性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

新聞の1面出版広告

2010年12月21日 06時41分26秒 | Weblog






わたし、会社勤めをはじめたのは
広告代理店でした。
なぜか出版広告のお客さんを担当することになり、
それ以来、出版広告に縁があります。
広告の中でも、1面の記事下広告は出版物に開放されています。
新聞社が出版社に対して、いわば同業種として
エールを送るような関係で、優遇してきたのが流れ。
それがいつしか、新聞の顔を飾るのには
それなりの「格式」が必要というような論理に発展して、
ずっと出版広告がその地位を占めてきたものです。

出版の世界では
内部的にいわば出版社や本の格、というものも重視され、
たとえば岩波書店などは、一番右側に位置するという不文律もあります。
逆にやや軟派な出版社では、左端を指定する
っていうようなケースもありました。
日本人の文字認識動作習慣として左側の方に目が流れていくので
そっちの方が、マーケティング的に有利だ、という考えです。
などなど、社会人としての出発点の経験もあって、
出版広告には特別な思いを持っています。
今回、いわば広告代理で写真のような広告を北海道新聞さんにお願いして
掲載していただいた次第。
まぁふだん自社の広告をあれこれ考えるのとは、すこしイメージも違う。
いまは、こちらの方で原稿をパソコンでデータ作成するのですが、
昔は「写植屋」さんで「組み版」を作って「紙型」を取り
新聞社に広告原稿として納品する、という流れでした。
出版社側としては、よりインパクトがあるように
どのように文字組みするか必死で、広告会社側も知恵を絞っていた。
さまざまな工夫を凝らしていたものですが、
今回作ってみたら、久しぶりに、チェックが入ってしまった(笑)。
新聞社側の校閲(あぁ、なつかしい)で、
タイトル文字よりキャッチフレーズが大きな文字ではいけない
ということだそうであります。
原稿構想の段階では、右側の文字「見て見て・・・」という方を
大きくしていたんですね。
率直に申し訳ありません、ということで、修正。
この原稿で、先週日曜日の朝刊に掲載されました。

文字だけの広告というのは、難しい部分もあるけれど、
表現を考えていくのは、やはり面白みがたっぷり。
まぁ、おじさん的な楽しみでしょうが、
さてどんな風に受け取られるだろうか、と
そこからも心配やら、なにくれとなく気になるものです。
いまはこんな本が出ているんだ、と
新聞の1面の広告、社会を知る一番わかりやすい窓、でもあります。
みなさん、気をつけてみていただきたいなぁと思う次第です。
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室内「庭」のある家

2010年12月20日 05時48分13秒 | Weblog






なんとも面白い提案を持った住宅です。
これまで、北国の住宅でも楽しめるインナーガーデン、
というのは、通常は観葉植物をリビングなどに置いて楽しむか、もしくは
温室的なアトリウム空間というのが、一般的。
それに対して、
居間・リビング自体を庭にしてしまった、というのがこの家。

帯広のOMソーラー加盟店・佐々木建設さんのモデルハウス。
コンセプト的に大変面白かったので、きのう、往復540kmかけて
急遽、日帰りで行ってきた次第です。
帯広は冬場の日照に恵まれた地域であり、
OMソーラーには適した環境の街です。
今回のモデルハウスは、社長の佐々木雅史さんが長年温めていたアイディア。
太陽の熱を集めて暖房をまかなう、というコンセプトに共感する企業人らしく、
自然との暮らし方の調和を考えていくと
こういう環境提案に至ったと言うこと。

