ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

周の五千字

2011年05月13日 | 歴史の革袋
一関に、函谷関に近い風景をさがせば須川岳の渓谷沿いに、それはある。
いまから2300年前といわれる周の時代に、5千余字の殷の文字を、函谷関に残して歴史のかなたに去った者がいた。
殷文の意味にゾッコン感銘したのちの財力者は、印刷技術もない時代の知っているかぎり手を尽くし、全部は無理でも写筆収集して、自分の墓所にまで携えたものであるが、2千年後の現在にもそれは隠然と伝わった。
その字は殷の象形文字であったので、解釈に謎があって諸説がおこったが、数十年前のこと中国の貴人の墳墓から、突然2千年ぶりに数千字が掘り出され、時空をこえた原書の謎の半分は解消したらしい。
残る謎のひとつは、現代には失われた象形文の判読がいろいろに読めて、だれにも本意に迫れない未知の可能性が残ってしまった。
震災にあって時間のできた当方も、その上篇第一章の解釈に、ジャズ的に挑戦してみたのだが、しかしこの第一章はハンガリー舞曲5番の調べにのって脳裏に浮かぶのがなぜか似合っていると思う。

道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其儌。比両者同出而異名。
同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

『好きなジャズの曲ばかり聴いて、それがジャズだと思わんほうがええ、って知っとるがな。タンノイとJBLで、どっちがジャズかって、かんたんに決まるもんでおまへんにゃ。名あるアーチストはんが欲ば捨てて、どえりゃぁノった録音だが、いんやー、めっぽう良さげな、あのビレッジ・ヴァンガード、たまらん。
そいで、JBLでもタンノイでも両方で聞いてみなはった人が言っとったが、ぎょーさん売れた同じ録音LPでも、スピーカー、やっぱ組み立てた工場が違えば味が違うモンやち。なんぼのモンや、などと言わにゃあで、音の出る門は意味がある。きばりなはれ』

その函谷関を連休に通過した秋田のアルテックたまゆら巧芸団とおぼしい人が、仙台の慇懃な紳士と立ち寄ってくださった。
秀麗なご婦人をかたわらにして、しばらくアルテックの汲めども尽きぬ魅力のかずかずを伺った。
仙台の御仁には、想という殷文が漂っているような、何か?と目を凝らしたところ、人の陰に見えなくなったのが不思議。
竹簡の歴史にも、今後まだ発掘はあるのか。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウエストミンスターの客 vol.8 | トップ | 塩竃市のエクスクルーシブ装... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史の革袋」カテゴリの最新記事