Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「ポケモンGO」より「ゴンドラGO」

2016-07-25 | Weblog
国内で配信が始まった「ポケモンGO」。まったく関心ないし、見てもいなかった。
今サイトを見ると、「『Pokémon GO』は、GPS機能を活用することにより、 現実世界そのものを舞台としてプレイします。 」とある。
「『Pokémon GO』は、地球上すべてが舞台! プレイヤーは、ポケモントレーナーとして、現実世界のいろいろな場所を歩き、探索して、ポケモンを捕まえることができます。ポケモンは、世界中のあらゆる場所で目にすることができます。現実世界で、ポケモン探しの旅に出よう!」とのことである。
基本的なポケモンの捕まえ方は、「『Pokémon GO』の起動中、ポケモンが自分の近くに現れると、スマートフォンが振動して知らせてくれます。現実の時間に連動して、『Pokémon GO』の世界も昼夜の概念があります。マップ上に現れたポケモンをタップすると、ポケモンと遭遇。画面を通して、実際の風景の上に現れたポケモンに、画面上のモンスターボールをスワイプして投げると、捕まえることができます。慎重に、でも早く捕まえないと、逃げられてしまうかも?」「ポケモンを捕まえるために使うモンスターボールは、マップ上に現れる『ポケストップ』と呼ばれる、特定の場所で手に入れることができます。せっかくポケモンに遭遇できても、モンスターボールがなくて捕まえられない! ということがないように、多くの『ポケストップ』に立ち寄って、モンスターボールをたくさん手に入れておこう」ということである。

要は外に出て、GPS機能で、恣意的に用意された場所にいるポケモンを捕まえる、ということである。ポケモンの卵を孵化させたり育てたりポケモン図鑑を完成させる、というようなことができるらしい。たまごっちの延長なのだろうか。チームをつくったりメダルを集めたりということもあるらしい。
何が面白いのかよく分からない。まあ私はもともとゲームを一切やらないので、申し訳ないのだが。

ただでさえ他者に無関心な日本の通行人は、平気でドカドカと歩いて人にぶつかるが、このゲームで「歩きスマホ」人口が増えることによって、さらに衝突等のトラブルが起きるだろう。
昨夜は池袋西口公園(ウエストゲートパーク)が終電後までポケモンGOの人で溢れかえっていたらしい。
名古屋では、Twitterに「鶴舞公園でミュウツーを捕まえた」という情報が投稿され、多数のプレイヤーが殺到する騒ぎとなったという。
区や市によっては屋外喫煙を禁止する条例があるわけだが、いずれ同様なポケモン禁止条令ができるだろう。

「ポケモンGO」サイトの「皆様へのお知らせ」には、「『Pokémon GO』を安全に楽しむため、以下の正しい遊び方を守って遊んでください。」とある。

ゲームを始める時は、天候や周囲の状況などをよく確認してください。
スマートフォンを操作するときは、周囲の安全を確認した上で、立ち止まって操作してください。
移動するときは顔を上げ、周りの人や物など、周囲の状況をよく確認してから移動してください。
ポケモンが現れたら振動でお知らせします。周囲の安全を確認した上で、スマートフォンを操作してください。
ポケストップやジムは、あらかじめ場所を確認し、近づいてからスマートフォンを操作してください。

だそうである。ゲームは競争だし、プレイヤーは遊びに興じると気にしないだろうな。
そのうち事故が起きるだろう。既に夢中になっていた人が自転車の籠の中のものを奪われる盗難被害に遭ったり、近くに出現したクマに気づかなかったというデマのような話も出ているらしい。

13歳未満はGoogleアカウントを取得できないため、保護者が「PTCアカウント」を取得した後、それに紐づける形で登録する。一応そういう「保護者責任」のエクスキューズができている。
ポケモンGOで遊ぶ人の個人情報、位置情報、周辺映像、会話記録が全て丸裸になってしまうとして、CIAの陰謀説まで出ているという。たぶん冗談だろうと思っていたら、オリバー・ストーン監督がこの現象に警鐘を発しているという。

既に高江にもポケモンがいるらしいし、米軍基地内にもいていただいて結構だ。
シリアにもいるということで虐げられた街の状況をポケモン入りの写真などで示す世界に対するプロパガンダとして活用しようとしている人たちもいるという。