室内にしつらえられた「庭」は、本格的であり、
基礎外断熱を採用して凍結深度まで断熱されているので
室内側の土壌は断熱されている。
その上で、凍結深度までコンクリートで区切って
中の浸透性の土壌に対して、庭を造作してみたというもの。
さんさんと降り注ぐ陽光空間が、北国の季節感イメージをひっくり返してしまいます。
2層分の吹き抜け空間の南と西の2方向に開けられた開口部と、
天窓からの採光で、室内は汗ばむほどの日射取得。
通常、こうした装置空間はリビングとなりますが、
そこに庭を造作した、という感じでしょうか。
庭は、ベンジャミンを主要な植栽として、
ソテツ類などや、食用にほうれん草なども植え込まれています。
土は、虫の問題などを考えて、無菌土壌を採用。
また、池も造作して金魚を放してあり、
完成後、何日か経過していますが、のびのびと動き回るようになったとか。
循環水装置で「せせらぎ」の音も聞かれ、
いわば、「微・自然」な環境が作り出されている。
庭は板面の床で囲まれており、
まるで「縁側」が室内側に向けられているかのようです。
玄関方向への一方は土間空間になっていて、
そこには薪ストーブもしつらえられているので、
自然の中でたき火をして、水に親しみ緑を育てる、
季節感と、内外の感覚が両方ともひっくり返るような空間が実現しています。
コンセプトは素晴らしい。
まさに、高断熱高気密でなければ実現できない環境だと思います。
温熱環境をコントロール可能なものにすることで実現した空間性。
本州地区のみなさんが、なんとなく
閉鎖的で閉じられた環境ではないかと思いこんでいる
高断熱高気密ですが、だからこそ実現できた室内のしつらいだと思います。
さまざまに困難が予測されますが、
さて、1年かけてどんな結果が出てくるか、
実に興味津々な試みだと思います。
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さっぽろ味噌ラーメン

2010年12月19日 04時18分33秒 | Weblog






よせばいいのに、
どうしても飲んだ後、一杯すすりたくなるのが、
ラーメンですね。
これはススキノの「芳蘭」さんの味噌ラーメン。
この食べた分は、皮下脂肪となって、後悔をもたらすことはわかっているのですが、
やっぱり、日本人的な習慣に刷り込まれています。
写真で撮っても、油が浮いている様子がわかります。
まぁ、カラダにはよくないだろうなぁ・・・(笑)。
でも、北海道のように寒い夜には、
この油分が、体を温めてくれて、
家に帰るまでの体力源になるのか、気持ちを引き締めさせてくれるのか、
やはり、ススキノでの習慣になってしまっています。

わたしが、まだ小学生の低学年くらいのころに
家庭でラーメンを食べるという習慣が出来たように記憶しています。
「え、きょう、ラーメンなの」
っていうような驚きのメニューだった記憶。
また、インスタントラーメンという食の領域も
この「さっぽろ味噌ラーメン」のブームが後押ししていたと思う。
現代では、あの袋詰め乾燥麺という食文化は世界中に広がった。
北海道という存在は、日本の中で食糧基地としての存在意義が長く継続していて、それは今後とも継続していくでしょう。
そのなかで、はじめて北海道オリジナルの食文化だったのが、
このさっぽろ味噌ラーメンだったと思います。
わたしの実家が、もやしの製造販売を事業としていたので
この食文化の創成期にからんでの記憶があります。
さっぽろ味噌ラーメンの産みの親、
三平ラーメンの大宮守人さんが、毎日のようにわが家に
もやしを購入しに来ていたんです。
「もやし、わけてくださ~い」
という氏の声がよく聞こえていたのです。
あのラーメンの油分を吸収してくれる食材として
年間で安定して出荷されていたもやしに着目してくれたのですね。
おかげさまで、家庭で食べるラーメンにももやしが使われ、
地場産業としての地位が確立した部分があったのですね。

さて、きのうは、荒天のため、
途中で高速が通行止めということで、
帯広方面に行く予定が、あえなく断念。
本日早朝出発で、なんとか日帰りするという予定。
超早起きで、これから出発であります。
早く行って、早く帰ってこよう、ということなのですが、
さて、どうなるかなぁ・・・。
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若さ・・・

