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脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

数字だけで分かるのか? 6

2018年09月04日 | 経営
社員にすれば、「飯が食える(給料がもらえる)」というのが、労働の第一条件かもしれません。
「好きな仕事なら、給料が安くても文句を言わない」という考えもありますが、好きな仕事に従事できている人は、社会人の中でどの程度いるでしょう?
いや、それ以上に「好きな仕事」を理解している人は少ないかもしれません。
「営業職希望」と考えても、それが住宅の新築営業なのか、生命保険の営業なのか、車の販売なのか、いろいろな営業があります。
具体的に「○○を扱う営業」とまで考え、そこに従事できている人は少ないかもしれません。
何しろ、将来就きたい職業が「公務員」ですからね。それが警察官なのか、教員なのか、役人なのかはハッキリしていないのです。

ちょっと横道に逸れましたが、「飯が食える」を条件で考えた場合、工場経営で「休ませないように量を確保する」というのは、「従業員を不安にさせない」という意味においては重要だと思います。
もちろん、相応の利益がある事も条件です。
サラリーマン時代は「ノルマを果たせば給料が増える」でしたので、これも仕組みとしては素晴らしいかもしれません。

ただ、工場経営で「量を増やす(減らさない)」には、経営者の努力、行動が伴っていると思いますので従業員にも理解されやすいのに対し、サラリーマン時代の「ノルマを果たせば」には、上司の存在意義が見えにくい、上司の行動が社員の結果に影響があるようには見えないというものがあります。
本来であれば「あの上司についていけば(見習えば)成長できる」が理想ですけど、畑違いから出世しポストに就いた、所謂「マネージャー」の場合、その存在にはなり得ませんので、「マネージャーとしての影響力」で存在をアピールする事になってしまうのかもしれません。
結果、現場とは温度差のある判断、指示になってしまうのですが、「飯が食える」の定義は崩れないので、社員は辞めないという事です。

売上数字は問題なく(ノルマを果たせている)社員も辞めない。
それなら「経営者(上司)は正しい」と考えても間違いではないのかもしれませんが、これは「数字だけ」の判断になります。
「心」の部分では、大きな隔たりがある可能性があるという事です。

社員が「好きな仕事」かどうか分からない場合、「待遇」か「心」が繋がっていなければ、辞めてしまう可能性が高いです。
工場経営では「心」の部分で繋がりが強いのかもしれません。
利益を追求できていなければ、給料の面では多少のマイナスがある可能性も高いからです。

だからこそ、「量」を追求し、「休ませない」という部分を強化していく必要があるかもしれません。
利益が少なくなっても、とにかく「量」です。
これで繋がっている従業員であれば、この部分だけは妥協してはいけないという事です。

続きます。


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