昨晩は大雨
台風の影響で、ここのところ不安定な天気が続いている。
今日の赤城山は上の方は雲に覆われている。
朝起きてカーテンを開けると、赤城山が見える。
山に行くようになってから、起きたら赤城山の様子を見るのが習慣になった。
赤城山までは、のどかな田舎道をのんびり車を走らせて約1時間で行ける。
行き先に困った時は赤城山に行く。
何度行っても不思議と飽きない。
赤城山は、黒檜山・地蔵岳・鈴が岳・長七郎山・鍋割山・荒山・・・、知ってるだけでもこんなにある。
初心者の私でも頑張れば登れる山ばかりだ。
そんな山々が近くにあると言うのは、本当に幸せだな~といつも思う。
よく行くのは地蔵岳。 私の足でも50分位で登れて、展望は抜群
気持ち良すぎて相棒と寝入ってしまい、顔が日焼けしてしまったことがあった
3・40分は寝てただろう。 二人して本気で山で寝てしまったのは、初めてだ。
それくらいリラックスできる。
小沼~長七郎山もお気に入りのコース
度々体調が悪くなるので、そういう時に少しだけ散歩するのにもってこいのコースだ。
長七郎の山頂も広々していて展望も良く、気持ち良い。
小沼は静かで落ち着く。
これからツツジが咲いたらとても美しい景色が広がる
そんな恋人のような赤城山を愛して住んでしまった著名人がいる。
俵萌子さん
赤城山の中腹に別荘のようなお宅と、俵萌子美術館がある。
8年前、まだ山歩きにそれほど興味がなかった頃、赤城山に遊びに行った帰りに俵萌子美術館に行ったことがある。
なんと、俵萌子さんご本人がいらした。
いつもいらっしゃるわけじゃないので、運が良かったみたいだ。
周りにいた年配のお客さんたちは、ご本人に会えたことで異常な興奮状態で、俵さんと写真を撮っていた。
その時の私は、恥ずかしながら、昔テレビのワイドショーなどにコメンテーターで出演されていた有名な人という認識しか持っていなかったのだ。
相棒は名前も知らなかった
興奮している年配のお客さんたちの中で、売店に売っていた陶器をじっと見ている私たちに興味が湧かれたのか? 俵さんがこちらに来て話しかけてくださった。
俵さんは優しい関西弁だった。
私たちが関西弁に近い三重県弁で喋っていたから、つられて俵さんも大阪弁が出ちゃったのだろうか。
俵さんは大阪でお生まれになって大阪でお育ちになっている。
花がプリントされた小さな箸置きをどれにするか迷っていたら、いろいろと陶芸の説明までして下さった
箸置き2個と
俵さんの本を一冊購入。
本には丁寧にサインをしてくださった
当時30代だった私は何故か? 「五十代の幸福」という本を選んだ。
本の帯には 「人生の第二幕をいかに生きるか いかに愉しむか」と書いてある。
人生の第二幕を幸福に暮らしていたいから、今から読んでおこうと思ったのか???
ただ単に、本の装丁が綺麗だったからか?
8年前だから全く覚えていない。
それからその本は何度も読んでいる。
山が好きになり、自然と遊ぶようになってから、俵さんのような暮らしに憧れる
また美術館にお邪魔したいなと思っている。
私にとって赤城山はそんなうれしい思い出もある、身近な楽しい山だ。
*18日の黒檜山の山頂だが、3年前にもちゃんと山頂に行っていたことが分かった。
記憶というのは3年で薄れるものだな~
3年前も赤城大神社の広場で休憩し、山頂にいた時間が短かったから忘れちゃったのかな
相棒の記憶の方が正しかったのが悔しいなあ~
相棒には内緒にし~とこっと
*写真再生 2021/02/01
このブログを書いたのは2008年5月20日。
その半年後、11月27日、俵萌子さんは天に召されました。
そして、翌月12月1日、俵萌子美術館は閉館となりました。
気さくで明るくて優しい女性でした。
楽しい思い出をありがとうございました。
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