三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

越後一宮・弥彦神社、4拍手の謎

2015年08月21日 06時09分06秒 | Weblog


きのう夜に新潟出張から帰還致しました。
きのうも2軒、興味深い住宅見学をいたしましたが、
越後妻有トリエンナーレの大量見学とともに、
追って、まとめてご報告したいと思います。

わたしは、全国へ出張することがあるときには、なるべくその地の
「一宮」には、参詣したいと考える古いタイプの男であります(笑)。
まぁ、信心深いというようなことではなく、
やはり古社には、民俗としても、民族としても、歴史としても
さまざまな埋め込まれている記憶があると思うのです。
そういったことへのリスペクトの気持ちは強く持っている。
神仏というよりも、その地の人々のリスペクトすべきものが、
そういった場所には存在し続けていると信じているワケであります。
今回は、これまでなかなか時間が取れなかった新潟なので
まずは音に聞く名社、弥彦神社参拝を果たしたかったのです。
とはいっても、事前になにごとか調べてもおりませんで、
ぶっつけ本番、いきなり行って、体感を得てから、
という信長さん的行動主義であります。

高速を新潟空港インターから乗って北陸道を西進、
「巻・潟東」インターで下りて、そこから、日本海岸方面に向かうのですが
なぜか、前方にはふたつの山並みがランドマークに現れる。
おおむねそうではないかという、心証のとおり、
どうも平地に印象的に立つ神体としての「弥彦山」のふところに、
弥彦神社は立地するようなのであります。
位置は違うけれど、出雲大社の立地となんか、似ている感じ。
Wikipediaでの紹介では、(以下抜粋「」内)

「創建年代は不詳。祭神の天香山命は、
『古事記』に「高倉下」として登場する。社伝によれば、
命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、
地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。
このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ
「伊夜比古神」として崇敬された。このほか、彌彦の大神は、
神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏したとされる。
ただし、尾張国造家の祖神である天香山命が越後に
祀られるのは不自然なため、本来の祭神は北陸の国造家高橋氏祖神の
大彦命ではないかとする説もある。

で、参拝を済ませてからの帰り道、
うしろで耳にする拝礼が、どうも拍手が4回聞こえる。
わたしは、ふつうに2拍手でお参りしてきたのですが、
どうも「愚か者め」と、神さまから叱られているように聞こえて、
あわてて振り返って、再度、2礼4拍手の参拝を捧げてまいりました。
神札を購入させていただいた神子さんに聞いたら、
「そうです。弥彦さんと出雲、それから大分の宇佐さんは、4拍手」
というように誇らしげに教えていただけました。
わたしは出雲大社には深いリスペクトを感じているものなので、
「おお」と、ただただ、恐懼して自らの不知を恥じておりました。
大分の宇佐神宮は、全国の「八幡神社」の元締めで、
源氏の氏神として、武神として名高い神社。
とすると、この弥彦さんも、出雲、宇佐とも同質性のある存在と
にわかに、興味が増してきておりました。
それで、新潟滞在中、この話題を地元のみなさんに聞いていたのですが、
はかばかしい反応はありませんでした。
ではありますが、なにがしか、調査を継続して
4拍手のナゾに肉薄してみたいと念願しております。
なにとぞ、われに疑問解決の道をお教えください、弥彦神社様。
パンパンパンパン。



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越後妻有・地域とアートのコラボ

2015年08月20日 07時29分51秒 | Weblog
さて、越後妻有トリエンナーレ見学の旅であります。
そのなかには、多くの建築も存在しています。
興味深い建築も数多く存在し、それぞれがまた、地域を形作っている。
地域の環境性と、芸術作品とのコラボレーションが
どんなかたちのイメージを造影するものか、
そんな興味を持って、さまざまな作品世界と触れてきました。

