三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

サスティナブルを考える

2008年07月11日 07時26分46秒 | Weblog



いつも住宅のことを考えているような生活をしていますが
そうやって考えてくればくるほど、
日本的なシンプルな住まい、ということを考えるようになります。
歴史年代的に見れば、わたしたちの民族的な住宅体験は
圧倒的に写真のような竪穴式住居が長かったと言えます。

現代の自然素材への強い希求とかのベースに
こういう住宅体験がDNA的に色濃く根付いているのはないかと考えるのです。
縄文の時代では採集を基本としながらも
定住も見られて、食料植物の栽培も行われていたようです。
縄文時代の食素材は、驚くほどに豊かだとされています。
いろいろな素材をまんべんなくバランス良く食していたようです。
縄文時代には圧倒的に人口は東日本に集中していたという説が有力。
適度に寒冷で、秋には自然から様々な食素材の恩恵が得られた。
そういう素材を、長期保存してくれる寒冷な冬が冷蔵庫代わりにもなった。
そういう条件を持たない西日本は、生きにくかったのですね。
海産物なども秋に回遊してくるサケなど、
非常に豊かな恵みをもたらしてくれていた。
縄文の貝塚に見る食素材の豊かさに比較すると、
たとえば古代律令国家の東北侵略拠点・胆沢城での下級官の食事などは
米と一汁一菜というバランスの悪いモノであり、
食生活の様式で見て、蝦夷の伝統的食生活~たぶん、縄文的な要素も残っていたと思う~
と比較すれば、ヤマト的暮らしに「まつろわなかった」のも
理解できるような気がしてくる。

こういう生活空間の構成のシンプルさ、
架構造の力強さ、屋根の萱などの湿度調節作用など
非常にサスティナブルな住居と言えるのではないかと考えられます。
現代のわれわれが、新建材固めにして
現代的快適性基準を追求してくるのだけれど、
色々考えれば考えるほど、
こういう住空間に教えられることが大きくなってくるのですね。
少なくともこういう自然素材に囲まれた空間は、
自然への単純な共生感覚をもたらしていただろうと考えられます。
こういう空間に戻ることはできないけれど、
その心地よさへの想像力は失ってはいけないでしょうね。


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ブログのビジネスモデル?

2008年07月10日 07時32分18秒 | Weblog



あるインターネット広告会社の決算資料を見ていて
へぇ~と思わされたのが写真の図。
わたし、あんまり知らなかったのですが、
インターネット上の「口コミ」を「狙って」ブログを利用する、
その作戦のスキームが提示されていました。
こういうのも公開しているのだから、まぁ、情報開示は良いとは言える。
でもまぁ、ブログの「ネタ」を提供することで
口コミを醸成しようというのですから、
そうか、そういう作戦もありか、とびっくりさせられた次第です。
この図を見ると、ブログの更新ネタに困るだろうことを見越して
その話題素材を企業広告の一種として企業側に販売して
その結果を広告成果としていくというスキームなんだそうですね。

ブログを書いている人間からすると、
へぇ~、と嘆息せざるを得ないせこい作戦だなぁと、感心してしまいますね。
こういう作戦を考えるというのは、ちょっと理解できない部分がある。
まず第1に、書く側のひと、そうまでしてブログを書く必要があるのか、ということ。
ブログって、一応は表現したいなにごとかの
テーマがあって書き続けるモノではないかと思うのです。
それに「困って」こういう「ネタ」サイトで拾ってきて
適当なことを書き飛ばしてブログとしてアップするって、
読むひと、書く人、誰にとってもまったく意味があるとは思えない。
そして第2に、他人に口コミネタを提供することで広告収入を得ている
「急成長中」のインターネット広告会社の作戦。
こういうブログを書いた人たちに対して、なにがしかの
謝礼とかをしていると思うのだけれど、
どうも、そういう作戦って、同意しにくい部分がある。
こういうのは古い人間の感覚なのでしょうかね。

まぁ、他人のブログって、
建築関係者の知り合いのページくらいしか見ることがないので、
世間一般ではこうなっている、という現実を知らなかったのです。
そういうことで、「急成長している」と言われても、さてどうなのかなぁ。
よく考えるものだなぁ、というのが実際なのですが、
もう、こういう考えは甘い考えなのでしょうか。
有名人ブログでは、いろいろな広告が仕掛けられているというのも現実。
ブログって、まだまだ、「世論」というような成熟は難しそうですね。


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エコの見える化、って?

