飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

苦しいときには空を見よ 教育実習の思い出

2024年06月08日 07時59分38秒 | 教師論
ある時突然若かった頃の自分に出会うことがある。
気恥ずかしいような、懐かしいような、胸の奥がちょっと切なくなるような不思議な感覚が胸をよぎる。
息子が突然私に
「今の自分の職場の課長さんがお父さんの教育実習の時の教え子だって言ってたよ。
 最後の日にくれた手紙に書いてあった『苦しい時には空をみよ』という言葉は今も覚えている。
 その手紙も大切にとってあるって。」
と言ってきた。
教育実習と言えば、大学の4年生の時に母校の中学校に言った時に担当させていただいた1年3組だ。
その中の一人だった。
もうその時から40年近い歳月が流れた。
一瞬にしてその頃の記憶が蘇る。

大学時代はバスケットボールばかりに熱中していて、勉学に励んでいたという記憶はあまりない。
そんな状態で教育実習に行った。
絶対に教師になるんだという強い情熱がその当時あったかと聞かれればはっきりそうだとも言えない。

実習で研究授業が始まると毎日寝る時間もなく、授業の準備をした。
その時も、ほとんど徹夜で教材研究をして、授業に臨んだ。
今でも思い出すのは、寝不足と疲れもあったと思うが、授業をしていて頭の中真っ白になってどうして次の言葉が出てこなかったことがあった。
突然授業者が一言も話さなくなったのだから、子どもたちのなにか変だと思ったことだろう。
その沈黙の時間は実際には30秒くらいだったかもしれない。
しかし、私には5分にも10分にも思えるほど長い時間だった。
子どもたちも、私の気持ちを察してか、一言も喋ることもなく、私の言葉をじっと待っていた。
あのときの教室の空気感ははっきりと覚えている。

なんと言って授業を再開したかは覚えていない。
おそらく「展開を忘れて知って申し訳ない。」と謝罪する勇気もなく、なんとなく意味のないことを話し始めたのだと思う。
その後も、子どもたちはそのことにふれることはなかった。
そんな子どもたちに支えられて過ごした教育実習だった。

あの子どもたちになぜ「苦しい時には空をみよ」という言葉を贈ったのかはわからない。
そんな言葉を伝えたことさえ忘れているのだから当然だ。
きっと何かの本で読んだ言葉を書いたのだと思う。
言葉の素晴らしさとは裏腹に、その頃の自分はなんの力もなく、教師になるための資質も持ち合わせていないただの若者だった。
何者になるかなんて考えもしなかった。
ただ、自分という人間は教師になるにはあまりに未熟で不遜な人間なのだということを思い知らされた日々だったことは間違いない。

息子のやりとりを聞いていた娘が話しかけてきた。
「『苦しいときには空をみよ』という言葉、私も聞いたことがある。
 その意味は、海は見れる人と見れない人がいる。
 でも、空はどこからでも見られる。
 そして、一つに繋がっている。
 だから、遠く離れていてもいつも空をみれば、会いたい人にあえるし、心は繋がっているという意味だったときいたことがある。」
私もそんな意味を込めて40年前にあの子達にその言葉を贈ったのかなと思った。

でも、浅はかで、薄っぺらいことしか考えられなかった自分の言葉を今も大切にしてくれていること。
そして、その手紙を今もとっておいてくれてあること。
そのことを息子に伝えてくれたことは心のそこから嬉しかった。
教育実習の記憶は、反省と後悔ばかりだったが、一つくらいはなにか子どもたちの心に残すことができていたのかなと思う。
そして、長い教師人生の中で、何を教え子たちに贈ってあげただろうかと考えさせられた出来事だった。

sanitai









「心が曇ったら、輝く星や空を見なさい」
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