そんななかで一番興味を持てたのが、上の写真。
上の一枚は、「星峠の棚田」であります。
いろいろな「芸術作品」を見る度に、
むしろその背景になっている、地域の風土性と、
その地で長く生きてきた人びとの労働の積層である
「地域景観」とが、強くこころに響いてくるものがあります。
建築もそうだけれど、やはり棚田に代表される農業土木とは
食料生産という明瞭な目的、志向性を純化した人間の営為であり、
その「ものづくり」の姿勢というものが、
最大の「作品」であるということが自ずと知れる。
旅を終えて、いちばん胸に残ったのはその思いであります。
棚田というものの起源というのは、諸説があるそうですが、
Wikipediaでは以下のように記されている。(「」内引用)

「日本の稲作の適地は、安定した水利を得られることに加えて、
流れていく用水の管理が容易にできる土地である。
土地には元々傾斜があるが、傾斜が少な過ぎる土地、
および排水しづらい土地は湿地となるため、
安定した稲作を行うためには、一定の農学・土木技術が
必要であった。また、灌漑をする場合はある程度の傾斜が必要であり、
傾斜があまりにも少ない河川下流域の沖積平野は、
江戸時代以前は稲作をするのに不適当であった。すなわち、
近世以前の稲作適地は、比較的小規模で緩やかな沖積扇状地、
小規模な谷地、あるいは小規模で扱いやすい地形が連続する
隆起準平原上などが主力であり、いずれも河川の中上流域が中心であった。
これらの土地は緩やかな高低差があり、一つ一つの田の間に
明確な高低差が生じて広い意味での棚田を形成することになる。」

というような記載が見られます。
この魚沼産コシヒカリを産む棚田は、こうした合目的性を
叶えている人間による自然改造営為の総合であるワケですね。
そんな風に考えると、このトリエンナーレとは、
こうした営々とした人間営為の素晴らしさを表現するのに、
その機縁として、活かされて存在しているものだと思わされました。
背景としての棚田の圧倒的な量感・質感があってはじめて
アートという世界観もまた、存在し得るのだと思います。



そんなアート作品ですが、
やはり建築に興味を持つものとしては、
この「ポチョムキン」と命名されたフィンランドの建築家作品に惹かれた。
カサブランデ&リンタラ建築事務所のデザイン。
もとは河原に平行した「ゴミ捨て場」だった場所だそうですが、
周辺にはそれこそ見事な水田も開けていて
背景としての見事な色彩と陰影感、季節感を訴求している。
そういうなかに、白い玉砂利を敷き込めた領域を区切り、
寂びた鉄の壁が空間を切り取っている。
その地にずっと自生してきたケヤキの大木群が林立していて、
意志的な生物感を与えている。
この地域では、河川のコントロール(瀬変え)によって
造形され続けた棚田の別名である「瀬変え田」がもっとも
「土木建築的」な環境景観であると読み取り、
そのなかでそっと置かれるアートとしての穏やかさ、
意志的な存在感を感じさせてもらえました。
2003年の作品完成以来、愛され続けて
玉砂利から自生してくる雑草を地域のボランティアのみなさんが
毎日のように取り続けてきているそうです。
この美しさには、こういったひとの意志が感じられ、
今回の作品群のなかでも、深く心に残った次第です。





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越後妻有・大地の芸術祭トリエンナーレ見学

2015年08月19日 05時16分43秒 | Weblog
さて、きのうから住まいと環境 東北フォーラムの
視察ツアー・新潟見学であります。
既報の通りわたしは新潟市に前泊して、11時に越後湯沢駅にて
ご一行と合流しまして、そこからは大型車レンタカーでの同乗の旅。
わたしは新潟はほとんど初めてみたいなものですので
見るもの聞くもの、物珍しく見学させていただいておりました。
本州地域で有数の豪雪地帯である、越後妻有<十日町周辺>地域も
はじめて訪れるワケでありまして、それほど予備知識もない。
地域の工務店・フラワーホームさんのお世話になって、
なにやら、建築もあり、芸術もありというツアー程度の認識。
ただ、地域と建築、その関係を掘り下げてみることで、
人間環境への理解を深めるという趣旨。
そもそも、視察のメイン「大地の芸術祭の里」とはということで、
以下にHPから紹介文。