2008年07月09日 06時16分48秒 | Weblog



きのう、省CO2モデル事業の結果について書いたら
多くのみなさんから、コメントや電話などをいただきました。
「声を上げたいけど、上げられない・・・」という
建築行政に対する意見が非常に多くなっていると感じます。
舞台裏的な部分も聞こえてきますが、
しかし、こういう中央省庁の仕事にいままでほとんど接する機会がなかったのが
こういうチャンスで、少なくとも知ることができたのは良かったことかも知れません。
超長期住宅のほうは、まだ、発表が詳しく出てきていませんので、
機会を改めたいと思います。

そんななか、わたしも気になっていた事柄について、
十勝のOさんからするどい指摘がありましたのでご紹介します。

<急に出てきた言葉で「エコの見える化」?←知ってました?こんな造語。
これをを図ったということが
ほとんどの選定案件で応募書類の中に拝見できたということ。
これって知らない言葉だけに一部の出来レースって言われても仕方ないような気もしますが・・・。>

そうなんですよね、最近官僚のみなさんの言葉と
一般人の言葉って、相当に違いがあると思っているのですが、
その一例がこれ。Oさんが指摘するように、大手ハウスメーカーは
このあたりの「情報収集」が行き届いていたということなのでしょうか?
それはそれとして、「見える化」って言う言葉、
Wikkipediaで調べてみると、ありましたね、一応(笑)。

見える化(みえるか)とは、現場における目に見えない活動の様子を目に見える形にしようとする取り組みを表す言葉である。
その本質は「見る」ことよりも「見える」「見せる」ことに重点を置く。
作業についての情報を組織内で共有させることにより、現場の問題等の早期発見や効率化や改善に役立てることを目的とする。業種等により適用方法は異なるが、一般的には問題や課題の認識に利用される。図やグラフにして可視化する場合もあれば、音や光による体感認識を用いる場合もある。問題の解決策を講じる際にも見える化を行うことがある。
ITインフラの整備により、電子データ化された各種業務内容を有効活用するために、蓄積されたデータの抽出・加工を行うことにより、見える化を行う場合がある。
[編集]問題点
現場が主体的に行わなければ、十分な効果が見込めない。

っていうことのようで、
最後の問題点が、なにやら行く末を示しているようで面白いですね(笑)。


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省CO2推進モデル事業、結果発表

2008年07月08日 07時45分48秒 | Weblog



相次いだ国土交通省の肝煎り「モデル事業」募集。
総額の国費が半端でない200億円近い金額。
サミットの関係で間に合わせようとしたものと思われますが、
その応募結果の発表が、国交省HPで発表されていました。
http://www.mlit.go.jp/common/000018273.pdf

きょう触れてみたいのは、「省CO2」のほう。
まぁ、どちらも似た傾向にはあるのですが・・・。
結果を見ると、モデル事業とされたのは、
ハウスメーカーが3社(三洋ホームズ・パナホーム・積水ハウス)と
アトリエ天工人(テクト)+金沢工大の先生の提案。
写真は、その選考の講評の概要部分です。

一番最初に出てくるのが
「既存設備の単純な組み合わせでは不十分」というモノ。
こうしたコンクールの場合、選考基準を明確にするというのが
大前提だと思われるのですが、今回の募集要項を見ると第1回ということもあって
抽象的な、雲を掴むような内容。
で、選考の講評になって、こういう文言が突然出てくる。
この事業のはじめから危惧されていたのが、
選考委員はほぼ全員が大学の先生と官僚機構のみなさんという点。
住宅という市場の実態を本当に知っているのか、
霞ヶ関の机上と、アカデミズムの殻の中からしか
日本のいまの住宅マーケットを見ていない。
「先導的」と考えられる企業はハウスメーカーであると
結論づけているのが今回の結果になったわけですが、
日本の住宅はそういう風になるべきだと考えているのでしょうか。
ハウスメーカーというものが、革新的などういう活動を行ってきたのか、
そういう市場に対する判断力がなければ、
こういう事業は軽々に着手すべきではない。