これからは、スマホを観ながら移動している人が、こちらとは違う「仮想現実」の世界を生きているという、こちら側の「現実」に遭遇することになるわけで、リアルなはずの世界がどんどんバーチャルになっていくことは確実である。現実感の喪失は、現実の問題を見えなくするだろうし、ひょっとしたら生命の感覚までが喪失されていくと危惧する向きもあるだろう。
新しい現実感覚というものが産まれることがあるのはわかるが、あくまでもゲームとして仕組まれた仮想である。
本当の現実のとりとめもなさ、頼りなさにドキドキすることは、みっともないし危ういし頼りないしださいということになってくるのだろうか。
しかし、だとしたら、人はなんのために生きている? 
フィクションづくりとそれを提供する仕事をしている私ではあるが、違和感はある。危険視するとかそういうことではなくて、「これが現実」から始めなくてはならない。

『ゴンドララドンゴ』は、それに答える内容を持っているし、まだまだこちらが先んじてはいるのだ。

さて。
写真は、矢内原美邦振付による『ゴンドララドンゴ』、GOGOムーブメント(そんな名はない)である。
猪熊恒和始動のゴンドラ外壁補修作業の動きを全員が一通りできるようになったところで、矢内原マジックでムーブメント振付に転じさせたものだ。
美邦どんは現在、犬島での野外パフォーマンス準備中のはずである。彼女と犬島で野外劇『内海のクジラ』をやったのは、もう4年前になるのかな。

ともあれ、そんなこんなで大注目の『ゴンドララドンゴ』、今月限り。今週限り。お見逃しなく。


劇場でお待ちしています。


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〈パンフレットの坂手洋二あいさつ〉

タルコフスキーの映画『ノスタルジア』に、温泉地の、蒸気が漂う岩場で、ある場所の端から端までローソクを持って渡りきるという無意味な行為を達成することで「世界を救うことができる」と主人公が信じ、それを試みる場面があった。
たかだか個人が自分の気まぐれな所業で「世界を救うことができる」と信じるのは傲慢だし、また、それはある意味無責任な「狂気」である。
私たちは、自分一人の一つの選択や判断で世界が大きく影響されることなどないと知っているし、ふだんからそう思っている。
現実に「自分一人が選挙に行かなくたって、結果は変わらない」と思う人たちが多くいる所以である。しかし、投票という行為そのものは事実として「一票」をカウントさせることができる。数字が一つ付け加わる。世界に影響を確実に与えている。
世界との繋がりを感じ、確かめるために投票に行く、という考え方だってあっていい。自分一人の「1」という単位の行為の結果、ごくごく僅かだとしても、現象としての世界は変わるのだ。
「この世界はどうして存在するのか」と、ふと感じる瞬間は、誰でも持っているはずだ。未来と過去と、まさにこの空間があること、そしてそれを自分の身が感受できているという、現実。
表現という行為の中で、そうした感覚と「数字を一つ増やす」というような客観事実が繋がり得ることを、私たちはどこかで信じている。

自分の命と引換えに何かができる、という考え方がある。その人は命と引換えに何ごとかをするのだから、ある意味、怖い物知らずで、無責任である。まわりの者たちは、迷惑である。
自分の命と引換えに「世界を救う」という考え方は、狂気である。「数字を一つ増やす」客観性への信頼を、拒否しているともいえる。
だが、産まれたばかりの赤ん坊にとっては、おのれの感覚じたいが、世界そのものだ。赤ん坊が泣くとき、かれは、全世界の求めに応じて、泣いているのだ。
やがて私たちは成長し、自己と他者の違いを発見し、言葉を獲得し、世界の枠組みを認識し、赤ん坊時代とは逆に、自分は一人ぶんの「1」でしかないことを受け入れていく。
演劇とは、表現行為とは、そうした客観を揺り動かして、決して赤ん坊に戻ることはできない私たちが、大人になってしまった身心と身につけてしまった論理を解いて、あらためて世界を受容する、どのようなものになるかわからないその感覚と出会い直すための「機能」を持っているのではないかと思う。
そのために私たちの存在を舞台上に差し出すくらいのことは、できるはずだ。
命と引換えにというようなことには、考えも及ばないが。