2010年12月18日 06時04分20秒 | Weblog







ここんとこ、寒気がすごい。
まだしっかり雪の断熱が効いていないので、
放射冷却で地面から熱が奪われて、
寒気が身にしみる。
北海道の冬なので、当たり前ですが、
夜、忘年会での帰り道などは、一気に酔いも覚める。
北欧とか、ロシアとか、寒いところの人々は
大変お酒が好きだけれど、
あれって、お酒を飲んでも寒さに触れたら
いっぺんに酔いが覚めるので、また飲み始める
っていうことで、量が増えていくことを表しているように思います。

先日、飲んでの帰り道、
ふとみると、寒風吹きすさぶ中、
地べたに座り込んで、威勢良くギターを弾き鳴らして
歌っている女の子がおりました。
いやぁ、すごい。
娘を持つ親としては、なんともないまぜな心理に襲われます。
青春の彷徨というか、
こういう時代も通り過ぎていた気がする。
遙か昔だけれど、
こんなふうに自分のこころと向き合って
どんなふうに表現したらいいのかよくわからないままに、
わめき声をあげていたことを記憶している。
でも、わたしたちの時代には、こういうの男性だった気がする。
それがいまは、女の子が人生をロックンロールしているのだろうか。
きのう書いたビートルズを聴いた帰り道だったので、
余計に、寒気の中、立ちすくむような思いをさせられました。

風邪を引かなければいいけれど・・・。
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ビートルズの時代ってなんだろう?

2010年12月17日 06時54分39秒 | Weblog




ススキノにはあんまり出ることはありませんが、
まぁ、いろいろ趣向を凝らして店を作っているもの。
2次会で、「ビートルズばっかりナマで歌っている店がある」
ということで、行って参りました。
そういうコンセプトの店自体は、全国どこにでもあるのでしょうね。
わたしたちの年代にとってはそれこそ、
空気のように存在した音楽、というものだった。
いや、音楽が時代感覚と完全に共鳴して
世界が一体の文化を共有しはじめた、最初の頃だったのかも知れませんね。
で、Appleというレーベルで
多くの楽曲を世に送り出して、
中心メンバーのジョンレノンが殺害されることで、
かれらの時間が永久に封印され、
この時代の中で、完全に伝説化してしまった。
赤穂浪士が死を賜ったことで日本人の心に強く残ったように、
現代人の心の中に、しかも音楽という手段で残ってしまった。
Appleという名前は、ジョンレノンが考えたのか、
その株を、遺族が持ち続けているのか、
その辺の情報はまったく知りませんが、
ずっとわたしたちの潜在意識の中に刷り込まれて、
そういった精神に近いようなものが生まれてきたのかも知れない。

ことし、コンピュータからスタートした米国Appleが、
長年にわたって名称のコピーとして係争してきた
ビートルズレーベルのApple社と完全に和解し、
それを象徴するように、iTunesからビートルズの楽曲が
ダウンロード販売が開始されるようになっている。
米Apple創業者のスティーブジョブスにとって、そして会社にとって、
このことは、大きな喜びだったものと思われる。
思うのですが、たぶん、スティーブジョブスさんにとって、
ビートルズというのは、その想像力の起点で
「世界のすべてを変えた」精神の部分で、
宗教化している存在なのではないかと思われてなりません。
コンピュータの世界、そのめざすコンセプトの部分にも
ビートルズの精神が流れているのかも知れません。
そういう意味でも、ビートルズというのは
わたしたちの年代にとって、きわめて重要な体験だった。
あんまり音楽には強い興味を持たなかったわたしのようなものでも、
脳味噌のなかのシナプスが、多くの情報記憶を構成しているようで
ビートルズの楽曲に反応してそれらが活性化せざるを得ない。
脳味噌の中で放置し続けてきたさまざまな体験記憶が、
単品の楽曲ではなく、あらためてビートルズばっかり、聴かされると
ついその時代に思っていたことが洪水のようにあふれ出る。
アルコールのマヒ機能も加わって、それが増幅する。
やばい・・・。

