三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

Sapporoガラスのピラミッド&フレンチレストラン

2015年10月21日 06時10分24秒 | Weblog


先日、娘と食事に出かけたモエレ沼公園・ガラスのピラミッド。
満腹した後に、腹ごなしに公園を散歩しておりました。
で、ごらんのような光景を見ておりました。
イサムノグチさんのデザインによる公園施設として知られていますが、
行ってきた土曜日、10月17日にはごらんの隣接する噴水も
まだまだ気持ちよく噴き上がっておりました。
HPにはこんなような案内が書かれています。

「自然と一体化できる、美しきガラスの建築物」
ガラスのピラミッドは公園の文化活動の拠点となる施設で、
公園を象徴するモニュメントでもあります。屋外の環境を直接に反映し、
夏には美しい芝生で切り取られた青空を、冬には一面の雪原の美しさを、
公園の風景と一体になったかのような感覚を味わうことができます。
ガラスで構成されたアトリウムは、「ピラミッド」と聞いたときに
思い浮かべる四角錐状ではなく、一辺が51.2mの三角面と四角錐、
立方体が組み合わされた複雑な形態となっています。
形状は違えども、設計当時建設していたノグチの若き友人である
建築家I.M.ペイによるルーブル美術館のガラスのピラミッド(パリ、1989)への
オマージュとも言えるでしょう。
館内にはレストランやギャラリー、ショップ、公園管理事務所が入っており、
週末には音楽やダンス、美術の展覧会なども開かれます。
また、環境負荷配慮のために館内の冷房システムに「雪冷房」を導入している
ことでも注目を集めています。

っていうようなことなのですが、
やはり単純形態の惹き付ける魅力は、さすがであります。
札幌はドライな暑さの夏を持っていますが、
欧米と似通った気候風土であり、こういった幾何形体も似合っている。
北海道らしい景観の中に、単純な幾何形体を持ってきた構想力はすばらしい。
まぁ寒風吹きすさぶ真冬には、あんまり来たことはないのですが、
そういうブリザード感も悪くはないのかも知れません。
一方で、札幌で誰かを食事に案内するときに、
ここのフレンチレストランは、やはり鉄板的な存在。

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北海道の素材を使った楽しいメニューは
どれもこれもが、まったく美味しく美しい。
まさに「たまに行くならこんな店」でして、今回もたっぷり楽しめました。
自分でも料理が大好きなわたしとしては、
毎回、食べる度にいろいろと刺激を受けるお店であります。

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見切り感覚の老化?

2015年10月20日 06時16分47秒 | Weblog
どうも最近、瞬間的な「見切り」の感覚で現実とのズレを感じます。
日常生活で、ふつうに階段を上るとき、
つい踏み込み板の小口に躓いたりする。
どうも、ふとした「見切り」の見誤りが増えてきている。
やはり体動作上での、自分自身での筋肉使用感と
実際の物理的動作の間に数ミリ単位でのズレが、
主に老化原因で出てくるのかも。
「おっとっと」とバランスを取って、体勢を立て直せるのでまだいいのだけれど、
今後、この「体勢を立て直す」方の感覚が衰えてくることもありえる。
そんなことが、数日に1回くらいは起こるようになっている。

