泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
塀に穴が開いただけで済んだ。
寿屋の小父さんは元消防団長で、やっぱプロの火消しは大したもんだと思った。家族六人のガスマスクも小父さんが外してくれて事なきを得た。
「ガスマスクってのは一般用がないからね、防災ヘルメットみたいに着脱が簡単じゃないんだよ」
外してもらった顔には、しっかりマスクの縁の痕がクッキリ。まるで顔の皮膚を移植しましたって感じになってる。
「キャー、信じらんない!」
一声あげて家に逃げ帰った小菊は無事だったが、残り五人はご近所の皆さんや通行人の人たちに写真やら動画に撮られられてしまった。
「動画サイトに投稿されるわね(^_^;)」
松ネエの予想は、しっかり当たって、昼過ぎには新聞社と放送局までやってきた。
で、今日は朝から大江戸放送のスタジオに来ている。
「それでは妻鹿家のみなさんどうぞ!」
国営放送出身のMCの声が掛かって、俺たちはスタジオの真ん中に進んだ。
手に手にガスマスクをぶら下げ「どうぞ!」の掛け声で装着する。
あれから何度もやってみたので、六人の手際はなかなかのもんだ。
「すごい、五秒で装着完了ですね!」
MCのストップウォッチはきっかり五秒を指している。
オームサリン事件でも活躍した警察OBのお爺さんがチェックをしてくれて、しっかり合格点をくれる。
「とっさにはキッチリとした装着はむつかしんですが、妻鹿家のみなさんは怪我の功名と言ってはなんですが、しっかりなさっていますね」
「どいうところが注意点なんでしょうか?」
MCは国営放送の謹厳実直さで訊ねる。
「顔とマスクの間に隙間ができないことが重要です」
「なるほど」
レギュラーやゲストの皆さんが寄ってきて、しげしげと俺たちのマスク顔を覗き込む。
「さらに重要なのは、ここからなんですが……」
OB爺さんがいきなり俺のマスクを掴んでグラグラと揺すった。
「お、う、あ」
3D酔いのようになって、うめき声がもれてしまう。
「人間というのは動きますし表情が有りますので、装着後は、できたら人に揺すってもらったりして確認するのが良いと思います」
「妻鹿さんの家はご家族が多いですからいいと思うんですけど、一人暮らしの人とか」
「そうですね、家族が居てもとっさの時などは」
「ガスマスクってフリーサイズですしね」
ゲストがいろいろ言う。
「そういう時は、口を大きく開け閉めしていただいて、馴染ませるとよいと思います」
「みなさん、お口の開け閉めを」
スタジオというのは人を従順にしてしまう魔力があるようで、妻鹿家の面々は、あの気難しい小菊でさえフガフガとやり始めた。
「お、あ、あががーーーー(゚o゚;」
親父が尋常ではないうめき声を上げ始めた。
「あ、これは……」
OB爺さんは、すぐに親父のマスクを剥がして異変に対処した。
親父は、マスクの中で大口御開けすぎて顎を外してしまったのだ。
カクン
ピンマイクが拾った音は以外に大きく、親父には災難であったけど、スタジオは笑いの渦に包まれた。
放送局というのは大したもので、アクシデントがあったにも関わらず、予定時間の中にガスマスクを収めてしまった。
☆彡 主な登場人物
- 妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
- 百地美子 (シグマ) 高校二年
- 妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
- 妻鹿由紀夫 父
- 鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
- 風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
- 柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
- ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
- ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
- 木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
- 増田汐(しほ) 小菊のクラスメート