
かつて「南洋の東京」と呼ばれた、サイパン島のガラバン。 同島最大の市街地で、現在も観光産業の中心地である。
第一次大戦後、「砂糖王」 松江春次が製糖業を興した「南洋興発」の事業拡大にあわせ、多くの日本人が移り住むようになった。メインストリートの二丁目を中心に、市街地は碁盤目状の整然たる区画で、「南洋の楽園」とも言われた。
最盛期には、邦人人口が一万四千人を超えた。その七割が、沖縄から来た人たちである。
第二次世界大戦では米軍による爆撃の対象となり、街はすっかり消滅した。
この街の様子はサイパン戦を描いた映画『ウインド・トーカーズ』『太平洋の奇跡』等でも描かれているが、やはり違和感がある。
この町にあった「サイパン劇場」について調べている。
戦時下、在住者が映画『五人の斥候兵』を翻案した劇などもやっていたらしい。
この劇場について、どなたか知っている方がおられましたら、教えていただけると幸いである。
写真は冊子「海の生命線、我が南洋の姿」より。
左側の道(サイパン市庁通り)の正面にあるのは、埠頭の休憩所。その向こうの海は西太平洋、フィリピン海。
道から右、北側はガラパンの街、もともとはチャモロ族の街だったが、日本人たちが入植する。左は南ガラパン、もともとこの島に住んでいたカロリニアンが住む。
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