で、そういった体動作ばかりではなく、
見切りのいちばん必要なクルマの運転でも、
きのうはちょっと要注意ということがあった。
普段はさほど通行量の大きくはない4車線交差点で、やや多めの通行量。
わたしは右折車両の先頭車で、前方対向車線からの車両群の
通行の切れを待っていた。
対向車線側では、右折待ちの先頭車両は大きめの車体で、
その後続はよく見えない状況。
で、対向車線側では向かって右の、左折もしくは直進の車線側で
左折車が2~3台たまった状態になった。
信号は変換時に右折矢印案内が出るタイプではなく
赤になるとそのまま通行できなくなるタイプ。
そういう意味で、交差点内からは早めに離脱しなければならないし、
わたしの後方にも3台くらいの右折車両が後続車両がある。
右折して進入を考えている道路は幅の広い2車線道路であり、
その右側車線であれば対向車線・左折車からも邪魔にはならない。
こういう状況では、対向車線側右折車の後ろの状況を確認しながら、
「すみやかに交差点を離れる」方が通行の妨げにならないと判断して
右折を開始した。
<まぁ、対向車線の左折車が完全に全部終わってからでなければ、
こちらは交差点内に止まっていなければならないのかも知れませんが・・・。>
そうしたところ、対向車線の右折車の後方から
左折車群とのすき間を急ハンドル操作ですり抜けた車両が
速度を速めて直進、それもわたしのいる道路中央側車線に向かってきた。
そういう状況で、わたしは急遽クルマを停止させ
その対向車をやり過ごしました。
状況からすると、わたしの方に前方確認不注意があると思われる。
普段からときどきは通る交差点であり、
それほど通行量がない交差点だという感覚があって、
無意識で、「見切り」を行ってしまったように思います。

幸いにして事故に至るようなことはなかったのですが、
この場合、対向車線右折車の後ろに、
直進車があって、それが速度を上げて交差点に入ってくる可能性を
「普通、そんなことはないだろう」という見切りをしてしまったのですね。
普段の通行状況から考えてありえない、と判断してしまった。
こういう経験をして、どうも自分の安全限界の見切りについて
やや深く反省の思いを持った次第なのであります。
より慎重な運転、危険を避ける運転を心がけていきたいと思います。


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地方都市への投資意欲再生は可能か

2015年10月19日 06時11分40秒 | Weblog
以前も話題になっていたけれど、
ふたたび読売新聞に、記事が掲載されていた。
青森市中心部の商業ビルの競売不調のニュース。
以下、YomiuriOnlineから要旨抜粋。

買い手つかぬ駅前ビル、特別売却2度目も空振り
競売にかけられながら買い手がつかないでいる青森駅前の
「サンフレンドビル」(青森市新町)を巡り、青森地裁が8~13日に実施した
2度目の特別売却も“空振り”に終わったことが14日、分かった。
地裁が買い手を募ったのはこれで4回目。債権者側が競売の申し立てを
取り下げるなどしなければ、値下げした上で3度目の入札となる見通しだが、
隣接する複合商業施設「アウガ」の経営不振など青森駅周辺では
暗い話題が続いており、この先も買い手が現れるかどうかは不透明だ。
5~6月に行われた1度目の入札と先着順による特別売却で
設定された下限額は約1億3700万円。しかしいずれも購入希望者が現れず、
地裁は9月18~29日、下限額を約8200万円に下げて再び入札を行ったが、
これも参加者ゼロで終わった。このため、再び特別売却で購入者を募ったが、
やはり希望者はなかったという。<以上、引用>

1988年建築で、地下1階地上8階建て。
敷地950㎡もついているということだから、単純に土地代だけとしても、
坪単価で285000円前後という計算になる。
そこに上物のビルがついている。築年数も27年と言うことだから、
建築基準法に準拠していれば、まだまだ十分使えそうな建物だろう。
裁判所は、これからさらに値下げして入札を行うのだろうけれど、
わたしも何度も訪れているが、確かに青森の中心市街地は、
どういった都市計画が計画されていたのか、どうもよくわからないところがある。
なんといっても、中心市街地といってもバス以外の都市交通が不明。
わたしも青森駅前から、「港町」まで行く用事がちょこちょこあるけれど、
バス交通すらまったく路線がなく、
タクシーしか足がなく、とにかく便利が悪い。
港町にはそこそこビジネス人口もあると思われるのだけれど、
都市計画、運営の方向性がそこには向かっていない。
結局クルマしか交通手段がないのであれば、
ビジネス的にはわざわざ中心街区でなくても、集客は可能な時代。
どうも魅力づくりの根本において、戦略的失敗を重ねていると思われる。

ともあれ、地方都市中心街というのは、
今後、こういうきびしい現実から逃れることは難しいだろうと思われる。
そもそも、都市運営を役人に任せている時代は終わったのではないだろうか。
地方の首長には、政治党派的主義主張はあまり必要性がない。
それよりも、都市の魅力プロデュースのような能力が
いちばん求められていると思う。そのスタッフ能力も考えなければならない。
たぶん、そういった人材育成もなにもなされてきていないように思う。
「都市経営」というような視点からの再構築が、全国の地方都市には
いま必要だと思いますが、みなさんいかがお考えでしょうか?

