飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

児童会役員選挙 その1 立候補

2024年09月12日 05時34分19秒 | 学級経営
児童会役員選挙で忘れられない思い出がある。
現在、何かの役員を決めるときに選挙という方法がとられることはまずない。
私もきいたことがない。
なぜ、学校から選挙という選択がなくなったのかはここでは述べない。
当時、今から30年程前になるが、まだ自分が若かった頃はどこの学校でも役員は選挙で選ばれていた。
自分は教師になったときから、何かの代表者を決めるときに選挙という方法をとることには反対だった。
選挙という方法が間違っているということではない。
学校現場、特に教育の世界においては害の方がおおきいと考えていたからだ。
だから正直言えば、選挙は廃止したかった。
しかし、その当時の私は若く、その力もなく、賛同者もいなかった。
ならば、このシステムの中で子どもたちを成長させるにはどうしたらよいのかと考えた。

1993年7月12日学級通信より

7月9日、第5校時、体育館で児童会役員選挙及び立ち会い演説会が行われた。
それは2週間前にさかのぼる。
前期児童会が終了し、2学期の行事である運動会からは後期児童会へとバトンタッチされる。
その後期児童会役員を選ぶ選挙にあたり、立候補者を1組からも出すことになった。
私は静かに尋ねた。
「後期児童会役人に立候補する人はいませんか?」
教室の中は静まりかえり、ただひとりだけ手をあげた子がいた。

ふつうならば、ここでもう一人二人、推薦立候補者を立てて終わりである。
しかし、私はそうはしなかった。
私は教師になって一度も、誰か代表者を選ぶときに「推薦」という方法をとったことはない。
やる意欲のない子に、その立場を与えても、甘えと逃げが生ずるだけだからだ。
「私はやりたくてやっているわけではない。
 推薦されて、仕方なくやっているだけだ。」
なんて考える子が出てくるからだ。

では、誰も立候補しなかったら、どうするか。
はっきりと子どもたちに言う。
「うちのクラスからは、立候補者なしということで連絡しておきます。
 いいですね。」
(今回は、一人の立候補者がいた。しかも、クラスから立候補者を出さないという選択肢も通常では考えられない。)

現在の児童会役員に尋ねた。
「うちのクラスに『この人は児童会役員の仕事ができない』という人はいますか?」
その子は答えた。
「いません。」
小さな声だったが、はっきりとみんなの方を向いて答えた。
「そんなにみんなが考えているほど難しい仕事なのですか?
 児童会役員は。」
「そんなことはありません。」

もう一度、全員に尋ねた。
「児童会役員に立候補する人はいませんか?」
誰も手をあげなかった。
「君たちは6年生だ。
 来年の3月に、この学校を卒業していく。
 そのとき、これだと確かに言えるものを残す気持ちはあるのか。
 君たちは、この大切な6年生の生活の中で何を残すつもりなのか。
 何もしなくても、月日は過ぎ、卒業の日は来る。
 そして、それなりの感動は味わうだろう。
 しかし、それは今までの卒業生が同じように感じた気持ちと同じであり、6年1組、この学級の卒業生だけが味わえる感動とは違う。
 君たちはどんな勇気をもち、何をこの学校に残していくつもりなのか、もう一度考えてほしい。」
子どもたちは真剣に聞いていた。

(続く)

saitani