飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

サクラ咲け 優しき先生への道 2

2024年05月25日 05時38分14秒 | 教師論
本文から引用。


僕は指導者として百人以上の先生を育ててきた。
それはたくさんの授業を見てきたということでもある。
そして思うことが二つある。

一つは残念ながら良い授業できる先生は本当に少ないということ。
多くの先生は自らの課題を放置し、生徒の反応に鈍感になり、自分がかわることよりもそのままでいることに子供が慣れてくれるのをただ祈るように待っているだけで、何年も進歩がない。
そしてその状態を正当化するのが上手くなっていく。
周りの先生もみんなそうなら、いっそう努力をしなくなる。
「みんなそうだから」
と成長しないでいい空気感を好むようになり、新しい風を吹かそうとする先生がやってくると煙たがる。
もちろんすべての教育現場がそうだとは言わない。
でもそういう現場があるのも事実だ。
先生なって最初の十年間、そうやって過ごしてしまったら、先生として幸せになるチャンスはほぼなくなってしまう。
そういう現状は、一概に先生本人の責任と言いきれるわけでもない。
先生を始めて最初の十年間で、そんお先生を親身になって指導してくれる人と出会わなかったとしたらそうなってしまうのは仕方がない。
それまでに出会ったすべての先生の責任でもある。

一方でたくさんの先生を育ててきた僕が思うもう一つのこと。
それは、どんな人でも「素晴らしい先生」になれるということだ。
人前で話すことが苦手でも、厳しいことを言うのが苦手でも、優しくするのが苦手でも、褒めるのが苦手でも、授業で笑いがとれなくても、生徒から人気がなくても、知識や経験が他の人に比べて乏しくても、自分は先生に向いていないと思っていても、全く問題ない。
「眼の前の生徒のために、昨日の自分よりもほんの1ミリでも成長できるんだったら、どんな努力でもする」
という気持ちさえあれば、必ず素晴らしい先生になれる。


ただし、一つ忘れてはいけないことがある。
それは頑張っていない先生などいないということ。
誰もがみんな、自分なりに必死で先生という仕事を頑張って向きあっているのだ。
それにもかかわらず、いい授業をしている先生が少ないのだとしたら。
報われない先生が多く、精神的に病んでしまう人が増加しているのだとしたら。
それは、頑張りのベクトルを間違えているということに他ならない。
頑張らなければいけないことから逃げて、頑張らなくてもいいことを必死で頑張っている。
それでは頑張れども頑張れども、苦しくなるだけだ。
大切なのは、何をどう頑張ればいいのかを知り、そこに挑むことでなのだ。
そのためには導いてくれる人がいたほうがいい。
そういう先輩・師匠との出会いは、あなたを加速度的に成長させてくれる。

saitani

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