住宅は長期にわたって建築されるモノであり、
設備などもさまざまな実証を経て、その耐久性であるとか
持続的安定性というようなモノがなによりも大切な分野だと考えます。
確かに「選考する」という作業からすれば、
こういう後出しジャンケンでしか判断できないというのは理解できる。
しかし、そうであれば、いきなり巨額の税金を投入するというのは避けるべきではないのか。
ルールを決めていない段階で競争した結果、
名前ばかり有名な企業だけが残ったのではないか、と言われても仕方ない。
ハウスメーカーの応募内容も見てみたのですが、
「今回の選定について」の基準から考えて
どこに選考に値するのかと、疑問を感じざるを得ない企業もあります。
または、CO2削減競争を住宅の住まい手に仕掛ける、みたいな提案が
採用されてもいるのですが、こういうことが実際にできるものかどうか、
よく考えていただきたいと思われます。
北海道で地元ビルダーと大手ハウスメーカーが
省エネをテーマに住宅団地を形成したあとで、
住民同士、暖房用灯油使用量を比較しあって、ハウスメーカー住宅の住民が
憤慨してしまったというようなことが実態としてあるのですが、
そういう実証をともなわないで、言葉とイメージの提案だけで
こういう施策を実行させるというのは、どうも腑に落ちません。

多くの優良なビルダーさんの提案が落とされて、
採用された提案内容を見ていて、まさに不条理の思いを抱く次第です。
みなさん、いかが感じられるでしょうか?


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絵画文化のはざま

2008年07月07日 06時31分38秒 | Weblog



写真は浅草寺の手水天井に描かれた龍の図。
龍は水に関係するモノとして描かれているのですね。
以前から思っているのですが、
日本の絵画と欧米絵画の描かれるキャンバスの違い。
両方をいっしょに見る機会があると一目瞭然なんですが、
欧米の有名絵画って、大体はキャンバスに描かれるのに対して
日本の場合は掛け軸とかふすま絵というのが主流。
欧米では壁を固定的に飾るという考え方なのに対して、
ちょっと違うように感じるんですね。
なぜなのかなぁと、思い続けている次第です。
どちらも住宅を飾る基本的な装飾であることには変わりがない。
そういう意味で、家を考えるときに不可欠な要素なんです。

まぁ。基本的には顔料の違いと言うことにはなるんでしょうが、
どうも、それだけではない、美術に対しての考え方の違いを感じる。
日本では、狩野派とか、「絵師」と呼ばれるように
「職人」の一種のような考え方をしているのに対して
欧米ではどうもはじめから一個人としての個性表現として
「芸術家・作家」というように認識されてきたのではないかと思うのです。
それから、欧米では基本的に個人能力に存在価値を見いだすのに対して
日本では、集団的な組織的な存在として認識されている。
東大寺の金剛力士像から始まって
狩野派とか、法人的な制作集団が「受注」する感覚に近い。
個人と言うよりも、家とか集団への帰属性が高い。
食料生産の基本が、狩猟採集の要素も持っている社会と、
集団的労働集約によってしか食料を生産できない社会の違い。
そういう部分が、美術の世界にも反映しているように感じます。
逆に言うと、日本の「職人」というものへの畏敬の念というのは
そういうものづくりへの独特な賞賛であったような気がします。
まぁ、個人主義が育った社会と、そうではない社会の違い。
なので、職人としてあくまでも建築装飾のなかで
その職分を守って、職人に徹するというような思いも感じる。
この写真のように、ごく庶民的な多人数が集まる場所で、
その職分に忠実に伝統の枠をしっかり守る、というような姿勢を感じます。

津軽でねぷたの絵師をやっていた棟方志功が
東京で絵を学んで、作家になったように、
そういう個人の明確化が近代・欧米の美術と言うことなのでしょうか。
棟方さんが東京で美術を学んでいるときに
芸大卒の下宿の奥さんが、かれが襖か障子に描いた絵を捨てた、
という話が伝わっていますが、
このあたり、そういう違いを象徴しているのかも知れない。
そういう意味で、日本の近代以前の残された美術に
欧米人の方が反応したというのは、やはり興味深い。
残された歴史的建築中の美術から、世界標準的な部分を探す、っていうのは
案外面白い楽しみでもあると思われます。