3年に1度の世界最大級の国際芸術祭
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の舞台となる、
越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を
「大地の芸術祭の里」と呼んでいます。
ここでは、1年を通して、地域に内在するさまざまな価値を
アートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め、世界に発信し、
地域再生の道筋を築くことを目指しています。
その成果発表の場となるのが、
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。
▼基本理念
「人間は自然に内包される」
越後妻有は、縄文期からの豪雪や河岸段丘といった
厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。
人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら、
濃密な集落を営んできました。その祖先にならい、
わたしたちは、「人間は自然に内包される」という理念をかかげ、
美術を人間が自然と関わる術(すべ)と捉え、広大な里山を舞台に、
人と自然とアートが織りなす「大地の芸術祭」を2000年にスタート。
過疎化・高齢化が進む越後妻有の地域再生の契機として、
地域資源の発見や地域の知恵の学習、住民との協働、
空間を息づかせる制作という、アートがもつ力を信じ、
この地域づくりが企画されました。
「人間は自然に内包される」というこの理念が、
「大地の芸術祭の里」のすべてのプログラムに貫かれています。
人間と自然がどう関わっていくかという可能性を示す
モデル地域となることを目指して、越後妻有の地域づくりは進められています。
▼経緯
1994年、新潟県知事が提唱した広地域活性化政策
「ニューにいがた里創プラン」に則り、アートにより地域の魅力を引き出し、
交流人口の拡大等を図る10カ年計画
「越後妻有アートネックレス整備構想」がスタート。
これが出発点となり、地域活性事業の柱として
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が2000年に始まりました。
▼新しい地域づくりのモデル
「大地の芸術祭の里」での地域づくりのあり方は、「妻有方式」として
海外メディアでも多数紹介されるなど、国内外で美術の
枠を越えた評価を得ています。国内では、文化芸術による
創造都市(クリエイティブ・シティ)が関心を呼ぶ中、
徳島、茨城、新潟市、大阪、瀬戸内など全国のさまざまな
地域づくりに影響を与えています。また海外でも、欧米、アジアの
キュレーターや美術関係者、自治体の視察、国際会議、
シンポジウムなどで取り上げられてきました。
▼受賞歴
・「ふるさとイベント大賞グランプリ(総務大臣表彰)」(2001年)
・「地域づくり総務大臣表彰」(2007年)
・「第2回JTB交流文化賞優秀賞」(2007年)
・「第7回オーライ!ニッポン大賞グランプリ(総理大臣賞)」(2009年)
・「地域づくり表彰 国土交通大臣賞」(2010年)
・「第10回エコツーリズム大賞特別賞(環境省)」(2015年)

そんななかですが、さすがに古民家的な建物には感激。
写真はなかなか評判の「うぶすなの家」であります。
築80年を超える茅葺き屋根の古民家。
日本を代表する陶芸家が手がけた器で、
地元のお母さんたちがつくる四季の家庭料理も楽しめるのだそうです。
この地域のひとびとの暮らしよう、生活文化が
肌身に滲みて感じられるようで、まことにすばらしい民家でありました。
っていうようなことでして、
まことに「見学しながら、概要を把握しながら」という旅。
まだまだ、全体像はアタマのなかに像を結んでおりません(笑)。
きょうも、続きを見学していきたいと思います。




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工務店の「現場」情報発信力

2015年08月18日 05時33分11秒 | Weblog
きのう、札幌から前日泊で新潟に参りました。
本日から3日間、住まいと環境 東北フォーラムの新潟視察の旅です。
ただ、札幌からだとちょうどいい時間のフライトがなかなかない。
それと、気になっていたビルダーさんにお話しを聞きたいと
無理をお願いして、休み明けの夕方訪問させていただいた次第であります。
お伺いしたのは、オーガニックスタジオ新潟の相模社長です。