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錦のなかを歩く

2015年10月18日 06時07分40秒 | Weblog



今週から来週にかけてが、
今年の紅葉の札幌でのピークだそうであります。
朝はたいへん寒さが厳しくなってきていて、
散歩にはダウンジャケットを着込んで行っております。
ダウンジャケットと言っても、そこそこ軽めの時期向けのモノと、
重装備系のものとがあり、もちろん軽めの時期用ではありますが、
場合によってはフードも頭からかぶって、
かなりの防寒仕様のいでたちになって来ています。
こうした寒さが、紅葉をいちだんとあざやかに染め上げるのでしょう、
1日ごとに色めきが増してきて、艶やかな色彩が体を包み込む。
内面側からも、朱色に染め上がっていくかのように思われます。
足下の落葉も徐々に積層感が増してきているようですが、
落葉の進展をパーセンテージで表すと、
ある時点で、20%から一気に70%くらいまで進む瞬間がありますが、
まだ、いちどきにどっと落葉したという、あの豪奢な感じはありません。
でも、その瞬間がいつ来るのか、予感はある、といったところでしょうか。
きっと、ある寒い朝、そういった光景が一気に訪れるのかも知れません。

わたしは札幌でも自然環境がそこそこ保持されている
西部地域に住んでいるのですが、
自分自身は、JR駅も地下鉄もあり、高速道路へのアクセスも近く、
そういった現代都市的な移動自由度が高くて
しかも北方日本の自然のうつろいも感受できるこのエリアが大好きであります。
寒さや雪への対応を、いつも意識しなければならないのは当然の場所ですが、
しかし、生活の心理で夏場・冬場という明瞭な区切りがあるのは
ある意味、本当にしあわせなことだと感じております。
今の時期だと、いつスタッドレスタイヤに履き替えるかとか、
暖房のレベルをどのように調整するかとかを
日々の歳時記のように検討することが、
ある緊張感を伴っていて、凜とさせてくれる部分がありますね。
さて、きょうは里帰りしていた娘を送っていきます。
錦絵のような北の景色を見てこころの手土産にして欲しいです。




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宮城県南・古民家のデザイン感覚

2015年10月17日 05時54分02秒 | Weblog


先日の白河出張の帰り、けっこう好きな宮城県南部の田舎を走りました。
この地域は、東北北部地域とは違って
古くから律令国家体制が根付いている地域だと思います。
米作を中心とした経済発展が早くからあって、
そういう時代からの文化の名残のようなものが
どことなく残っているように、わたしには感じられるのであります。
先日触れた、宮城平野に水利をもたらせた水神信仰の神社とか、
そういった米作文化の初源のようなものを感じる次第。
温暖な気候風土とおおらかな地誌自然が、
なにか、ノスタルジーを刺激してくれるように思うのですね。
たぶん、福島県中通りの地域とも通ずるような生活文化風土。

そんな田舎道を走っていたら、
古民家なんとか、という看板と建物があったので、
つられて見学して来てきました。
どうもおそば屋さんと併設しているもののようですが、
あんまり来客がないようで、施設の一部は機械が壊れていました。



