本日のスピーチコンテストの原稿です。題目は「スポーツの日」。でも、練習不足で時間超過してしまいました。
オリンピックが開催される今年、皆さんは新しいカレンダーを見て何か気づいたことはありませんか。従来の祝日が今年だけ別の日に移動しているということだけではありません。実は、「体育の日」が「スポーツの日」と名称が変更になっているのです。
この名称変更は2年前に国会で審議されろくな議論もされずすんなりと決ったという経緯があります。そこで今日はその改正についてより理解を深めるために当時の参議院文部科学委員会に私が飛び入り参加したと仮定して話を進めたいと思います。
委員長(高階恵美子、自民党)只今より国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案について、提出者浮島智子君から順次趣旨説明を聴取いたします。浮島君。
委員・衆議院議員(提出者浮島智子、公明党)
はい、ご説明します。近年、スポーツは、個人の健康の保持増進や人格形成に寄与するのみではなく、人と人との交流の促進による地域社会の活性化や経済の発展など大きな社会的影響力を有するようになってきております。
このような中、平成32年にオリンピック競技大会及びパラリンピック競技大会が東京で開催され、世界中の人々がスポーツのために我が国に集うこの好機に、スポーツの価値を世界の人々と分かち合い、世界各国と協調していくことが期待されております。
そのような観点から、学校教育としてイメージの強い体育の語を用いている体育の日の名称について、世界的に広く用いられているスポーツの語を用いて、スポーツの日と改めることが望ましいとされているところであります。
そこで、本案は、体育の日の名称をスポーツの日に改めるとともに、スポーツの日の意義について、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。」ものとすることとしております。
委員長:質問はありませんか。
杉山委員:委員長!
委員長:杉山委員、発言を許します。
杉山委員:私はこの名称変更に反対の立場から意見を述べます。まず、伝統ある国民の祝日に、前例のないカタカナ語、外来語を使うのは望ましくないと考えます。
「体育」と「スポーツ」は、意味合いが似ているようで違います。
例えば、「文化の日」を「カルチャーの日」としたり、「成人の日」を「アダルトの日」としたりすればやはり意味が変わってくるではないでしょうか。
浮島委員:おっしゃる通り「スポーツ」とは、もちろん外国語であり、外国の文化を輸入したものです。sport の語源はラテン語の「deportare」です。 この語は、日々の生活から離れること、すなわち、気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶなどを意味しました。 これが中世フランス語では「desport」と呼ばれ、14 世紀にイギリス人が「disport」として使用してからその後diが取れてsport となったものものと言われています。 そして、明治維新の文明開化で多くの外国文化がその言葉とともに我が国に伝わってきました。それらはこのようにその意味に一番近い訳語が当てられてきたわけですが、スポーツだけは適当な言葉が見つからずいくつかの訳語を経て体育に落ち着いたという歴史があります。50余年を経て教育中心の体育からスポーツを通して遊び、楽しむ時代がやってきたということです。
杉山委員:そういうことでは、これまで我が国が大切にしてきた精神修養や人格修養という体育の良き伝統が失われてしまうのではないでしょうか。
浮島委員:果たしてそうでしょうか。杉山委員が今も続けられている空手道では道場訓というものがあり稽古のたびに全員で復唱してるそうですね。こんなふうに。
(掲示のみ)
一つ 人格完成に努むること
一つ 誠の道を守ること
一つ 努力の精神を養うこと
一つ 礼儀を重んずること
一つ 血気の勇を戒めること
このような精神はすでに我々の日常生活の中に溶け込んでおり、多くの日本人が半ば無意識に大切なことと思っています。ですから、「スポーツの日」と呼び方が変わってもその伝統は引き継がれていくものと確信しております。
杉山委員:丁寧なご説明で納得いたしました。最後に宣誓をもって私の質問を終えます。
宣誓!
私は、マラソン、テニス、空手道を愛する一国民として、スポーツマンシップにのっとり、スポーツの価値を世界の人々と分かちあうため、今年から「体育の日」ではなく「スポーツの日」を正々堂々と心から祝っていく事を誓います。
コンテストマスター!
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