「新潟といわきを結ぶ線が、住宅性能の最前線ラインなんです(笑)」
という独自の分析で、新潟での家づくりの状況を教えていただきました。
相模社長は、大学では経済が専門だったと言うことで、
卒業後はなんと、住宅FCの会社に就職しマーケティングを専門にしてきた。
その後、そのFC店のひとつに入社し、15年間営業を経験。
中越地震後、独立されています。
工務店さんというと、親の代からの大工さん技能者というのが
基本パターンですが、そのあたりでもちょっと異色。
実は、Facebookなどでの情報発信で「友だち」になり、
そのやり取りの様子から、工務店経営の面などで一度、
北海道東北で、講演その他をお願いしたいと思っていたのです。
住宅づくりでは、正調な新住協の家づくり、なかでも
秋田の西方設計さんに師事されているようで、
スタンダードでまっとうな高断熱高気密住宅を手がけられている。
デザイン的には、社名通り、無垢素材の美しさを際だたせる
風合いが特徴的で、なお、外構計画にも独自なスタンスが見えます。
最近は、YKKAPさんの全国での講演や
住宅専門紙「新建ハウジング」さんでも連載を執筆されるそうで、
いま、全国の工務店さんの注目の的の存在。
しかしわたしが面白く感じているのは、なんといっても
その「情報発信力」であります。
工務店さんのトップの方というのは、
「ものづくり」ということでは、常に現場があって、
最先端の家づくりのそれこそ現場的な、
なまなましくて、誰にでも理解出来る情報に日々接しているけれど、
どうも、その情報を世間に発信することに慣れていない。
そういうなかでは、相模さんの会社はスタッフのみなさんも含めて
現場からの情報発信パワーがすばらしい。
わが社でも、ビルダーさんの情報発信について、
WEBや雑誌などのメディアを通じてお手伝いさせていただくのですが、
その手法のあれこれについて、情報をお聞きした次第であります。
まぁ、そのことのヒントについて私なりの気づきもありました。
相模社長、お忙しいなか、お付き合いいただきありがとうございました。
今後、ご協力をお願いしていきたいと考えています。

さて本日から新潟住宅関連見学の旅。
このブログでも、ご報告させていただきたいと思います。ではでは。


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戦後70年談話と朝日による自虐強制

2015年08月17日 05時25分18秒 | Weblog
あんまり興味が強くはなかったので
即座に全文を読んだりはしていなかった、安倍首相の「戦後70年談話」。
きのう、新聞報道で全文を一読してみました。
この内容では、中国側としてもとくに突っ込みようもないだろうし、
韓国側もきわめて静かな受け止め方を見せている。
それなりに批判を加える論調も海外からはあるけれど、
常識的な線に納まっていて、日本外交的にはいい一手になったと思われる。
国際政治では韓国側の対応が、今後の展開を占うものになるのでしょう。
たぶん、北朝鮮との緊張関係もあって、日米韓の協調路線が、
一定の進展を見せるのは、あり得る展開だろうと思っています。
韓国側のメディアからも、日韓関係正常化気運が高まってきている。
これまでの不毛な反日、嫌韓という相互の関係から
やや脱出できる可能性が出てきたのではないかと喜ばしい。

そういった内外の論調の中で、一貫して意固地に
反・安倍、安倍憎しというホンネの魂胆が見え透いているのが、朝日新聞。
以下、朝日の「社説」の冒頭部分。(「」内、引用)
「いったい何のための、誰のための談話なのか。
安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として極めて不十分な内容だった。
侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、
国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。
反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
この談話は出す必要がなかった。
いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。」
・・・報道機関らしくない、こうした根拠の薄弱な情緒的論難を加え、
外交的に自国を貶めようという徹底ぶりには、まさに脱帽します。
中国韓国の反日世論も、朝日の姿勢が日本で力を得ることに
大いに期待している状況があきらかだと思われる。
たしかに民主国家では、報道は自由であっていいけれど、
さりとて無用に外交的な自虐状況を作りたい、という姿勢はやはりみにくい。
朝日ってどこの国の立場の新聞なのか疑わしい、とまで思わされる。
戦争は結局、勝者の立場でしか正邪が語られることはない。であるのに、
「戦後」という枠組みの中、日本を自虐的な史観にかたくなに縛り付けることに
そこまで固執したいなにごとかが、朝日新聞にはあるのでしょうか。
安全保障問題論議を提起することが、即「戦争したがっている」などと
レッテル貼りに狂奔している姿は、まことにおぞましい。
そうであるならば、もうすでに朝日新聞は報道機関としての公平原則などない
単なる反安倍政権プロパガンダであるのだと宣言した方が正直だと思う。
たくさん悪罵を投げつければ、いくつかの敵失もあって
徐々に国民を誘導できると朝日は考えていると思わざるを得ない。