古民家の内部なんですが、
この画像の中にいる「おばあさん」が人形で、
これがしゃべるようになっていたけれど、
どうも壊れてしまって、ただ不気味に(笑)端座するだけになっていた。
そういったことが不評になって、客足が遠のいたのか、
そもそも古民家の老婆人形というのも、かなり微妙ではある(笑)。
たぶん、ノスタルジックな「日本昔話」的ノリだったのでしょうが・・・。
というやや、残念感も漂ってはいた次第ですが、
古民家外観の大屋根のみごとな三角を基調とした造形の美しさ、
さらに2つの丸を見せている水車、
そして古民家内部の木組みが表れた室内の四角と、
丸・三角・四角という「かたち」の基本形がみごとに造作されている。
そんなことに気付いた次第であります。
わたし、なんとなく、この3つの造形は黄金律ではないかと感じている。
わたしたちが古民家に魅せられる心理の中に、
こういった、素朴だけれど、人間の生み出す初源的デザイン志向が、
力強いメッセージとして無意識の部分で受け止めているのではないか、
そのように感じたのであります。
秋のたおやかな陽射しの中で、穏やかなデザインにふれていました。



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秋深まる札幌の散歩路

2015年10月16日 06時03分17秒 | Weblog


つい先日まで半袖しか着ていませんでしたが、
あっと思う間もなく、初雪の便りが聞かれるようになり、
日々の散歩路もごらんのような色づきを見せております。
きのうの社内の会議ではもう忘年会のことが確認もされていた。
まことに季節の巡りは駆け足であります。

ことしの秋、札幌地方はなぜか雨が続いていて
それも朝方雨ということが多くなっております。
なので、散歩にはなかなか出掛けられない日々が続いています。
まぁそうでなくても、娘が帰省していたりで
家族のために食事の支度などをするのが楽しくて
自分のことよりも、そっちの方が優先されることが多くなっている。
しかし、先日も友人と話していて
旅先で一番感動するのが、朝日が出たとか富士の山が見えたとか
夕陽の美しさに感動したとか、
どうもそういう単純なことについには、無上の感動を覚えるようになる。
自然のうつろいを肌で感受するようなことが
いちばんこころを満たしてくれる契機であるのかも知れません。
この季節の、どんどんと寒さがつのっていく感じは
やはり北海道でしか感覚できない独特のもの。
そういった視覚体験、体感といったものが、
人間活動の大きな資産にもなっていることが
自然と理解出来るようになっていくものだと思います。

道が雪に閉ざされるまで、いや、閉ざされても
多くの人がそこに道をつけてくれる営為があるのですから、
日々の自然感受機会、今季も続けられるだけ、続けたいと思います。


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ニッポンの神宿る家・御輿

2015年10月15日 06時17分45秒 | Weblog
写真は先日訪れた母校・國學院大學博物館に収蔵されていた展示。
「北野天満宮瑞饋祭瑞饋御輿」模型とされていました。
京都の北野天満宮で10月1日から4日間行われる神事。
ずいきで神輿 (みこし) の屋根をふき、種々の野菜で装飾したものを
「ずいきみこし」といい、神体の行列のあとから担いでまわる。

っていうことなんですが、
わたしはこの御輿を見ていて、今更ながらではありますが、
日本の木造住宅文化について、ついつい考えさせられておりました。
教科書で埴輪の写真を初めて見たときから、
そのなかには家型のものがあって、
木造の、それも白木を構造材として使った建物が
ニッポン文化の中で「神宿る家」として
イメージに刷り込まれ続けてきたことに思いを致させられる。
「神棚」のイメージそのものであるワケですが、
一般人よりも3段くらいの「高殿」に鎮座している。
こういうイメージを刷り込ませた背景には、それまでの時代には
普通の住宅は竪穴住居であったに違いなく、
そういうものとの違いを、高さで表現していたということなのか、
「仰ぎ見る」という視覚効果を強制したのか、
などと妄想を膨らませられていた次第なのです。
そういえば、吉野ヶ里遺跡には復元建物として、
政庁とおぼしき高殿と、通常の生活空間であった竪穴住居が
併存的に建てられていました。
竪穴などの構造柱や梁などは、自然木が枝打ちされた程度で使われるのに
権威付けされた建物では、白木であったに違いない
構造部材が使用されていた。
常成らざる神聖感を表現するのに、ニッポンでは、
初源的にこういった建築デザイン手法が使われてきたのだろうか。
たぶん、はじめてこういう白木の構造材の建物を見ると
その美しさとともに、そこまで手が掛けられていることに
人々は驚きを感じたモノかも知れない。

