ショートファンタジーⅡ『ハッピーコイン』 href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/94/ce6b35fa262fa8971d61e55506819851.jpg" border="0">
お弁当のお釣りは三百二十円だった。
十円玉が二個、百円玉が三個。
そのうちの百円玉一個だけがピカピカだった。たった今造幣局から来たみたい。
このお弁当は、はるかの十七年間の東京での最後の買い物だった。
――この百円玉だけ……とっておいてもいいよね。
「はるか、そろそろ電車来るよ!」
「うん、いま行く!」
富士山が見えたころ、最後まで残していた携帯のアドレスから、それを消した。
はるかの幼なじみ、なゆたのアドレスを……
自分のアドレスは、機種変更をして昨日変えた。
新しいアドレスはだれにも教えていない。
だって、もう二度と東京に戻ることはないのだから。
今日からイニシャルが変わる。HGからHBへ。
ハイグレードから波瀾万丈へ……
「なにがおかしいの?」
お弁当を広げながら、お母さんが聞いた。
「ううん、なんでも……」
なんか、ギャグにでもしないと、心が折れてしまいそう。
たった今、未練に残していた幼なじみのアドレスを消したんだ。
若干の服は持ってきた、裸でいるわけにはいかない。
校章を外した制服も持ってきた。
新しい学校の編入試験を受けなければならない。
私服で受けてもいいんだけど、自分が高校生であるということだけは……ことぐらいは残しておきたかった。
イニシャルが変わっても、自分が自分であることの最後の証明なんだから。
編入試験も無事に通り、編入に必要な手続きも今日終わった。
最後の制服を脱いで、壁に掛けてみた。
乃木坂学院高校の、その制服は、はるかの十七年間の人生の抜け殻のようだった。
新しいY高校では、演劇部に入った……入らされた。大阪的な強引さに負けた。
土壇場の意地で仮入部ということにしてある。
クラブの顧問は、大阪のオバチャンを絵に描いたような人。強引だけど嫌みがない。
部員で、クラスメートの由香と仲良くなるのにかかった時間は十五分ほどだった。
手際よく校内を案内してくれて、気がついたら……メアドの交換をやっていた。
「あんた」という二人称を最初から使われたのには戸惑ったけどすぐに慣れた。
タマちゃん先輩とタロくん先輩もいい人。タコ焼きの上手な食べ方を教わった。
大阪は、タコ焼き一つ食べることで人間関係がいっぺんに近くなる。ハンバーガーやド-ナツじゃこうはいかない。駅前のタコ焼き屋さんには、マニュアル化された応対がない。
「ほい、まいど。お、あんた見かけんベッピンさんやな!?」
「あ、昨日転校してきたんです」
「坂東はるかちゃん云うんです。おっちゃん、仲良うしたってな」
「あたりきしゃりき、お近づきのシルシに一個ずつオマケや」
「あ、はるかちゃんの二個多い」
「ばれてもたか。おっちゃんベッピンさんには弱いさかいなあ」
「おっちゃん、商売うまいなあ」
「いや、今日は、おっちゃんのオカンの誕生日やさかいなあ」
「去年は、あたし四月に入って、オカンの命日で二個サービスやったよ?」
「ハハ、オカンは四月生まれの、五月の命日や」
「あの……それ、逆になってますけど」
クスクス笑っている先輩二人。
「ウ……今年は、命日と誕生日テレコやねん」
「テレコ……?」
「ワハハハ!」
狭い店内に、明るく大きな笑い声が満ちた……
自分が持っていた意地が、少しつまらないものに感じられた。
大阪に来て、最初の土曜日は忙しかった。部屋を片づけたり、買い物に行ったり。
たまたま、クラブのコーチが同じ町だと分かった。買い物の途中で出くわしたのだ。
物理的にも精神的にも、距離のとり方が近い。少し面食らったけど、すぐに慣れた。
近所の八幡さまに連れて行ってもらった。
空は、のどかな五月晴れ。
わたしはピカピカの百円玉を、少しためらって、エイヤって感じでお賽銭箱に放り込んだ。
同じころ、なゆたはコンビニで買い物をしていて、お財布を開けた。
見覚えのないピカピカの百円玉がはいっていた。
「あれー、へんだなあ……」
昨日食堂で、お蕎麦を食べようとして、百円玉は使い切ったはずなのに。
ピカピカなのに、なんだか懐かしい百円玉だった。
なゆたは、千代紙の小袋に入れて大切に机の引出にしまった。
ときどき机を開けて、百円玉に「ただ今」とか「元気してる?」とか声を掛ける。
半年がたって、二人それぞれいろんなことがあった。
はるかは、すったもんだの後、お父さんの新しい奥さんとも仲良くなった。
今では「東京のお母さん」なんて云ったりしている。
クリスマスイブの日に、はるかは東京の「実家」を訪れ。その夜は、なゆたの家でパーティーを開き。二人は半年ぶりで再会した。
それからは、ビデオチャットで毎日のように話しをした。
なゆたも同じ乃木高の演劇部だったので、話の種は尽きない。
元日の初詣で、ピカピカの百円玉をお賽銭にした。
はるかと再会できたお礼やら、百円では厚かましいほどの願い事をした。