しかし昨日発表された共同通信の世論調査では、この安倍談話について
●「評価」44%、「評価しない」37% 
~共同通信世論調査、内閣支持は43%に上昇
共同通信社が14,15両日に実施した全国電話世論調査によると、
戦後70年に当たって安倍晋三首相が発表した
首相談話を「評価する」との回答は44.2%、「評価しない」は37.0%。
内閣支持率は43.2%で、前回7月の37.7%から5.5ポイント上昇した。
不支持率は46.4%だった、とされていた。
また、Yahoo!ニュースの意識調査では、8月16日時点で約10万票が集まり、
「(談話を)大いに評価する」が最多の57%となっている。
与党推薦の「憲法学者」の反乱というオウンゴールや
毎日記者の壁に耳を押しつけての盗聴による百田発言スクープなどからの
洪水のような反・安保法制キャンペーンの流れに対し
やや冷静に目を覚ましつつある国民世論状況が見えてきて
安倍政権への支持率がふたたび上向いてきている。
この間朝日や、毎日が流し続けた「経済的徴兵制」など
意味不明で根拠薄弱な、悪意に満ちた「戦争法案キャンペーン」報道が
はたしてどのようなものであったのか、
これからハッキリしてくるのではないかと注視しています。
戦後70年、そろそろオオカミ少年に欺され続けるのは卒業としたい。


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読書端末戦争、iPhone6+圧勝か?

2015年08月16日 08時24分07秒 | Weblog
さて、わたしはいわゆる「書籍」~グラフィック要素の少ない
テキスト中心のものの「読書」については、
圧倒的に電子形態がすばらしいと考えております。
自分自身の最近の「読書量」の向上は、その端末装置が
iPhone6+とKindleに置き換わったことがいちばん大きいと思います。
なんといっても、「いつでもどこでも」著者との対話ができるのが大きい。
きょうのウォールストリートジャーナルで、以下のような記事を読んで同感。

「スマホ読書が米で急増、専用端末は減る iPhone6も一因」
1990年代に電子書籍の専用端末が発表されて以来、
デジタル読書革命が出版界を根底から変えつつある。
ただ当初の予想と違い、今後の電子書籍販売を先導するのは
専用端末ではなくスマートフォンになりそうだ。
現在のところ、電子書籍を読むプラットフォームとして
最も普及しているのはタブレット型端末の
「iPad(アイパッド)」や「キンドル・ファイア」だ。
出版業界が注目するのは、スマホで読書する人が増加していること。
ニールセン社が昨年12月に2000人を対象に行った調査では、
電子書籍の購入者のうち、少なくともある程度の時間
スマートフォンで読んだと回答したのは約54%だった。
ニールセンの別の調査によると、この比率は12年には24%だった。
主にキンドルやヌークなど電子書籍端末を利用する人は、
50%から32%に低下。タブレット型の端末で読む人の比率も、
14年の44%から今年第1四半期には41%に低下した。
 「最高の読書装置は携帯できるものだ」と、
電子書籍販売のオイスター社の共同創業者である
ウィレム・バン・ランカー氏は語る。
「家の本棚は公園にいるときは何の役にも立たない」・・・