ただ、こうした地面レベルからある高さを確保する建物は
どうしても高温多湿型の気候風土にジャストフィットした形式であろう、
というような類推を抱かざるを得ない。
竪穴住居が無意識に目指していた居住性よりも、
高倉造りにみられる通気性、見た目重視の意識伝統をそこに感じる。
こういった形態の御輿を、ニッポン人は千年以上も長きにわたって
崇拝し続けてきたことの重みを、そこに見る思いなのであります。


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建築家・中山眞琴さん新作、籤~higo~

2015年10月14日 06時58分35秒 | Weblog

いや、久しぶりに面白い建築を見させていただきました。
中山眞琴さんは、建築家としてのスタートの頃から
Replanとしてはずっと関わってきた建築家。
最初期の「建築家自邸」シリーズでも、たしか2人目くらいで紹介した。
ですからもう25年くらいの長いお付き合いになっている。

建築家という存在は
ビジネスとしてみたら、あまりにも個人的な才能に依存する仕事ですが、
そういった難しさのなかで、ビジネス的な成長も遂げられている。
今回は外観写真を撮影するのを失念していましたが、
すばらしい写真を今、発売中のReplan北海道で発表していますので
ぜひお買い求めください。
http://www.replan.ne.jp/content/bookcart/b1hok/h110/index.php
 
なんですが、わたし自身は先日のアース21の見学会で
はじめて実物を見学して来た次第であります。
内部にいると若干揺れも感じられる。
鉄骨造なんですが、外周部には「本棚」として利用している
ロの字型の構造壁として機能するものがあり、
それによって、構造が奇跡的に成立しているのだそうであります。
前記のようなことで外観写真がないのですが、
こうした「構造壁」部分の外皮にはワインの栓に利用されたコルクが
リサイクル再生品素材として使われていて、
その部分には重厚な断熱も施されている。
内側から望む「スケスケ」な開口部は、硝子が3枚入った窓になっている。
ちょっと異質感ただよう空間美があって、面白い。
錆びた鉄板が建材として使われていて、
ワビサビに通じるような、独特の花鳥風月感がある。
そういえば、2階のオープンスペースには、茶の道具も置かれていて
実際に来客をもてなしている。



建築家スピリットがたいへんストレートに伝わってくる。
こういう直球のような建築づくりを、
そこそこ年を重ねてきた人が追求しているのを見るのは
たいへん清々しい思いを抱かせられます。
とうとうと建築を語る、っていうタイプではないのですが、
作った建築それ自身が、雄弁にオリジナリティを語っている。
そんな建築家としてのスタイルに、生き様も感じました。


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ことしは、ぶどうの大豊作年?

2015年10月13日 05時47分35秒 | Weblog


きのうは帰省してきた娘と家族のなごやか休日。
カミさんの母親と親子3代の久しぶりの親孝行でありました。

で、わたしは刺身のツマ扱いなので
庭男と化して、見ていたら、7~8年前に義父が植えたという
庭のブドウの木に、たくさんの実がたわわであります。
窓越しにその様子を眺めていたら、矢も楯もたまらなくなって、
庭ばさみを持って、刈り取り作業に没頭しておりました。
これがなんとも、精神衛生的に楽しい作業。
放っておくと、こういうのはトリたちの餌食になるのかどうか、
よくわからないのですが、まぁ、すばらしい景観です。
「あそこにある、お、ここにもあるぞ」と原始的ななにかのスイッチが入る。
まるで、わたしのライフワークの古代史研究に騒ぐ血って、
こういう先祖帰り的な探究心の成せる部分なのかも、と思われる。
ということで、採集したブドウは、段ボール箱3コ分相当。
これでブドウの木は1本だけなのですから、
それこそ葡萄酒造りの原材料ブドウの木からは、さぞかし大量なのでしょう。
母親に聞いたら、「今年、はじめてこんなに成った」という。
そういえば、土曜日に行った次兄の家でも庭で取れたブドウをふるまわれた。
どうもことしの天候条件が、ブドウ生育にピッタリはまったのか。
そんな妄想を起こさせるほどの、大豊作ぶりであります。
って、やや大袈裟かなぁ。まぁ、はじめて収穫したので
わたし的には、大興奮という次第でありました。