空には、ぽっかり白い雲がひとつ浮かんでいた……
『イニシエーション・Y高演劇部物語』『なゆた 乃木坂学院高校演劇部物語』より。
お弁当のお釣りは三百二十円だった。
十円玉が二個、百円玉が三個。
そのうちの百円玉一個だけがピカピカだった。たった今造幣局から来たみたい。
このお弁当は、はるかの十七年間の東京での最後の買い物だった。
――この百円玉だけ……とっておいてもいいよね。
「はるか、そろそろ電車来るよ!」
「うん、いま行く!」
富士山が見えたころ、最後まで残していた携帯のアドレスから、それを消した。
はるかの幼なじみ、なゆたのアドレスを……
自分のアドレスは、機種変更をして昨日変えた。
新しいアドレスはだれにも教えていない。
だって、もう二度と東京に戻ることはないのだから。
今日からイニシャルが変わる。HGからHBへ。
ハイグレードから波瀾万丈へ……
「なにがおかしいの?」
お弁当を広げながら、お母さんが聞いた。
「ううん、なんでも……」
なんか、ギャグにでもしないと、心が折れてしまいそう。
たった今、未練に残していた幼なじみのアドレスを消したんだ。
若干の服は持ってきた、裸でいるわけにはいかない。
校章を外した制服も持ってきた。
新しい学校の編入試験を受けなければならない。
私服で受けてもいいんだけど、自分が高校生であるということだけは……ことぐらいは残しておきたかった。
イニシャルが変わっても、自分が自分であることの最後の証明なんだから。
編入試験も無事に通り、編入に必要な手続きも今日終わった。
最後の制服を脱いで、壁に掛けてみた。
乃木坂学院高校の、その制服は、はるかの十七年間の人生の抜け殻のようだった。
新しいY高校では、演劇部に入った……入らされた。大阪的な強引さに負けた。
土壇場の意地で仮入部ということにしてある。
クラブの顧問は、大阪のオバチャンを絵に描いたような人。強引だけど嫌みがない。
部員で、クラスメートの由香と仲良くなるのにかかった時間は十五分ほどだった。
手際よく校内を案内してくれて、気がついたら……メアドの交換をやっていた。
「あんた」という二人称を最初から使われたのには戸惑ったけどすぐに慣れた。
タマちゃん先輩とタロくん先輩もいい人。タコ焼きの上手な食べ方を教わった。
大阪は、タコ焼き一つ食べることで人間関係がいっぺんに近くなる。ハンバーガーやド-ナツじゃこうはいかない。駅前のタコ焼き屋さんには、マニュアル化された応対がない。
「ほい、まいど。お、あんた見かけんベッピンさんやな!?」
「あ、昨日転校してきたんです」
「坂東はるかちゃん云うんです。おっちゃん、仲良うしたってな」
「あたりきしゃりき、お近づきのシルシに一個ずつオマケや」
「あ、はるかちゃんの二個多い」
「ばれてもたか。おっちゃんベッピンさんには弱いさかいなあ」
「おっちゃん、商売うまいなあ」
「いや、今日は、おっちゃんのオカンの誕生日やさかいなあ」
「去年は、あたし四月に入って、オカンの命日で二個サービスやったよ?」
「ハハ、オカンは四月生まれの、五月の命日や」
「あの……それ、逆になってますけど」
クスクス笑っている先輩二人。
「ウ……今年は、命日と誕生日テレコやねん」
「テレコ……?」
「ワハハハ!」
狭い店内に、明るく大きな笑い声が満ちた……
自分が持っていた意地が、少しつまらないものに感じられた。
大阪に来て、最初の土曜日は忙しかった。部屋を片づけたり、買い物に行ったり。
たまたま、クラブのコーチが同じ町だと分かった。買い物の途中で出くわしたのだ。
物理的にも精神的にも、距離のとり方が近い。少し面食らったけど、すぐに慣れた。
近所の八幡さまに連れて行ってもらった。
空は、のどかな五月晴れ。
わたしはピカピカの百円玉を、少しためらって、エイヤって感じでお賽銭箱に放り込んだ。
同じころ、なゆたはコンビニで買い物をしていて、お財布を開けた。
見覚えのないピカピカの百円玉がはいっていた。
「あれー、へんだなあ……」
昨日食堂で、お蕎麦を食べようとして、百円玉は使い切ったはずなのに。
ピカピカなのに、なんだか懐かしい百円玉だった。
なゆたは、千代紙の小袋に入れて大切に机の引出にしまった。
ときどき机を開けて、百円玉に「ただ今」とか「元気してる?」とか声を掛ける。
半年がたって、二人それぞれいろんなことがあった。
はるかは、すったもんだの後、お父さんの新しい奥さんとも仲良くなった。
今では「東京のお母さん」なんて云ったりしている。
クリスマスイブの日に、はるかは東京の「実家」を訪れ。その夜は、なゆたの家でパーティーを開き。二人は半年ぶりで再会した。
それからは、ビデオチャットで毎日のように話しをした。
なゆたも同じ乃木高の演劇部だったので、話の種は尽きない。
元日の初詣で、ピカピカの百円玉をお賽銭にした。
はるかと再会できたお礼やら、百円では厚かましいほどの願い事をした。
空には、ぽっかり白い雲がひとつ浮かんでいた……
『イニシエーション・Y高演劇部物語』『なゆた 乃木坂学院高校演劇部物語』より。