泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
今日は妻鹿家恒例の、でも、三年ぶりの花見だ。
うちは江戸時代から続いた置屋の家系なので、春には総出で花見に行っていた。江戸時代にはお女郎さんや芸者さんに御贔屓さんたち百人ほどの大勢で、上野や飛鳥山にくり出したそうだ。パブの時代も、ご町内やらお馴染みさんたちで、東京近郊の名所を巡っていた、妻鹿家恒例の行事だ。
ここ数年は、親父の仕事や祖父ちゃんの入院なんかで飛び飛びになっていて、もうこの習慣はお仕舞かと寂しく思っていた。
「今年は松ちゃんも来てくれたことだし、みんなでくり出そう」
祖父ちゃんの心意気で復活することになった。
上野か飛鳥山か、はたまた明治神宮か浜離宮公園か、親父もネットで検索して、おさおさ怠りが無い。だけど、昨日から祖父ちゃんの腰痛が復活、親父も午後から日曜出勤というアクシデント。
けっきょく、徒歩五分のところにある神楽坂鈿女神社(かぐらざかうずめじんじゃ)で済ますことになった。
神楽坂鈿女神社などというと仰々しいが、要は風信子の家の神社だ。
「それじゃ、うちの豊楽殿を使ってください」
神主である風信子のお父さんが勧めてくれるが、やっぱり桜の下でなきゃ風情が無いということで、境内で一番大きな桜の下にゴザを敷いた。
「そんなことは、あたしがやります」
ゴザを敷き始めた祖父ちゃんに松ネエが手を差し伸べようとする。
「これには敷き方があってね、ま、見てなよ。おい、由紀夫、そっち持てや」
祖父ちゃんは親父とお袋を使ってゴザを敷いて、お重やら酒やらを並べ始めた。
「……なるほど、なんだか雅やか」
桜に対する角度やヘリの合わせ方なんかが上手くできている。子供のころには気づかなかったけど、祖父ちゃんのそれには華がある。
「ここを舞台と見立ててな、桜と桟敷が喧嘩しねえように……お重や酒ははすかいに……な、こうやると粋ってもんだろ」
なんだか、しばらく鑑賞していたくなるようなしつらえになってきた。
「写真撮らせてもらっていいですか」
巫女装束の風信子がデジカメを持ってやってきた。
「おー、風信子(ふじこ)ちゃん、いくらでも撮ってくれ」
「うちのホームページに載せて宣伝します」
「じゃ、あたしも動画にしてSNSに載せまーす!」
松ネエも張り切りだした。
「ね、バックにさ、幕とか張るとイケるんじゃない、お祖父ちゃん!?」
小菊が閃いた。
小菊にはこういうところがある。年に一回あるかないかで、ピピっと閃いて、そのうちの一つか二つかはホームラン級。小二の時に書いた作文が都のコンテストで最優秀をとったことがある。
「幔幕なら神社のがあります」
風信子が言ったが「昔のうちのがあったらなあ……」と親父が呟く。
「それなら、寿屋にくれてやったのがあるはずだ」
祖父ちゃんが思い出した。
「うち閉めたときに、せっかくの妻鹿屋の幔幕だってんでくれてやった、たしか帳場のディスプレーになってる」
「あたし行ってとってくる」
「かさ高いから雄一も付いて行ってやんな、寿屋には電話入れといてやっから」
俺は小菊と一緒に寿屋に急いだ。
飯田橋の近くなので十分ちょっと、途中地元民しか知らないショートカットを通ってたどり着く。
「お祖父ちゃんから電話もらってるよ」
幔幕は二枚で一対になっているので紙袋で二杯になっていた。
「じゃ、お借りします」
きちんとお礼を言って店を出る。
「あ……」
「どうかしたか?」
「そこに増田さんがいたみたいな」
「増田?」
「ほら、学食の……」
「ああ」
思い出した、学食でラーメン被っちまって火傷しかけた。お姫様抱っこした感触が蘇る。
「え?」
小菊が指差したところに人影はなかった。
「幔幕って、吊り下げる紐とかいるよな」
俺にしては良く気が付いた。幔幕には専用の釣り紐が要る。二人で出てきたばかりの寿屋に引き返す。
「ごめんごめん、気が付かなかった」
社長に専用の釣り紐を出してもらい、再び店の外に出る。
「あ……」
「どうかした?」
今度は俺が気づいた。
「増田さん?」
「いや、ヨッチャン……うちの担任がいたような」
もう一度目を向けたそこに人影はなかった。
俺も小菊も気のせいかと思ったが、週明けにひと騒動になるのだった。
☆彡 主な登場人物
- 妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
- 百地美子 (シグマ) 高校二年
- 妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
- 妻鹿由紀夫 父
- 鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
- 風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
- 柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
- ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
- ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
- 木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
- 増田さん 小菊のクラスメート