さてそうして収穫したブドウでありますが、
こんどは家に戻って、「これ、どうしようか?」であります(笑)。
こんなに食べられるわけがない。
まぁ粒の揃っているヤツは、ひとにお裾分けするとしても、
それだけでは捌ききれない。
考えた結果、ジュースにしようとなりました。
最初はジューサーでやってみましたが、やや苦みとえぐみがある。
煮てみるとアクが大量に出るので、やはり野性味が強いのでしょう。
ということで、濃縮ジュースにすべく大鍋で煮てくれました。
娘とカミさんの専門領域なので、わたしはおとなしく就寝。
で、朝、気絶から目覚めたら、写真下のような濃縮ジュースができていた。
家族LINEにも報告されておりました。
時間を見たら、昨日深夜の23:00ころになっていたので、
まことに、わたしの気まぐれ収穫で苦労をかけてしまった次第(笑)。
しかし、これから冬に向かって、
こういう野の恵みを大切に食し続けるって、
なにか、自然と仲良く過ごせる気がしてきますね。
自然とひとに感謝しつつ、楽しんで飲み続けていきたいと思います。
ありがとう、おいし~~いです。



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世間に訴求する、アイキャッチ

2015年10月12日 07時54分02秒 | Weblog
わたしどもでは住宅雑誌を発刊しております。
たぶんこのブログの読者の方はご存知だと思います。
しかし、世間の中で伝わって行くには長い時間と努力がかかる。
当たり前ですね。
ああでもないこうでもないと、表紙の見せ方は工夫するのですが
それでも結局は、ある表現に納めざるを得ない。
その号、その号で、祈りにも似たような気分で世の中に送り出すのです。

で、あとは、なるべく一般人の視線で
自分の発行しているメディアを、市井のなかで見るように心がけます。
ようするに、自分も「普通の目線」にして
「どのように見られているか」を追体験するように心がけている次第。
一昨日、娘を新千歳空港に出迎えに行ったとき、
ふと、目線の先に発見した。
「おお、目立ってるじゃんか、おまえ」っていう感じであります(笑)。
どうもまわりの雑誌類が、おおむね暖色系でまとめていたのに、
わたしどもだけが、爽やかさを感じるブルー系だったので、
お店の人も、深層心理的な部分で
配置上のアクセントにしてくれたのかも知れません。
まわりには、旅行に関連する情報誌などや、
全国ブランドの一般誌がランダムに配置されている中に
ひとりだけ、地域の住宅雑誌として置かれている。
なんとも奇観とも言えるのですが、
北海道の暮らし方を住宅から考えているわたしどもとしては、
こんなふうに配置されていることは、流動するひとの多さと広がりを
考えると、たいへんありがたい宣伝になっていると
内心、手を打って喜んでおりました。
わが社では、コンビニも重視した販売をしていますが、
このお店はコンビニのローソンさん。
ごく一般人の目線の中で、イメージ戦争に参加させていただき、
まことに感謝の至りであります。
また、たぶん、地域の情報メディアのひとつとして、
住宅という専門メディアだけれど、
「地域らしさ」を伝えていると判断してくれて配置してくれている
店舗スタッフのみなさんの慧眼にも打たれました。
ありがとうございます。



で、きのうもふたたび、
厚真町での歴史シンポジウムにてたっぷり
最新情報、最新研究の様子などを拝聴させていただきました。
素人の横好きなわけですが、
会場では旧知の旭川博物館・瀬川拓郎さんともごあいさつ。
瀬川さんの研究でも、この厚真での奥州藤原氏関連の
「移住」という側面からの言及がありました。
ダイナミックな想像力が展開する氏の研究を楽しみに待ちたいと思います。
しかし、連休にこういう大好きなテーマでの
シンポジウムがあって、まことに心豊かに楽しめました。





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