というようなことであります。
で、端末はどっちが勝ち残っていくことになるのか。
写真のiPhone6+とKindleの戦いです。
わたしの場合には、ハッキリしていて、
家にいるときには圧倒的にKindleだけれど、
さりとて出張するときに、あえて読書専用端末を持参したいかと言えば
やはり面倒くさい。
専用端末とは、使いやすいけれど、どっかに忘れてきやすい。
実際にKindleを出張中に見失ってしまった経験もある。
大事だからとしっかり旅行バッグに仕舞い込んだら、
そのことを忘れて、ホテルに置き忘れたのではと心配したのです。
要するに、電話の機能も併せ持っている端末の「携帯性」には
どんなすばらしいデバイスも、いまのところ、勝ちようがない。
AppleがiPhone6+を出荷した時点で、
この勝負はあきらかな結果になって来たようです。
まぁ、日本では韓国製や中国製のデバイスへの拒否感があり
圧倒的に日米同盟としてのiPhone6+を支持する面もあって
大型画面のAndroidスマホではなく、
当面はiPhone6+が支持され続けるだろうと思います。
ただ、家でゆっくり読書したいときには、やはりKindleの方がいい。
どちらにしても、家にいるときでも紙の本はやっぱり辛くなってきた。
このこと自体は間違いがありません。
けれども、雑誌、写真表現がたっぷりとレイアウトされたコンテンツは
こうしたデバイスでは、まだまだ快適感がとぼしい。
っていうか、紙の素晴らしさを強く訴求させられます。
紙と電子形態、それぞれ変化はまだまだ、
決着は付かないと思っております。
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函館「電撃」日帰り旅

2015年08月15日 06時52分13秒 | Weblog
さて坊主も帰ってしまって、今度は秋に
娘が帰省するまでは、しずかな暮らしようであります。
なんですが、せっかくの休みなので、今回ふたたび函館へ。
札幌から函館までだと、いまは一般的には道央道高速を使います。
ただ、これだとエラい遠回り320km以上になるので、
なるべく最短距離で向かうルートをいつも考えています。
で、最近は札幌市西区山の手のわが家から、小樽方面に高速乗って
朝里で下りて、そこから山道に入って毛無峠へ。
そこから赤井川村~倶知安へと抜ける道を走る。
国道5号線を南下して、黒松内から道央道に乗って、
大沼公園インターまで一気に南下するというコース選択。
こっちだと、おおむね270km未満。
まぁ50kmくらいは短縮できるコースであります。
だいたい4時間程度で走行できます。
きのうはこのコースを7:3くらいの割合で運転を夫婦でシェア。
朝5時に出て、帰って来たのが大体21時半。
移動に8時間で、函館滞在は8時間半程度。
そのほかにも函館市内の移動はあるけれど、距離はごくわずか。
「疲れたら、ビジネスホテルにでも泊まるか」
と出掛けたのですが、結局は完全走破いたしました。
おかげさまで本日は、やや重たい朝を迎えていますが(笑)、
幸いにして雨模様の「休息日」になりそうであります。
ONとOFF、きっちりと切り替える過ごし方。

函館では今回は、
西部地区を中心に歩きながらの散策が中心。
まずは谷地頭温泉で、朝風呂を堪能して運転疲れを取り、




イギリス領事館、函館区公会堂、旧相馬家住宅、古民家そば店、
北方民族資料館、函館文学館、高田屋嘉兵衛資料館、ラッキーピエロ五稜郭店
などをてんこ盛りで見て回っていました。
こう書くと、すごいパワフルな行程でありますね(笑)。
どうも歳を考えないで、突っ走ってしまいます。
まぁ、元気な内に動き回る楽しみをこなした方がいいのか、
わたしの場合には、個人的に人文的なコトの方が興味が持てるので、
やはり函館のような、歴史的な積層感が楽しい。
ただ、今回駆け足で西部地区を歩いてみたのですが、
完全な「観光ゾーン」と化してしまって、
こういう街のありようというのも、さてどうなんだろうと、
疑問も持たされました。
あちこちで空き家になっている住宅などが増えていて、
たしかに「生活の場」としての街並みからは大きく遠ざかっている。
こういった街が、ほんとうに永続していけるのかどうか、
エトランゼとしての視線と、また少し違う見方を感じた次第です。
まぁしかし、本日はゆっくり人類史の読書でもして
のんびりしていたい、と思っています(笑)、ふ~~~。

