先日の「箱館奉行所」の大広間正面です。
ここは幕府の正式な蝦夷地における政庁だったわけであり、
外国船舶の入出国が盛んだったことも考え合わせれば、
古代における「太宰府政庁」とも比肩されるような建物ですね。
その正式外交の場にもなったわけで、
それなりの格式のある建物となる道理です。
違い棚と床の間、さらに右手には書院という構成。
壁は塗り壁ですが、その材質は史実の記録がないので
再現しようがなく、ほかの部位の壁同様の塗り壁仕上げとされています。
きと、銘物の土が重厚に塗り固められた壁面だったのでしょう。
違い棚の板の奥行きも大きく、
1m近いと感じました。
ケヤキが使われていると言うことですが、
塗りは工芸品のような漆が使われていて
まことに外交正式文書でも置かれても格が似合うような雰囲気です。
床の間の柱も記録がないので、まぁ高級そうな材料が使われていますが、
きっと、目を見張るような見事な銘木が使われたに相違ありませんね。
写真の左右幅が一杯だったので、
右手の書院は写っていませんが、
いずれにせよ、江戸期最後の正式の公共事業建築、という雰囲気が薫る。
書院造りというものをわたしたちの文化はこのように認識し続けてきた。
鎖国して、日本という文化の純粋培養生を高めた時期の
そういう価値観とか、文化性をよみがえらせてくれます。
先日も書きましたが、
この建物がなかったら、北海道を代表する建築って
いきなり、西洋風木造洋館である、函館西部地区の建築群や
欧米建築文化の移植であった
道庁赤煉瓦庁舎・時計台という建築のみにならざるを得なかった。
もっとも南に振れているとはいえ
北海道内にいかにも日本文化を代表するような建物が残るのは
わたしたち北海道人にとって、意味が深い。
こういう建物があってはじめてバランスが取れるように思うのです。
赤煉瓦庁舎・時計台という建築にとっても
日本という歴史の中で孤立することを免れるように思います。
一度は見ておいたほうがいいと思いました。