わたしたち年代というのは、本当に変わった経験を共有した
面白い世代だったのかも知れないなぁと思います。
たぶん、下の年代層のみなさんにとっては、
リアルタイムのビートルズを知っているオジさんオバさんたちって、
やや、うっとうしいような思いを持つのだろうか、なぁ?・・・。
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家庭的な料理で満腹

2010年12月16日 07時08分22秒 | Weblog






きのうはアース21の札幌地区の忘年会。
昼過ぎから4件の住宅を見学した後、
お馴染みのお店で忘年会であります。
札幌市中央区南6条西3丁目『たかまつ』というお店。
まぁ、わたしは年に1度、この忘年会で行くのみという不精ぶりですが、
料理は大変においしい。
お母さんのような女将さんが手作りで作ってくれる家庭料理の数々。
それと仲間が手打ちしたそばで、あとはどっさりの地酒の山。

なにを話していたかは、この際あまり関係なく(笑)
わたしはひたすら、手料理に舌鼓を打っておりました。
写真左上から、
まずはいかを和えた「ぬた」であります。
甘酢味噌味と、白いところと青いところのネギ、
やわらかくて、一口サイズのいかのハーモニーがたまりません。
いやぁ、いかった。
続いて、下の段はだし巻き卵です。
卵の焼き加減、なかのややとろみの残りぶり、
巻き込んだほうれん草の歯ごたえ・・・、
もういうことがない、うまい。
真ん中上段、豚の角煮。
煮込み加減が絶妙です。
とろけるような白身と赤身のハーモニーが
口中に広がって、いやぁもう参った、であります。
でもまだまだ、料理は続く。
右上、ぶり大根です。ぶりは、肉身と繊維質の口中での離れ具合が絶妙。
魚の旨みをこれでもかと感じさせる歯ごたえ。
そして旨みをたっぷりとやわらかく凝縮した大根は
大ぶりで箸の通り具合、口中でのとろけぶりがバツグン。
その下段、鯖の生寿司~いずし~。糀の香と味わいが
魚の歯ごたえとともに、一気に香り立つ。
そして、真ん中下段、メンバー・吉田さんの手打ちそば。
残念ながら、気がついたときにはそばはおおむね、腹の中でしたので(笑)
写真自体は、お馴染みのそば屋さんのものです。
それに、これもメンバー・武部さんのそばつゆ。
吉田さんも手作りそばつゆ持参でして、
こちらは温めてつけ麺で、武部さんのは普通の盛りそばつゆで
食させていただきました。
お互いに出汁の取り方にこだわりがそれぞれあり、
滋味豊かな味わいがそれぞれに味わえました。
出されたそばは、総勢21人であっという間に完食。
歯ごたえと、風味、味わい、満点の食感でした。

っていうことで、
ただただ、ただただ、地酒と旨い食べ物に
誘われて、外の住宅見学で冷え切ったカラダを
心底から温めさせていただいた次第です。ごちそうさまでした(笑)。
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いごこちはディテールに・・・

2010年12月15日 06時53分46秒 | Weblog





きのうは、北総研の鈴木大隆さんと打合せ。
いろいろなお話しをさせていただきましたが、
氏は、たいへんな倉本聰さんフリークということだそうで、
先日発売した本をプレゼントいたしました。
倉本さんの作品が大好きで、
「北の国から」の最終回・遺言の放送では
酒を飲まなければ、見続けられなかったということ。
鈴木さんは北総研での仕事のほかに
国交省や、国レベルの仕事もたくさんこなし、さらに
建築学会の地域役員などもこなすという
まぁ、北海道でも有数の多忙な人。
仕事は忙しい人に頼め、という鉄則もあるので・・・、
ただ、こちらにも身に余る大きな宿題が与えられまして、
むむむ、というところであります。