っていうような流れで見ると
こういう絵に、いろいろな思いがしてきます(笑)。


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「行方不明の日本」

2008年07月06日 05時36分19秒 | Weblog



ここまで言われているのが現実の国際政治の世界なのですね。
日本は、国是として対米従属を選択してきたわけですが、
いまや、アメリカの側から日本からの駐留軍撤退を言われかねない現実がある。
そういうときの安全保障というモノをどうすべきなのか、
いつになったら、日本の政治は真っ正面からはじめるのでしょうか。

<以下、7月5日8時0分配信 産経新聞>
「行方不明の日本」英紙フィナンシャル・タイムズ サミット控え辛口批評

 7日から始まる主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)を前に、4日付英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は、「行方不明の日本 姿が見えないサミット主催国」との見出しの辛口論評を掲載した。
 論評は「日本は世界で2番目に強力な経済を持ちながら、政治的には姿を見せていないも同然だ」とし、「サミット主催者の福田康夫(首相)はベルリンからブエノスアイレスまで(新聞の)1面に登場するだろう。それが閉幕したとき、日本は影の中に戻っていきかねない」と警告した。
 論評は「台頭する大国、成熟した大国とも、各国政府はかつてなく時間をかけて、地政学的展望を探し求めるべく占いの水晶玉に見入っている」とし、そうした取り組みにおける日本の不在を指摘し、「そればかりか、新しい秩序における日本の地位は滅多に、仲間の国々からの言及にすら値しない」と断じている。
 論評は、世界の力の均衡が急速に変化しつつあるとし、「アジアの世紀とは中国とインドのことだ」と、日本に代わって両国が台頭してきたと言明している。
 日本の影響力低下の背景として、「(バブル経済)崩壊が日本の政治家の自信を奪ったこととソ連崩壊が日本の地政学的位置付けをぬりかえたこと」を挙げ、その結果、第二次大戦後、米国にとり「西側の一員だった日本」の重要性が低下したところに、中国の飛躍的成長が重なったと見る。
 論評は「日本の最大の利益は、規範に基づく国際秩序を強化、拡大して、中国などの新興国を組み入れることにあると思う。何にも増して、世界のこの地域は強固な相互安保体制を必要とする」などと、日本の将来の選択肢も提示、「羅針盤なき国家」からの脱却へ向けた決断を促している。

案外、次に日本社会が経験するであろう「黒船」は
在日米軍の日本からの撤退なのかも知れませんね。
そうなってはじめて、日本の中に国際戦略論とか、
安全保障の国民的な問題意識の醸成、経済的安全保障を真剣に考えることになるのかも知れない。
結局、国際戦略ではひたすら対米従属というのがこれまでは心地よかったし、
それがまた国益に合致していたのが、戦後の日本だったのでしょう。
冷戦終結後、アメリカから見て日本の地政学的な位置は
相対的にダウンしていて、比重はどんどん下がってきているのが現実。
今後、この記事が示すように国際的な発言を日本が行っていこうとするとき、
国際政治のやりとりの中で、いまの日本の政治家がレベル的に大丈夫なのか、
日本の有権者も、そういう認識を持って政治家を選択してきているのか?
とくに最近の総理の退陣劇などに表れている、著しい政治家レベルの低下は
そういう面での危機を感じさせますね。
国内の「世論」のあまりな情緒性、常識感覚を逸脱しているテレビの低俗さ加減などを見るとき、
政治家だけではなく、現実の日本社会の「国際レベル」が心配です。

このままの日本社会が、この英国の新聞のように振る舞わざるを得ないようになったとき、
へたをすると、世界の情勢にとって不安因子になってしまうのではないか?
非常に不安に駆られるというのは、わたしだけでしょうか。


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新聞広告の世界

2008年07月05日 16時40分46秒 | Weblog



新聞業界というのが大きく揺れています。
朝日新聞社が単年度赤字に転落すると、まことしやかにささやかれている。
そういう現実を象徴するように新聞広告費が急降下しているようです。
昨年度、新聞広告費の総額がついに1兆円を割り込んだそうです。
テレビも2兆円を割り込んできているけれど、
テレビよりもダウン率が大きい。
どうも構造的な問題が進行している。

