飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

この道や 遠く寂しく 照れれども いゆき倒れる 人かつてなし 島木赤彦

2024年08月16日 10時28分07秒 | 教師論
ある本を読んでいると、幾度となく島木赤彦の短歌が紹介されていた。
恥ずかしながら、私もこの年になるまで島木赤彦の短歌をよく読んだことがない。
今日読んだところには、次のような短歌が紹介されていた。

 この道や
 遠く寂しく
 照れゝども
 いゆき倒れる
 人かつてなし

なぜ、あえてこの短歌を紹介しているのか。
島木赤彦は大正15年になくなった長野師範出身の歌人である。
さまざまな悲しみと困難に出会いながらも希望をもって進み続けた。
しかし、その彼も志半ばにして病に倒れることとなる。
かれも一時期、教職についていた。
だから共感を覚えるのかもしれない。

この短歌の意味を自分なりに考えてみる。

「道を切り開いていく時に孤独感や周りの無理解があったとしても、それで行き倒れになることはないと信じて歩み続ける。」

我が道を信じていくことには困難も伴う。
しかし、目指す方向をみうなうことなく、謙虚さも持ちながらもしっかりと歩むことの大切さを教えてくれているような気がする。

saitani
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