3月27日(日)マキノ高原
地元の低山に登る予定だったが、出かける15分前、急遽行き先を変更した。
スノーシューを車に積んだ。
8時に自宅を出発。
滋賀県高島市マキノ町へと向かう
この時期、ガソリンを節約せねばならないのに遠出をするのは非常にはばかられたが、朝、あるHPの蔵王の雪景色を拝見したら、雪への願望が沸いてきてしまったのだ
マキノスキー場 10時20分頃到着。
今季のスキー場としての営業は終了している。
前夜、このスキー場のブログでちらっと見たのだけど、スノーシューコースがあるらしい。
かすかな記憶ではスキーコースの左だったような。。。
とにかく行ってみる。
雪は思ってたよりもかなり少なくて、スノーシューで遊べるかどうか微妙だ
雪で滑るので、とりあえずスノーシューを履いてみる。
一歩踏み出した途端
重~~~~~
水分をたっぷり含んだ雪は、あまりにも重すぎた
こんなに重い雪は初めてだ
上に上がってみると、そこからはブナ林の登山道になっていた。
アイゼンがなければ進めないし、今日は時間もなく、どこかの山頂まで行くつもりもない。
へなちょこな私たちは、この辺で雪遊びすることにした
お腹が空いたので、先にランチすることにしよう
とお湯を沸かしていると、ジャンジャン雪が降ってきた
吹雪の中、カレーヌードルをなんとか食べた
鳶? 鷹? 遠くから飛んできた。
人がいるからこっちに来ないのかと思ったら、どんどん近付いてきた。
いつまでも頭の上を旋回する
調べてみたら、尾が扇型に広がってるのが鷹(タカ)で、尾の真ん中が凹むように広がってるのが鳶(トビ)のようだ。
これは扇型なので、鷹やね
ずっと見てたら、首が非常に疲れた
大きな杉の木の向こうは琵琶湖です。
吹雪はランチの時だけで、すぐに止んだ。
なんて意地悪
運動不足なので、スノーシューで歩きまわる
雪山だったらスギ花粉から逃れられると思ったのに。。。
大きなスギの木がドーンとありました
マンサクの木が数本ある。
この間、いなべの梅林で見たマンサクより、お花が小さいように思えた。
ここ、マキノスキー場は昭和初期にオープンした老舗ゲレンデ。
スキー客の減少と施設の老朽化などにより、2004年、ゲレンデ4か所のうち、上中級者向け3か所を閉鎖。
リフトを撤去したそうだ。
第二出札所 と書かれています。
白鳥と書かれた建物は、元山小屋?
今はリフトの代わりにサンキッドと呼ばれるムービングベルト(ベルトコンベアーみたいなの)に乗って上がるようだけど、急斜面はなく、ファミリーで雪遊びといったゲレンデのようだ。
マキノ高原は千本桜でも有名だそう。
桜の時期も良いし、他にもたくさんお花が咲くようだ。
季節を変えて、また行ってみたい。
今度は赤坂山にも登りたいな
駐車場に戻って片付けていると、また雪が舞ってきた
寒い
メタコセイアの並木を通って、ちょっと懐かしい場所に立ち寄ってみることにした
琵琶湖
左に見えるのは奥琵琶湖マキノプリンスホテル。
昔、若い頃、このマキノサニービーチに来たことがあった。
確か観光のついでに寄ったような記憶がある。
一応水着になって入ってみたが、生臭いしゴミがたくさん浮いていて閉口した記憶がある。
それが今は、とってもきれいなビーチへと変貌していた。
「日本の白砂青松100選」に選ばれたそうだ
相棒は昔、琵琶湖にブラックバスを釣りに来たことがあった。
その時、釣ったブラックバスを家に持ち帰ってきた。
新巻鮭をおろせるから、こんなの簡単さ
と思ったら、まな板に乗せた途端、めちゃくちゃはねた
にっちもさっちもいかないので、相棒の実家に持って行った
お義母さんはなんとかさばいて、フライにしたらしい
道の駅に立ち寄った。
名産品のふな寿司がズラリと並んでいた。
なんと! 12,600円也
食べたことないけど、どんなお味なのかしらん???
鮒とか鯉とか、私は苦手だ
鮒寿司は諦めて、鮎の山椒煮を買いました。
相棒が買いに行ったのだけど、6匹で800円のところ、最後の1パックと言うことで700円にしてもらったそう
相棒はおばちゃんうけがすこぶる良い
ついこの間も、たこ焼きを100円引きにしてもらっていた
鮎の山椒煮は卵がびっしり入っていた。
甘めの薄味で、山椒の風味も良くておいしかった
お蕎麦を頂くことにした。
琵琶湖でとれた小エビのかきあげと鴨肉のお蕎麦は、なんと500円!
小エビがいい香りで、鴨肉も軟らかく美味しかった
おおきに またどうぞ!
優しくてとても心地いい響きだった
帰りの高速道路。
伊吹山が迫って来る。
見る方角によって、ずい分と山容が違うね。
浅間山のようにどっしりとしていた
*写真再生 2021/09/23
この鴨の入ったお蕎麦は、今年のGWに父に食べてもらいたくて、買いに行ったのだった。
父に持っていくと嬉しそうに笑っていたが、今から思えば、その頃はもうほとんど食べられなかった時期だったので、微妙な微笑みだったのだとあとから分かった。
父がラインをくれて、「いつもの味で美味しかったよ。」と。
母に聞いたら、「食べてたよ」とのことだった。
自分も10年前に食べていたことは、すっかり忘れていた。