で、こういう問題は世界的に進行している問題。
ところが日本での動きというのはどうもダイナミックさに欠ける。
世界中では「メトロ」という無料新聞がシェアを広げているのだけれど、
日本ではニュースを配信している通信社が
無料新聞にはニュースを配信しない、ということで、
いわば、裏側から鎖国しているような状況。
そういうなかで、新聞業界が自己革新を遂げるのならばいいのでしょうが、
現実には、どうもそういう風にはなっていない。
むしろ規制によって自己の革新を怠っているように感じられる。
新聞は世間に対して規制緩和を声高に主張してきたけれど、
どうも自分のことに関しては非常に保守的、退嬰的といわれるのもむべなるかな。

それに対して、海外での動きはやはりオープンマーケットでのことなので
根底的な動きがかいま見えて大変興味深い。
写真は、アメリカでの一地方新聞の取り組みなんですが、
きめ細かい地域のニーズに対応する誌面作りを実現している例。
まぁ、ビジネス上のことなんで、あんまり詳しくは書きませんが(笑)、
広告枠も地域の狭い範囲のユーザーを掘り起こしていて
まことにダイナミックに世間のニーズを掘り起こそうと必死に戦っている。
インターネットという革新によって揺さぶられる新聞業界の
知恵と工夫・努力がまさにかいま見えてくるのです。
このような海外での事例は細かく見ていくと非常に多いようです。
いまは確かに大きな動きにはなっていないけれど、
突破すべき方向性を必死に模索しているのは、ホンモノと感じる次第。

ひるがえって、日本の新聞業界は
結局、黒船到来というようなショックまで
なかなか手を打てないままに進行していくのではないかといわれています。
きょうは、詳しくは書けない(笑)ブログで、申し訳ありませんでした。
メディアの世界、いまはまさに大変革期の足音が迫ってきていますね。
ではでは。


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岩手宮城内陸地震・住宅相談

2008年07月04日 05時48分58秒 | Weblog


きのう宮城県栗原市で、岩手宮城内陸地震の被災住民に対する
はじめての住宅相談会が行われたということです。
宮城県のJIA支部からお知らせをいただきました。
地震などの場合には、建築士のみなさんが業界団体を通して
地震と建物被害について調査活動を行ったりしますが、
同時にこうした活動も取り組まれるわけです。
きのうは初日ということで、地元メディアなどから取材が相当数あったということです。

その報告によると、
被災状況のなまなましい現実が迫ってくるようです。
主な相談内容は
1 改築(建て替え)・改修の助成制度ならびに公庫・民間融資の相談。
2 全壊・半壊認定の中で、改修して住み続ける場合の地盤への不安や改修方法などへの指導願い
3 震災建物から発生した廃材・ガラス・サッシなどの処分先と、その費用について、など。
ということのようです。
まだ、初日ということで、相談件数は5組ということ。
相談は現地を見て話し合うというモノではなく、
あくまでも相談会場に来て、口頭で説明し合う形式が定められているので痛痒感があるとのこと。
まだ、行政の側で助成方法や人的支援がなかなか決定しないなかで、
毎日の生活上のストレスが積もっていく住民のみなさんの気持ちが伝わってきます。
今後、順次、各地域を巡回して相談会が行われるということ。

しかし、3のようなことを読むと、
身に迫ってくるような気がします。
こういう問題についても、地震大国だけれど、まだまだ対応が整っていないのですね。
結局は自力で直すとか、建て替えたい、というように意志を持ったとしても
あとで、地震との因果関係を証明する必要も生じる。
なので、客観的な資料や写真を自分で用意しなければならないということのようです。
そうはいっても、証明根拠として的確なものを作成するのも簡単ではない。
行政の側で支援策が決定するまでの時間ロスが生じて、
そうしたストレスは受忍し続けていなければならないのですね。
初期段階の人命救助から、復興生活支援まで
まだまだ、息の長い道のりが続くのだと思います。
今回の地震は比較的に建物への被害が
その地震規模と比較して少なかったとはいえ、
このようなプロセスはしばらくは継続するのでしょう。
ボランティア活動にがんばっているみなさんにも
本当に頭が下がる思いがした次第です。
<写真はJIA宮城支部からの配信資料からのものです>