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お盆休み・人類学の読書

2015年08月14日 04時42分45秒 | Weblog
さて、お盆休み、みなさんいかがお過ごしですか?
わたしは、本日は遠出してくる予定ですが、
一昨日Kindle本で購入した1冊を読み進めております。
著者の西田正規先生という方は、筑波大学の人類学教授ということ。
出版社は講談社で、「学術文庫」なんだそうですが、
読み始めてみると、本当に読みやすく書かれていて
やはり、本当の知識人とは、姿勢が「科学的」で平明であると
いまさらながら、再認識させられます。
Kindleでの内容紹介では以下のようなダイジェスト。

霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活。
不快なものには近寄らない、
危険であれば逃げてゆく
という基本戦略を、人類は約一万年前に放棄する。
ヨーロッパ・西アジアや日本列島で、
定住化・社会化はなぜ起きたのか。
栽培の結果として定住生活を捉える通説は
むしろ逆ではないのか。
生態人類学の立場から
人類史の「革命」の動機とプロセスを緻密に分析する。

という内容の本なのであります。
わたしの歴史好きのひとつの興味分野である、
巨視的な人類史での最適な1冊のように思われます。
先生のお教えでは、現生人類に先行するさまざまな人類を
すべて含め、おおむね500万年の長きを生きてきたけれど
現生人類にほぼ集約された、つい最近の約1万年前になって、
「定住」革命をはじめた、とされています。
人類史のスパンで考えると、まさに一瞬に近い中で
人類は「文明」的な暮らしようを始め、いまもなお、
その激しい生活革命のまっただ中にあるのだとされている。
わたしの仕事の専門領域である定置的な住宅など、
長い人類史で考えると、高々500世代内外で積み重なってきた
生活環境装置に過ぎないのだと、明瞭に知らされます。
誰にでもわかるように、わたしたちには、DNA的に刷り込まれた
「感覚」領域があって、そこでは太古からの祖先の
体験記憶が刷り込まれているのだと思う。
そういった感覚が、では現在の定置的な住宅という
「最新」の装置・環境の中で、どのように決定因子としてふるまうのか、
そんな強い読書動機を掻き立てられています。
・・・それにしても、電子書籍はまことに便利であります。
基本、家にいる間はkindleで読むのですが、
外出時にも、iPhone6+で、連携して読み続けることができる。
こういう読書勉強環境というのも、人類史上の奇跡的なことのように
思い知らされる次第であります。
また、現代の最高水準の知見を、
大学外でもこんなかたちで社会人学習が可能になっている。
よく言われるように、歴史は各時代ごとに研究は
「専門化」が進んでいるのですが、
その「通史」としての理解は、わたしたち凡人に可能になってきている。
まことに喜ばしい環境を人類は創造してきていることかと、
感動の思いが募って参ります。


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お盆休暇、家族の時間

2015年08月13日 09時06分20秒 | Weblog
さて、2週間ほど帰省していた坊主が東京へ帰還。
なぜこんな13日に、と思うのですが、
なにやら予定が詰まっているのだとか。
帰省していても、友人たちとの交友で家にいるのかいないのか、
っていう状態なので、ふだんと特段違いはないのですが、
そこはかとなく存在感があって、楽しい(笑)。
きのうは父母とも会合で遅くなったのですが、
帰宅後、待ちかねたように
「腹減った・・・」。
時間はもう11時過ぎだったのですが、
カミさんは大喜びで、スパゲッティ2人前を作ってやっておりました(笑)。
まぁまぁ、よく食べてくれる。
若いのが、バリバリと食欲全開の様子って、
見ていて、爽快感があってわたしは、大好きであります。
で、2週間中、ほとんどできなかった会話を。

今朝は、朝1番の飛行機なので、
家族で新千歳空港まで送っていきました。
お盆休暇で混雑を心配して、やや早めに出ていったのですが、
幸いまだ、それほどの混雑はありませんでした。
7時半前後ですから、混み合うこともない時間なのでしょうね。
子どもが2人とも家を離れて、
家族がいっぺんに会えるということも少なくなってくる。
しかし、そういう一緒にいる時間って
ごく平凡で、普通なんだけれど、
そのふつうということが、たいへんうれしい。
これから、そんな暮らし方が続いていくのだろうなと
親としての時間を楽しんでおりました。ふむふむ。

