魔人の鉞

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「キリスト教と仏教の同質性」

2019-08-07 08:05:34 | 宗教

「キリスト教と仏教の同質性」 長谷川洋三 著、早稲田大学出版部 2000年。

著者は早稲田大学名誉教授で仏教・良寛研究者です。「イエスはユダヤ教より仏教に近い」を読んで、その元の本を取り寄せて読ませていただきました。

まったく新しいキリスト教学です。
まず、処女懐胎、十字架上の死、復活は事実ではなかった、という説の紹介。シドニー大学のバーバラ・スィーリング教授が死海文書をベシェルの技術によって解読した結論だそうです。
まず、当時は婚約期間中に妊娠した場合は処女懐胎として扱われたということ。(18p) マリアの場合はこれに当たります。(イエスの系図を載せている福音書もあり、このように理解したほうが納得しやすい。)
イエスは十字架上では死ななかった。刑ののち約40年間、イエスは指導者であり続けた。エフェソで最後に姿を見せたのはAD70年、イエスは76歳になっていた。(19p)
こうであれば「贖罪」も成立しなくなってしまいます。
しかし著者は、そのような前提がなくても、三位一体を新しく解釈しなおすことによって、救済の道を示すことができる、と言います。

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ伝 五・ 48)
この言葉によれば、イエスだけが神のひとり子ではないことになります。「すべての人間が天の父と同じほどに完全な者になりうることを意味します。それは天の父と一つになる三位一体方法以外にあり得ないはずです。」(22P)

ではこの天の父とはどんな神なのか。イエスはこう言っています。「人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし精霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。」(マタイ伝 十二・ 31) ここでは神と聖霊が別扱いになっていて、汚してもよい神とは聖霊を持たない神であり、聖霊と一体である「父なる神」とは違う神であることになります。

キリスト教はユダヤ教から生まれ、天地創造の唯一神は同一で、神はイスラエル民族を選んで契約を結び、のちにイエスを通じて新しい契約を結んだ、それで福音書などを新約聖書、ユダヤ教の聖典は旧約聖書として第二聖典として扱ってきたのがキリスト教の公式見解です。「旧約は、神による天地創造の話しから始まっていますが、人類全体についての話であって、イスラエル民族に関する記述ではありません。ところがアブラムの世代に入りますと、神は次第にイスラエル人を中心に据え、結局はイスラエル人とのみ契約を結びます。」(27p)
「天地創造神が果して本当にイスラエル民族だけの守護神になるということがあり得るのだろうかという素朴な疑問が浮かびます。」(28p)
天地創造神話は BC3000年ころのバビロニアの叙事詩「エヌマ・エリシュ」から拝借したものと言われ (28p)、そうであれば天地創造神とユダヤのヤハウェ神が別神である可能性が高くなる。ヤハウェという名は BC1230年ころのモーセの時代に初めて登場するそうです。

イエスの故郷「ガリラヤ地区は諸民族が住む地で」「ヘレニズムやオリエント宗教や仏教などが浸透していたインターナショナルな地区であったと考えられます。イエスは、そのようなガリラヤで自由な信仰者として成長し、エルサレムのパリサイ派などの競技に対して批判的であり、たとえば神についての別の概念を説くためにエルサレムに行かれたのかもしれないのです。」(35p)

「イエスはユダヤ教を必ずしも全面的に肯定する人物ではなく、異教の影響を多分に受けた人物であったように思われます。」(37p)
アショーカ王はBC3世紀には仏教の伝道師を中近東に派遣していたと言われ、イエスが属していたというエッセネ派の習慣や態度の多くが仏教徒と共通しているという見解があります。(38p)

著者はイエスが純粋ユダヤ教徒ではなかった証拠を上げています。
⓵ 安息日に病人を癒した。安息日に働くのはユダヤ教では厳禁されている。
⓶ イエスは自分を神の子とみなして神を「父なる神」と呼んだ。またチリから造られた被造物である人間に対して、前述の「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」などという、神人合一の考えを述べた。このようなことはユダヤ教では絶対にありえない。(39-40p)
⓷ そして、ここには上げてありませんが、これも前述の「人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。」などという事は、ユダヤ教の冒涜に他なりません。
⓸ 同じく、イエスはエルサレムの神殿に入っていって、商売をしている店などをメチャメチャに打ち壊しました。これも、敬虔なユダヤ教徒ならありえない所業です。

「すべての人間は聖霊が宿る神殿であるから、自分をあだやおろそかにしてはならない」「神は自分を離れてある存在ではなく、すべての人間に内在する存在である」というのがイエスの立場だ考えられる。(40p)
その見解に即して、三位一体を「仏の三身」的解釈で理解することで、「優れたアントロポロギー (人間学) への変換が可能となり、理性ある者ならだれであろうと肯定しうる三位一体論が成立すると考えるのです。」と著者は主張します。(41p)
イエスはヨセフとマリアから生まれた一人の人間ですが、「宇宙声明に内在する宇宙英知と高次元で一体化 (それを仏教では「入我我入」という) し得たとき、神仏にたとえ得るほどに優れた人となると考えられますが、それはすべての人間に可能性として与えられているとみます。」(42p)
イエスの言う、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」という言葉は、大乗仏教経典 (法華経・涅槃経など)に見られる 「一切衆生悉有仏性」 という見方と、たいへん近いものがあると思います。


この本からはまだまだいろいろと教えられました。福音書のなかではヨハネ伝がイエスの教えをもっとも詳細に論理的に書き表している、というのは意外でした。仏教ももっと勉強してみたいと思います。

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