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浅草寺

2008年07月03日 06時53分30秒 | Weblog



浅草で宿泊したので、日本の民間信仰のメッカともいえる
「浅草寺」を見て参りました。
いま建っている建築群は、だいたいが鉄筋コンクリート建築ですが、
浅草寺って、歴史を見るとなんどもなんども火災で失われては再建する繰り返し。
そのようになんども火災に遭うということは、
江戸の街らしいとも言えるのですが、
やはりそれだけ人出が多かったということを表しているのでしょうか。
最初は川で漁をしていた兄弟が仏像を発見したことから始まっている。
広漠とした武蔵野の一角、って、いまでは想像すらできないのですが、
新開拓地として人口も多くなかった関東の歴史の初期、
いわばランドマークとして、はじめられたのでしょうか?
創建の経緯を見ると、やはりその最初から民間信仰的な臭いがする。
なにやらあやしげな縁起からスタートするワケですが、
なぜか、大繁盛したのでしょうね。
東京湾から入り江になった隅田川という立地条件が、
交通上の要衝といえたのかも知れない。
縁起の続きを見ると、またもや慈覚大師・円仁さんの名前が出ています。
平安初期、深く天皇からの帰依を受けた国家最高の宗教指導者だったかれを
縁起に登場させて、民間信仰的な出自から
公認された宗教施設としての認知を計ったのでしょう。
この当時、一度、その経緯から天台宗の寺院になっているそうです。
こうした作戦が奏功し、その後も人気と権力者の公認を得続けています。
頼朝であるとか、関東公方とか、徳川幕府とか
この地に関わる有力者の庇護を獲得し続けています。
でもやはり、そういうことが可能だったのは、
民間信仰の対象としてのこの寺の人気ぶりを表しているのでしょうね。

行ってみると、参詣しているひとは外国の観光客が圧倒的。
仲見世商店街など、夕方になるとシャッターを閉めてしまっています。
日中も観光客が中心で、そのため、夜になると閑散としてくる。
周囲の歓楽街なども、最盛期の賑わいからはほど遠い。
創世記から江戸の賑わいぶり、昭和の初期まで継続してきた街ですが、
やはり時代の移り変わりの中で、クラシカルな歓楽街スポットになっている気がします。
現代の最前線という時代感覚とは違う、
ちょっと昔気質な江戸情緒、とでもいえる街の雰囲気。
日本人と宗教との関わり合いを、いろいろに教えてくれるお寺ですが、
そもそも娯楽と宗教が完全に分離してしまった今日の社会で、
さて、どのようなイメージを維持していくのでしょうか?
そういう意味で興味深い存在と言えると思います。


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メディアの行く末

2008年07月02日 06時44分55秒 | Weblog



インターネットがメディアに否応なく変革を迫っている。
メディア関係・広告関係の情報というのは、
やはり地方では、情報の質的レベルが得られない部分があります。
ということで、ときどき東京でのメディア関係のセミナーなどを受講している次第。

今回は新聞業界の動向をいろいろに学ぶことができました。
2005年が大きなターニングポイントだったようで、
新聞業界は大きく業績を落としてきています。
現在は業界全体の総売上額が1兆円を割り込んで、
約9600億円前後。
インターネット広告が6000億円を突破しており、
趨勢を勘案すれば、未来形は明らかになってきている。
そういうなかで、朝日・日経・読売の3社が
競争的に協業化しようという試みも行われています。
そのインターネットサイトの運営責任者の方からお話を聞く機会がありました。
札幌にいると、なかなか変化の実態を把握することはできないのですが、
なまなましい実態のお話も伺えて
大変勉強になりました。

Google、Yahoo、Microsoftの覇権争奪が
インターネットの現在的な趨勢を表しているといえます。
検索にすべての広告的価値が付随しているのが現実。
わたしたちの日常的な検索が、その結果が、
広告的価値観というふるいを通ってきている、
そこに今日的広告価値が集約されてきている、ということですね。
そういうインターネットの世界での動きと、
既存メディアとしての紙媒体・新聞は、どのような方向を向いていくのか。
やはりコンテンツを磨く、という
基本的な部分にフォーカスしようと考えているように感じられます。

わたしは、子どもの頃、テレビ革命のまっさなかに成長した人間でして、
否応なくメディアの世界に強い関心を持ち続けてきたのですが、
どうやら、今日的には、その情報の唯一性が大きく変化してきている。
自分自身の価値観世界も揺さぶられてきているのだなと、
お話を聞きながら、強い印象を持った次第です。
さてさて、そういう中で、さらに地方経済という環境の中、
どのような方向性を持っていくのか、
羅針盤のきわめて難しい時代になってきていますね。


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