きのうは、北総研の鈴木大隆さんと打合せ。
いろいろなお話しをさせていただきましたが、
氏は、たいへんな倉本聰さんフリークということだそうで、
先日発売した本をプレゼントいたしました。
倉本さんの作品が大好きで、
「北の国から」の最終回・遺言の放送では
酒を飲まなければ、見続けられなかったということ。
鈴木さんは北総研での仕事のほかに
国交省や、国レベルの仕事もたくさんこなし、さらに
建築学会の地域役員などもこなすという
まぁ、北海道でも有数の多忙な人。
仕事は忙しい人に頼め、という鉄則もあるので・・・、
ただ、こちらにも身に余る大きな宿題が与えられまして、
むむむ、というところであります。
鈴木さんというと、
住宅性能面のことが一番のフィールドという印象ですが、
Replan誌面でお願いしているエッセイでは、
常にユーザー目線での切り口が語られ、
いわば、「顔の見える技術」というものをめざしているのだと思います。
技術の世界にいながら、人間への目線が際だって感じられます。
建築というのは、技術の側面が大きくあり、
それも構造から材料さまざま、多様な分野があります。
一方で、人間がそこで振る舞い感覚するだろう、
すべてが扱うべき領域と言うことになります。
たいへん領域が広すぎる。
どうしても建築の各領域で、専門化して
それらの「学際」的な、総合的な視点というのが見えなくなりやすい。
でも常に忘れてならないのは、それは人間のためのものである、という視点。
そんなことで、大変共感を持ってお話しさせていただきました。
結局は、倉本作品の世界のように、
生きて悩み続ける人間が癒される、そういった空間性について
迫っていくのが、建築の役割なんだろうと思いますね。
写真は、秋田五蔵舎さんの住宅取材の時に撮影したなにげない点景。
壁の質感、色合い、
照明の感覚、寸法、空間の用途性、
建具とのバランスなどなど、いわば、ディテールです。
そして、そこにしつらえられる生活用具のデザイン・質感
そういったものが混然となり、境界も曖昧になって
全体として調和した空間性を生み出していく。
どうもそういったことが、結局は建築の最大の意味合いなのではないかと
そんな思いを強く持った次第です。
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