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陣中日誌に書かれた慰安所と毒ガス

2014-05-12 18:08:23 | 日本古代史

「陣中日誌に書かれた慰安所と毒ガス」 高崎隆治著、梨の木舎 1993年。

1938年1月8日から39年9月23日まで、歩兵第65連隊第13中隊 (のち第11中隊に編成替え
となる) の陣中日誌6冊の内容を紹介したもの。同中隊が南京攻略戦の終結後、徐州戦、
漢口戦、襄東会戦を戦っている間の陣中日誌で、記録者は内藤曹長という下士官です。
陣中日誌は軍上部に提出する戦闘詳報の元になる記録で、通常は焼却され世に出ること
はないといわれており、きわめて珍しい資料です。

この陣中日誌には、慰安所の記述がたくさんあり、たいへん注目されます。下士官が
慰安所を自ら設営・運営したという記述も出てきます。

中隊が単独で林山河という寒村に移動した後の1939年2月5日にはこうあります。

大隊本部のあった 「新州より慰安婦3名来たり (慰安所を) 開設す。池田軍曹設備を
行う。大室伍長会計を行う。浅子、照子、和子、3名。」(100p)

わずか150名ほどの1中隊だけのために慰安婦が送られ、慰安所が設営されたわけです。
「この3名の従軍慰安婦は日本名だが、必ずしも日本人とは限らない。」
「少なくともこれは民間業者の経営する慰安所ではない。民間慰安所なら、設備や会計を
下士官が担当するはずはないからである。もちろん、下士官は中隊命令によって行ったわけで」 
ある。(102p)

また毒ガスを使用したらしい記述がいくつもあり、日本軍が実戦で毒ガス弾を使用していた
ことが分かります。一般民衆からの徴発も何度も行われています。

慰安婦の実態、日中戦争の実態を知る貴重な資料です。
       (わが家で   2014年5月12日)

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