、思ったほどフォーマルなものでなかったので拍子抜けした。
現役の学生の大半は自分の息子よりも若いのであるが、大人びているのか子どもっぽいのかはわかりにくい。

三田の校舎の前から東京タワーが見えた。名古屋札幌と並ぶ「テレビ塔」の一種であることは言うまでもないが、存在価値が落ちてしまった姿は哀れでもあり、今や時代遅れの国として存在する日本の象徴のようでもある。

ちなみに「ラーメン二郎」発祥の店もこの辺り、校舎近くの交叉点の角にあった。あの冗談の種にされてばかりいた店のチェーン展開がその後ブームを巻き起こすとは、当時は夢にも思わなかったが。

今や東映ビデオの重鎮である劇研の同期・加藤和夫くんと久々に話す。彼は「Vシネマを始めた男」である。既に歴史上の人物となっている。一年しかいなかった演劇研究会の最後に演出した舞台に彼と共に主演してくれた南太郎さんも東映に就職、国際部等で活躍していたが、今年亡くなった。そういえば自由ヶ丘の居酒屋「淡海」の定員一名のバイトも南さん→私→加藤くんと引き継がれたのだった。当時小学生だったこの店の息子さんはその後成長して某劇団の主軸俳優になっている。
南さんが結婚のため引っ越したときにもらった当時としては珍しい小型の2ドアの緑色の冷蔵庫は今まで梅ヶ丘BOXの楽屋で使われていたが、そろそろ寿命のようなのでまもなく破棄する予定である。南さんが入学時に買ったのだとしたらあの冷蔵庫もまもなく37歳だ。とうぜんエコ対応電器ではないから電気消費を考えればもっと早く買い換えるべきだったとも言えるが、なんだかほんとうにさみしい。
一年しかいなかった演劇研究会、卒業後もあまり御縁がなかったが、こうして仲間に入れてもらえているのはありがたい。
そういえば加藤くんはほんとに映画界のいろんな繋がりの要を担う立場になったので、三浦大輔監督の『愛の渦』映画版にも、ちゃんと名前があった。私が岸田賞の選考委員として選んだ作品の映画化に同級生が関わっているというのは、なんだか嬉しい。
この劇研のもう一人のおもろい男としては、後輩に、さいきんはAV監督というより「性の伝道師」(?)として知られている二村ヒトシくんがいる。来年は彼が講演する番になるだろう。
お互い五十も越えたのでこの業界のために少しでも役に立ちたいし、途中から、若い人たちの育成をどうするのか、という話題が半分になった。

今日は選挙である。
選挙に関連して、後の世代のために、とか、若い人たちのために、というフレーズもよく聞かれる。まったくその通りなのだが、若い人たちがシラけている、というのは大人の偏見である。シラける領域にまだいないか、シラける余裕さえないという場合もあるが。
大人はまず、大人本人の責任を果たすべきである。大人こそしたり顔でシラけている場合ではない。
若い人たちから「野心」のようなものが感じられないとしたら、そういうことに向かうだけの、真似したり追いついたりしたくなるような後ろ姿というか、背中を見せてくれている先輩が決して多くはいないからではないかと自らを省みて考えるべきだ。

そんなことを言っている間に私たちも「中間の世代」から老人の領域に向かっている。
先々の不安は、若者にも、私たちにも、ある。

今秋、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による年金運用について、国内株式比率を増やすとの新聞情報が影響して株価が上昇したことがあったが、国民の年金が、株価対策に使われる。年金受給者がリスクを負って、株式保有者が得をする。この状況が異常であることに、何の説明が要るのだろうか。
127兆円の25%である。国債中心の運用が本当に安全だといえるだろうか。これは「マネーゲームを始めた以上、損はしたくないだろう」という脅迫の一種である。勝手に始めたことについて国民に責任を押しつけないでほしい。
厚生労働省は、加入を義務づけている国民年金について、保険料の支払い期間を、5年間延長して65歳まで引き上げようとしている。それに加え、個人の選択で公的年金の支給開始年齢を70歳まで繰り下げられる制度について、75歳程度まで広げようとしている。
さらに国は、年金支給開始年齢を遅らせたのと引き換えに、65歳まで働き続けることを希望する高齢者の延長雇用を義務付けようともしている。高齢者が同じ仕事をしても、その場合、彼らの給与は減るのである。
もちろん若い新入社員の雇用も減る。
国が持っている財産の運用を誤って、結局、若者の可能性を奪い、非正規労働者をさらに苦しい立場に追い込んでいるのである。

「アベノミクス」という言い方が気持ち悪いが、現行政策の破綻は明らかである。円への評価の暴落、明白な日本への信用の下落、どの情報を見てもそうなっているではないか。一部の企業の給与が上がっているなどというのはそれこそ「格差」の助長であるし焼け石に水でしかない。これだけ無惨な状態だと本来なら重要な消費税増税のことなども霞んでしまっているというだけである。

選挙が「信任」を問うものだという言い方があるが、選挙時であろうとなかろうと、国民は声を上げる権利がある。
「国民が選んでしまったのだから仕方がない」という言い方は、気持ちが悪い。

そもそも選挙報道も含めて、この国の人たちは、ぼけているとしか言いようがない。
戦争の歴史と現在を、震災を、環境の破壊を、忘れたのか。

何より、

原発をなくす。
戦争をしない。
表現の自由を守る。

この三点だけで選挙の争点は明白ではないのか。
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