鈴木さんというと、
住宅性能面のことが一番のフィールドという印象ですが、
Replan誌面でお願いしているエッセイでは、
常にユーザー目線での切り口が語られ、
いわば、「顔の見える技術」というものをめざしているのだと思います。
技術の世界にいながら、人間への目線が際だって感じられます。
建築というのは、技術の側面が大きくあり、
それも構造から材料さまざま、多様な分野があります。
一方で、人間がそこで振る舞い感覚するだろう、
すべてが扱うべき領域と言うことになります。
たいへん領域が広すぎる。
どうしても建築の各領域で、専門化して
それらの「学際」的な、総合的な視点というのが見えなくなりやすい。
でも常に忘れてならないのは、それは人間のためのものである、という視点。
そんなことで、大変共感を持ってお話しさせていただきました。
結局は、倉本作品の世界のように、
生きて悩み続ける人間が癒される、そういった空間性について
迫っていくのが、建築の役割なんだろうと思いますね。

写真は、秋田五蔵舎さんの住宅取材の時に撮影したなにげない点景。
壁の質感、色合い、
照明の感覚、寸法、空間の用途性、
建具とのバランスなどなど、いわば、ディテールです。
そして、そこにしつらえられる生活用具のデザイン・質感
そういったものが混然となり、境界も曖昧になって
全体として調和した空間性を生み出していく。
どうもそういったことが、結局は建築の最大の意味合いなのではないかと
そんな思いを強く持った次第です。
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東大寺大仏と国際情勢

2010年12月14日 08時08分52秒 | Weblog





本日は、歴史ネタであります。
古い時代の北海道島のことをいろいろ調査し続けているのです。
そこから展開して、日本歴史にも別の視点が見えてくる。
知れば知るほど、どんどん疑問がわいてきて
日曜日などは、そういう研究にけっこう時間を取っています。

で、やはり歴史も研究職のみなさんの専門的研究は
唸らされるものが一杯であります。
日中韓3国で、歴史の共同研究という事業が取り組まれたのですが、
そういうことから、アジア史のなかでの日本の歴史、
あるいは日本の歴史とアジア情勢の関連など、
相互的な見方が出てくることで、まったく違う解釈も出てくるのです。
大仏の開眼会などというのは、日本歴史教科書的には
律令体制の導入と「仏教の伝来」という脈絡からだけ理解されていたのですが、
最近の研究では、その当時の朝鮮と北東アジアの情勢が
この大仏開眼会の祝典前後に外交問題もからんで展開していたことがわかってくる。
というのは、この前後に新羅と渤海という2つの元気のいい国家が
朝鮮半島といまの北朝鮮や北東アジア地域を舞台に対峙関係にあり、
この以前から渤海が日本と対新羅の安全保障関係を結んでいたのです。
そこに、この大仏開眼会が開かれることを聞きつけた新羅が
その王子を代表とする外交使節団700人を送ってきたというのですね。

この大仏開眼会は752年ですが、
この一連の流れの中で決定的だったのは、
大仏への表装の黄金が、ついに日本・陸奥の国で発見され、
大量に採掘が開始されはじめたと言うこと。
で、大仏開眼会では、その全身に黄金が施されて
まさに、黄金の国ジパングという国際的メッセージが
アジア全域に伝えられたのですね。
それがやがて、マルコポーロによってヨーロッパ世界まで広がった。
その時期に、日本と前記の2国の国際関係が関係性を持ちながら展開する。
今日の北朝鮮と韓国の関係ともある意味、比較できるような動きです。
考えてみれば、日本史の記述では
古代においての国際関係論はなぜか、あまり究明されてこなかった。
でも調べていけば行くほど、
日本の歴史は、少なくとも東アジアの国際関係抜きに考えられない
っていうことがわかってきますね。
何度も日本は朝鮮に対して出兵計画を持っていたし、実際にも行った。
そういうことがあるから、渤海もそれを期待し、
安全保障条約的な関係を作ってきた。

