
訃報を聞き、どうしても顔を見たくて、昨夕、お別れにうかがいました。
初めてお話ししたのは二十年以上前だと思いますが、そのとき既に、まるで昔からの知り合いみたいに、話してくれました。
演劇集団円に所属されていたとき、私が『ブラインド・タッチ』(出演=岸田今日子・塩見三省 演出=国峰真)を書き下ろしたことから、いろいろお話しするようになりました。
涼子さんは実力ある俳優であることはもちろんですが、私はその行動力と意識の高さに、敬意を抱いていました。
『ビューティー・クィーン・オブ・リーナン』の上演を決意してからの、探究と努力の、熱さ。イギリスに留学し、激しいダイエットに取り組み、鬼気迫る、しかし芳醇な演技でした。これで絶対に賞を取るだろうと思ったら、実際、そうなりました。
もともと定評ある声のキャパシティを広げるため、ホーミーを学び始めてからの、自分自身の声への取り組みの、ストイックさと幅広さ。これはもう、ある時期から、すっかり変わったのです。
その他、枚挙にいとまがない俳優としての実践の数々から、学ぶものは多かったのです。
梅ヶ丘BOXで俳優向けのワークショップをやっていただいたこともあります。
身体と声についての探究もされていて、俳優は目の前の仕事に追われがちですが、彼女のような取り組みを多くの人が共有するためにも、せめてそうした仕事を共有するセクションを持つ「演劇センター」のようなものが必要だったのではないかと、あらためて思っています。
私の劇作家としてのロンドン・デビューは、1998年。『くじらの墓標』がノッティングヒル・ゲートシアターのレパートリーに選ばれたときでしたが、その作品にコンプリシテのリロ・バウア、クライブ・メンデスが出てくれて、サイモン・マクバーニーも稽古場に来たりしてくれていたこともありました。立石さんがサイモン演出の「エレファント・パニッシュ」「春琴」に出ることになり、話してわかる相手だと思われたのか、そのあたりの創作の裏話を、山のように聞いたものです。
とくに「春琴」は、現代の語り部としての彼女のキャラクターが劇全体の基調を作っていて、サイモンが立石凉子を軸に作品を作ったことは、明らかでした。
私が書き下ろした、蜷川幸雄演出『エレンディラ』では、中川晃教さん演じる少年の、霊感の強い母親、その極めて印象的な役回りで、作品世界を支えてくれました。
燐光群『上演されなかった三人姉妹』では、マーシャ役で出演していただきました。姉妹役の神野三鈴さん、中山マリさんと舞台上を駆け回る、極めてフィジカルな次女でした。
そして立石さんは、ご近所さんでもあり、いつも演劇の話をする仲間の一人でした。
何年か前に千歳烏山に引っ越されたので、ついつい疎遠になっていました。
最後にじかに話したのは、『罪と罰』の稽古中だったと思います。私は見られなかったのですが、先頃亡くなった三浦春馬さんも出ていたはず。海外の演出家は、彼女がいるとやりやすかったんじゃないかと思います。
電話で、昨年夏、今後また何かやろうという話はしていました。病気がわかったのは、その直後だったようです。
これから、を、楽しみにしていました。
残念です。
あなたの励ましと、熱意は、これからも多くの人の中に生き続けると思います。
写真は、燐光群『上演されなかった三人姉妹』。2005年、紀伊國屋ホール。
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