真凡プレジデント・48
テレビ局というのは巨大な壁だと思っていた。
そして、壁でいいと思っていた。
世の中の良識や放送文化を守るためには、少々の事では動じない壁であることは重要であるとさえ思っていた。壁の芯さえしっかりしていれば、それでいい。
しかし、壁自身はしんどいものだから、私自身が壁の成分になるつもりは無かった。
でも、気づくと、いつのまにか自分も壁の成分になってしまった……それが、とっても嫌で三月に辞めた。
最初の違和感は、大輔の父で毎朝テレビの創設者輔一氏。
安保法案が衆議院を通過した夜の特番。駆け出しであるにもかかわらず、キャスターの助手として出してもらった。
輔一氏は、引退した会長でありながら、止むにやまれず出演していた。
「これで日本は戦争ができる国になってしまいました。この法案に賛成する人はよく聞いてください。戦争に行くのは自衛隊だと思っているでしょう。そして自分自身は戦争なんか関係ないと思っているでしょう。つまり他人事だと。戦争になったら、そういうあなたたちが駆り出されるんです! 戦場に行く勇気ありますか? 他人事だと思っているなら、これについて議論する資格はありません! 法案に賛成するなんてもってのほかです! 駆り出される危機感、駆り出される人の身になれないものに論評する資格はない!」
言論人の矜持ここにありという熱弁で、スタジオはシーンとしてしまった。
違うと思った。
駆り出される人の身にならなければ……切実な言葉のように思えるけど、それって変だ。
だって、その論法で行くと、教師にならない者は学校教育に関する批判はできないことになる。医者や看護師になる気持ちが無ければ病院や医療の批判はできないことになる。スタジオのみんなは拍手して、アシスタントのわたしも拍手したけど、心では違うんじゃないだろうかと感じていた。
そうだよ、だって輔一氏自身「俺は、どんなに誘いを受けても政治家になる気なんかないよ」と、野党からの誘いを断ってきている。その、政治家になる気のない者が政治を批判してるって自己矛盾でしょ。
広報に問い合わせたら、同じ疑問や不信を持って局に抗議してきた人や疑問に感じた人が数百人電話してきたそうだ。広報は「局としても会長としても矛盾とは感じておりません、十分なご理解がいただけますよう、これからも努力してまいります。貴重なご意見有難うございました」と返答し、抗議電話があったことは会長には伏せられた。
「なぜ、報告しないんですか?」
「苦情や抗議は毎日来ている、それを処理するのが広報の仕事。いちいち報告していたんじゃ、ただのメッセンジャーボーイでしょ」
どこを誤解したらそうなるのか、広報部長は自慢げにズレた眼鏡を押し上げた。
そして、なにより、他のマスコミで問題にされることもなく、一部のネトウヨがしつこく書き込みをするだけになった。あのころのネットなんか屁みたいな。ものだったしね。
そしてね……ある日、将来の勉強のためだからと言うので、編成会議を見学させてもらうことになった。
編成会議って、重役会と同じだから、たとえ見学といえど同席させてもらえるのは、そういうルートに載せてやってもいいぞというサインでもある。
だから、わたしも大したものだ……と、思うようなところがあったのも事実。
部屋を出る時に輔一氏の手がわたしの胸に触れた。
「あ、いや、ごめん。身のこなしがガサツなもんで、済まなかった!」
顔を真っ赤にして詫びる輔一氏に、わたしは好感さえ持った。
とてもシャイで、少年のように恥じらいを見せる氏に――真っ直ぐな人なんだ――と思った。
そこに息子でチーフディレクターの大輔が寄って来た。
「気を付けろよ、あれが親父の手だ。つぎは偶然出会った廊下とかでお茶に誘われる。その次が食事で、そのあと酔ったふりしてホテルの部屋まで送らされて行為に及ぶから」
「ま、まさか、お父さんでしょ!?」
「だから注意してんだ」
大輔の指摘は当たっていた。
わたしはタイミングが合わなかったということもあって、氏の興味は薄れていき、代わりに後輩の女子アナが毒牙に掛かった。たった一年で局を辞めた彼女は海外にいるらしいが、いきさつはあえて調べない。
その後、大輔自身が同じ手を使ってきたので、微笑ましいやらアホらしいやら。脛を蹴飛ばしてやったらそれっきりになった。
池島親子が特殊なのではなくて、放送局と言うのは多かれ少なかれ、こういうアンモラルなところがある。
こういう世界に居るので、五年目にはすっかり慣れて屁とも思わないお局様になった。
「すまん、M省のA局長の証言とってきて」
M省のA局長は次期事務次官の噂も高いやり手でM省に関わる許認可では大きな権限を握っている。当然いろんな噂があって、その裏と弱みを握ってくるのが仕事だ。
こいつをセクハラでやりこめた。大輔のアイデアでインタビューを録音し、それを編集して文芸毎朝に持ち込んだ。
――勇気ある女性記者、A局長のセクハラを暴露!――
ということになり、二週間でA局長を辞職に追い込み、M省大臣を引責辞任の手前まで持って行った。
そして、阿倍野首相に対する――記者の呼びかけを完全に無視して去っていく総理――の現場に立ち会ってしまった。
疼痛のような嫌気がさして、三月で仕事を辞めた。
いろいろあって、毎朝テレビなんてどうにでもなれと思っていたが、まさか潰れるとは思わなかった。
NHKのニュースで知って、涙がこぼれるとは思わなかった。
巨大な壁は、十日余り電波が停まることで、実にあっけなく潰れてしまった。
なんの涙か、自分でも分からないけど、妹の真凡に悟られるわけにはいかない。
だって、カッコ悪すぎる。
ドラマの主役がやっていたのがカッコよくて真似してみたが。
アルミ缶を握りつぶすときは気を付けよう。手のひらを二センチも切ってしまったよ(^_^;)
☆ 主な登場人物
- 田中 真凡 ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
- 田中 美樹 真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
- 橘 なつき 中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
- 藤田先生 定年間近の生徒会顧問
- 中谷先生 若い生徒会顧問
- 柳沢 琢磨 天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
- 北白川綾乃 真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
- 福島 みずき 真凡とならんで立候補で当選した副会長
- 伊達 利宗 二の丸高校の生徒会長