今回、「どういうきっかけでこの劇を作ることになったのですか」と問われて、答えるのが難しかった。もちろん劇の中身については企画書やチラシ等の宣材にも書いてある。助成金を貰うための書類にも内容は記した。
だが、実際にはこの劇の創作は、自分たち自身の、そして33年続いている劇団生活じたいの、「潜在意識」に潜り込み、浮上してくる何かを取り出すような過程を経てきたのではないか。と、今になっては思う。そのための触媒として、この極めて単純な物語が浮上してきたということだろう。
お楽しみいただければ幸いです。

(『ゴンドララドンゴ』当日上演パンフレットより)


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朝日新聞記事
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12460449.html?rm=150

毎日新聞記事
http://mainichi.jp/articles/20160707/dde/012/200/042000c


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ゴンドララドンゴ
“Go-n-do-la, La-do-n-go”

作・演出○坂手洋二

7月16日(土)~ 31日(日)
下北沢ザ・スズナリ

1980年代末、東京。ゴンドラやブランコに乗って、ビルのガラス清掃、外壁補修等、高所作業を業務の中心とする会社があった。全員が同じ時給、出勤は自己申告、「原始共産制」を標榜する自由な気風の中、社員の半数は俳優や音楽・美術等のアーティストだった。仕事のこと、未来のこと、さまざまな問題でぶつかり、通じ合う仲間たち。「昭和」「バブル」の終焉を経て、彼ら、そして家族たちは、さまざまな選択をしてゆく。

そして現在。私は、幼い頃、横書きされていた「ゴンドラ」という文字列を逆に読んだ記憶を頼りに、思いがけず、父たちの時代と出会い直すことになった。

日本社会は、どのような経緯をたどって現在の状態にあるのか。それを1990年前後の「バブル」の時期、そしてそれが変容していく象徴的な社会事件の多かった「95年」前後、そうした時期を舞台に描き出します。


川中健次郎 
猪熊恒和 
大西孝洋  
杉山英之
武山尚史 
山村秀勝
尾崎太郎
 
都築香弥子
中山マリ 
樋尾麻衣子
百花亜希
田中結佳 
宗像祥子
秋定史枝 
大浦恵実

円城寺あや


照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○森下紀彦
美術○じょん万次郎
衣裳○小林巨和  
アクション指導○佐藤正行
振付○矢内原美邦 
演出助手○村野玲子
文芸助手○清水弥生 久保志乃ぶ
美術助手○ 鈴木菜子
小道具応援○鴨川てんし
宣伝意匠○高崎勝也
写真・映像○姫田蘭
協力○オフィス・ミヤモト さんらん DULL-COLORED POP
制作インターン○寺島久美子(オイスターズ)
制作○古元道広 近藤順子

平日19:00開演
ただし 7/20(水)・7/28(木)は14:00 / 19:00
日曜・祝日は14:00
土曜日は14:00 / 19:00

受付開始○開演の40分前 開場○開演の20分前 

開演直前・直後は(一時的に)ご入場を制限させて頂く場合がございます。
未就学児のご入場はご遠慮下さい。


【全席指定】
一般前売3,600円 ペア前売6,600円 当日4,000円
大学・専門学校生&U-25(25歳以下)2,500円 
高校生以下1,500円
※学生、U-25は、前日までに電話またはメールでご予約の上、当日受付にて要証明書提示。

前売開始○6月19日(日) 11:00

★燐光群オンラインチケット(一般・ペア前売のみ)
http://rinkogun.com 
24時間いつでもホームページ上でご予約頂き、セブンイレブンでチケットをお受け取り頂けます。
お支払いは現金(セブンイレブン)、またはクレジットカードとなります(手数料はお客様負担)。
※会員登録(無料)が必要です。 

★ご予約・お問合せ○燐光群/(有)グッドフェローズ 
03-3426-6294 ticket-rinkogun@ee.alles.or.jp  
①<お名前/電話番号/希望日時/チケットの種類と枚数>をお伝え下さい。
こちらからのお返事を以てご予約とさせて頂きます。
②当日、開演の15分前までに受付にお越し下さい。代金と引換でチケットを
お渡しします。
開演の10分前までにご精算頂けない場合は、あらかじめご用意したお席にご案内できない場合がございます。
※キャンセル・日時変更はできません。 

主催○有限会社グッドフェローズ

http://rinkogun.com/gondola_ladongo.html
コメント
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