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鎖国と憲法9条

2015年08月12日 05時53分17秒 | Weblog
写真は、先週土曜日の札幌市内・狸小路の様子。
あちこちにできている待ち合わせ場所などでは
中国・台湾・欧米などからの観光客のみなさんが占拠しています。
いまや、全国的にどこでもこうした光景が普通になってきた。
日本って、この列島社会形成期においては、
間違いなく、東アジア世界でのフロンティアの地であっただろうと思います。
世界で新石器時代だったとき、この列島では、縄文時代が成立した。
他地域では依然として狩猟採集が基本だった時代に、
海岸線地域での漁労と、照葉樹の森が育んだ木の実の採集で
「定住」生活が可能になった稀有な地域だったのではないかと思います。
他の地域では、定住はすなわち農耕だったのだろうと思いますが、
ちょっと違う発展の仕方をしたのは間違いがない。
そういった時代から、大陸地域で農耕が本格的に発展し、
同時に不可欠になった「文字」記録や、「政治機構」が相対的に
「進化した文明」として、列島社会に一気になだれ込んできた。
歴史で言えば、弥生という輸入された生産様式、文明が、
ひとびとの「移住」にともなって、この社会を覆っていった。
この列島に古い時代に定住した人々を、はるかに上回るかたちで
どんどんとフロンティアが流入してきた社会なのだと。

そういう基本の社会であるのに、
ヤマト国家が成立して以降、なんども断絶を志向する流れもあった。
白村江での敗北での国家的緊張がその最初だったと思われます。
かならず、唐・新羅の連合軍はこの列島を攻撃してくるに違いない、
そんなふうに極度の緊張が走ったのだろうと。
こうした民族的な体験は繰り返され、最終的に
江戸期にいたって「鎖国」という特異な対外路線を日本は歩んだ。
その直前期までの戦国乱世への反動だったのか、
あるいは秀吉による東アジア国際関係の破壊が、選ばせたものか、
結果として、日本は一国平和主義を選択し、
基本的には進歩がもたらす戦乱や、その可能性から離脱した。
長崎の出島から、海外の動向を例外的にのぞき見てきた。
そういう日本の姿勢は、しかしペリーの黒船でもろくも打ち砕かれ、
列強による植民地支配への恐怖が一気にこの社会を覆い尽くす。
明治の開国から第2次世界大戦まで、
こうした鎖国体制から世界に目覚め、その反動から結果としての
他国への侵略行為と言われてもやむなき事態を惹起した。
そして結末としての原爆投下、アメリカによる占領。
日本は、今度は占領国による大きな強制を受ける。
それがいまの憲法であり、9条ではないのだろうか。
この国は放っておくとアメリカをも脅かす国家であり、
対外的侵略に走ると、占領国であるアメリカが決めつけ、
現行憲法というかたちで、大きく規制をかけたものであることは明らか。
そして国際政治バランスに於いて、永続的に従属関係から逃れないように
国内的には9条で縛りをかける一方で核超大国アメリカの軍が
「安全保障」を提供してきた。こういう桎梏のなかに日本はある。
わたしは、この体制はしかし、そう不幸なものではないと思っている。
そしてまた、良くも悪くも、
日本人が憲法9条に持つイメージは、鎖国と似た部分があるのだとも思う。
憲法、そして9条が持っているユートピアのような思想に
いつまでもくるまれていたい、という希求自体はよくわかる。
しかしいまや、アメリカの超軍事大国体制も、そのままの存続は怪しい。
日本の戦後の「平和」は、誰が見ても米軍の駐留が源泉で、
残念だけれど、憲法や、9条を他国がリスペクトしたからではない。
その虚構が崩れたとき、世界のだれも憲法9条を保障する体制はない。
ロシアによる白昼公然たる侵略、領土獲得行為。
中国による南シナ海、東シナ海でのふるまいを見れば明らか。
そのことが、黒船ペリーのようなかたちで、
ふたたび日本とその正当な権益を襲うことがないか、きわめて疑問。
少なくとも、政治がこういう国家の安全保障を
冷徹に論議しないというのは無責任きわまりないと思います。

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