三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

明治革命政権による札幌での「御用火事」

2015年08月03日 05時57分50秒 | Weblog
北海道という地方自治体は、
ほかの地方自治体と大きく違う出自・経緯を持っている。
それは、江戸幕府を陰謀と民衆扇動などで打倒した薩長土肥による
「革命政権」の中枢が、その成立に大きく関わっている点。
他地域は、藩による支配が基盤的にあって、それなりの支配についての
民への「配慮」があったように思われるけれど、北海道は
ナマな、武人たちによる暴力的な開発支配が貫徹されていた。
明治の革命動乱は、ロシアなど列強による植民地膨張政策に対する
危機感をバネとした各藩の青年士族による革命独裁政権として、
目的に対して武断的な、まことに荒っぽい政策を実行した。
かれらにとっては、まずとにかく北海道に多数の日本人移住者を増やすことが
イコール、国防的にきわめて肝要な目的であり、
そのためには手段の是非はそれほど問題とはされなかった。
というよりも、新開地・北海道での施策には民主主義や、
人権云々を尊重するような考え方は存在しなかったといえるのだろう。
いわゆる「明治の元勲」とされるかれらの荒っぽさは、
まことに度肝を抜かれることも多い。
写真で上げた「岩村通俊」という人物も、土佐藩士として
明治戊辰戦争を官軍として戦った人物。
その論功行賞であるのか、その後、出世街道をひた走る。
そして初代北海道庁長官となった。



札幌に定住者を増やそうと、官許の遊郭「ススキノ」を作らせたりして
腰の落ち着かない労働者をこの地に住まわせることに腐心したりした。
こういう部分にも、江戸幕府による遊郭制度に似た武断的性格がみえる。
そういうなかで、「家作料貸付金制度」という
住宅建設のための一種の公的融資制度を作って
移住してきた妻帯者に対して多額の資金を貸し付けたが、
北海道を有利な出稼ぎの場としか考えない移住者たちは、
いつまで経っても簡易な茅葺き屋根の「仮設」住宅しか建てない。
かれら革命政権側にしてみると、民どもの小ずるさが許せなかったのだろう。
なんと「御用」の旗を押し立てて、そういう茅葺き小屋に放火したのだ。
一方で、そういう火事を消火させる火消しの制度も作っていた。
「マッチポンプ」そのままと恐れ入らざるを得ない。
警察組織自体もかれらが持っているワケで、
まぁ、まことに革命政権の暴力的な支配が行われていたと思う。
こうした放火を肯定する気は毛頭ないけれど、
かれらにとっては、恒久的に北海道で生活していくことを強制したいわけで
住宅建設と言うことについて、他地域とはまったく違う
国防的な切羽詰まった暴力的なまでの思いがあった、その傍証と言える。
こうした北海道を舞台にした、明治革命政権中枢の
武人為政者の北海道住宅への思いは、まるでDNA的なものとして、
今日にまで受け継がれてきたものがあるのではないかと思っています。
もちろん、こんな荒っぽい暴力性はなくなるけれど、
しかし、住宅はしっかりしたものを建てさせたいという強い希求性は残った。
他の自治体では、基本的に住とは民の領域のことであり、
いくら住宅政策と言ってもその腰は引けているけれど、
はるかな時間を経て、民主国家の地方自治体となった今日、
それでもやはり北海道の目指す地域住宅政策には、
一貫した「よき住宅」とはかくあるべしという強い思いがあると思う。
しかしまぁ、荒っぽい連中が為政者になっていたものだと
その暴力的体質に、驚かされますね・・・。




コメント
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