こういった見方が出来るようになると、
モノクロに見えていた古代史の情景が、一気に極彩色にみえてくるものです。
そして、キーワードはどうもやはり、金なのですね。
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もうすぐ築20年のわが家

2010年12月13日 07時52分09秒 | Weblog

新築したときから、ずっと住み続けているわけで、
そういう継続の中では、ふり返るような感情は特に持てない。
ひたすら日常の時間が積み重なるなかで、
いくつかの大きな変化があっても、感慨は持たないもの。

わが家は、ブロックで建てられています。
この工法は戦後すぐの時期に北海道知事だった田中さんという方が
地域の材料を生かして北海道らしい家を、と考えて
ブロック造の住宅を大量に建てたことに由来します。
現在でも、多くの「三角屋根ブロック住宅」の街並みが
残っている地域もあります。
断熱の方法が内側で、結果として結露被害が続出して
「あれはダメだ」という評価が出てしまったのですが、
その後、断熱を外側にすることで
温熱環境の面では、大変先進的な工法技術として
評価が定まってきたもの。
コンクリートよりも安価で外断熱・蓄熱の効果を期待できるので、
もっと普及が進むかと思われましたが、
やはりコストの急激な上昇で、大きな普及には至らなかった。
わたしは、このブロックの規格的な格子形状が
デザイン的にもたいへん面白いと感じたのですが、
一般的には、これで仕上げは終わりなの?という反応が多かったのでしょうね。
最近は、あまり建てられたという話題を聞くことがなくなってきました。
ひとりのオーナーとしてはややさみしいものがあります。
意匠性の問題はともかくとしても、
「蓄熱」という概念を外断熱とともに組み合わせて実現した
という意味では、地域性を生かした建築のありようだったと思います。
今後の住宅では、この蓄熱概念が大きなテーマにもなるようにも思います。
この工法を一生懸命にやっていたのが北海道の建築家たちで、
そういう縁もあって、交流が深まった側面があります。
こういった技術的な側面を熱く語る、という存在として
「建築家」というひとたちを認識していた部分があり、
その後、他地域の建築家のみなさんと交流する中で、
必ずしもそういう志向性を感じることが少ないことも
違和感をもった記憶があります。

北海道の建築歴史の中にこの工法が
今後、どのように位置づけられていくものか、
これからも大切に使い続けていきたいと考えています。
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ブログのメディア化

2010年12月12日 08時01分52秒 | Weblog

きのうは、自費出版で取り組んでいた
「アース21」の本の出版打ち上げ忘年会。
長丁場だったので、参加していたみなさん、達成感をもって笑顔の表情。
そういうなかで、会のHPも改善されて、
会員ブログのリンクがトップページに並ぶようになりました。
アース21HP
やはり、知ってはいてもなかなか、
探してブログを見に行くというのはしないもので、
わたし自身もみなさんのブログを楽しく拝見できるようになりました。
また、ありがたいことにわたしのブログも見ていただけるので
いろいろな意見を受けることが出来ました。
そのブログを巡って、さまざまな意見交換が出来るようになったのです。
それぞれのブログが孤立しているのではなく
ひとつの「メディア」になることで、
共通の意見交換が可能になると言うことですね。
たいへん参考になる意見もいただきました。感謝であります。

小さいことだけれど、
こういったことがもたらす効果は大きい。
お互いに情報を発信し合っているから、
話し合うテーマが絞り込まれてきて
かなり短時間で、深い部分のことについての話が出来やすい。
書かれていたブログのテーマについて話せば、
即、その深い部分の情報をお互いに共有できる。
まぁそうすると、
人間性とか、すぐに理解し合える部分があるので、
都合の悪いこと・・・もあるけれど(笑)。

ということで、和気あいあい、
談笑の尽きない会になりまして、
本日はやや遅い目覚めでありました。
・・・日曜日で良かった。

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